×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -


あの日の答え


 世間も夏休みの所為か、平日にも関わらずどこも人で溢れていた。なまえは突き刺さると表現した方が適切な位の日差しを避けるように、等間隔に植えられた木の陰を踏んでいる。
 両手に持った紙袋の紐すら汗ばむと煩わしく感じた。中身は洋服だから軽いはずのそれが、気になって仕方がない。
 どこかで一休みしてから帰ろうか。その案が頭を過ぎった頃、正面から見知った顔がこちらへ向かってくるのが見えた。
 相手より一足先に気付いたなまえは、急旋回して進路方向を変更する。お気に入りのカフェは遠のく一方だが仕方ない、緊急事態なのだ。

「あれ、なまえちゃん!」
「……げ」
「うわ。酷くない?今、げって言ったよね、げって!」

 しかし、ささやかな反抗虚しく捕まってしまった。相手とは足のリーチが違い過ぎるので致し方ないと言い訳をしつつ、声ではまだ反論してみる。
 肩を持たれて振り返ると、指をさして非難してくる男はやはり、及川だった。一度しか会ったことがないというのに、印象深くてすぐ分かった。
 忘れてしまえる女は滅多にいないだろう、この整った美しい顔を。なまえだって厄介な性格を知らず、影山の刷り込みさえなければ、名前を呼ばれただけで動揺していたかもしれない。

「何か御用でしょうか?」
「つれないねー、体調良くないの?おなか空いてる?」

 相手は掌に可愛い包み紙を乗せていた。それをなまえの前まで突き出して、少しだけ首を傾けて食べるかと聞いてくる。
 可愛いと思っているのだろうか、実際可愛いと思えてくるのが怖くてならない。

「いえ、遠慮……」
「そんな警戒しないで。いきなり取って食べたりしないよ!及川さん紳士だもん!」

 男に「もん」なんて言われた日には、鳥肌モノだと思っていた。吃驚して瞬きが増えたものの、そこまでは思わない。
 やはり、及川徹侮りがたし。結局フルネームまで暗記させられており、この男の売り込みは成功していると思うしかない。

「暑いねぇ、それにすごい荷物だね!なまえちゃん」
「あの、何で私の名前を?」

 そう言えば、相手の名前は聞いていたくせに自分は名乗らなかったことを思い出す。すると申し訳なさと自分の常識のなさがじわじわこみ上げてきた。
 会話を自ら広げてしまったのは、罪悪感と少しの懺悔からかもしれない。

「知りたい?」
「……あー、」
「うわっ!露骨に面倒そうな顔しないでよ。傷つくなぁ」

 傷つくと言いながらやんわりと笑う顔を見て、眉間に力が篭っていく。人をわざと呆れさせたり怒らせたりするのが及川の常套手段だと分かっていても、気力は確かに削られていく。

「そんなに俺が嫌い?」
「嫌い、とかでは」

 彼に何かをされた訳ではない。それでもなまえには、あの試合の日の記憶が苦々しいものとして沈殿し続けていた。目が合ったと思ったのは錯覚だったのかもしれない。
 目の前の男は、問えば明確な答えを苦もなくくれるだろう。ただ、そこまで用意されていても、聞く勇気は持ち合わせていなかった。
 相手は真夏だというのに何処か涼しげに笑っている。蒸し暑い体育館で何時間も練習し続けられる人間というのは、こんなにも忍耐強いのかと感心すら覚えた。

「あそこ」
「えっ?」
「パンケーキが美味しいよ。マンゴーソースが絶品だって」
「彼女さんが言ってたんですか?」
「……っ!真新しい傷を抉んないで!」

 急に泣き真似をした及川に、ぎょっとしたのは自分の方で。ペースに嵌められていると気付いても、この状況を享受した後では遅過ぎた。

「すみません。えっと、パンケーキ美味しそうですね!」
「そっか。じゃあ、決まりね!」
「はい?」
「早く行こう!実はさっきから喉渇いてたんだよねぇ」

 まるで羽が生えているかの様に軽やかに態度も反転させて、お目当ての店まで一直線。そんな及川との距離が広がった筈なのに、なまえはそこから動けない。
 このまま挨拶だけして走り出そうか。そう思う気持ちと、歩き回って小腹が減っていた事実がせめぎ合う。先程まで緊張していた所為か、喉も渇いていた。

「なまえちゃん、早く!」
「……待って、ください」

 一歩踏み出す瞬間、警鐘の様な影山の「もう近づかないでください」が頭の中で響く。それでも振り下ろした足は確実に、及川との距離を詰めていた。



「飛雄に会ったよ」
「はぁ」
「なまえちゃんのこと、聞いたら怒られちゃった」

 席に通されるなりそう切り出されて、成程、及川が自分を呼び止めた理由はこれかと合点がいく。影山の反応を見たから今度はなまえの反応を、という事か。
 可愛げの無い自分の考えに嘆息するのを何とか思い留まり、楽しそうに告げた相手を不躾な位見返した。

「それで名前を……」
「そう!あ、パンケーキセットとアイスコーヒー。なまえちゃん、飲み物どれにする?」

 勝手にオーダーまで決められていたことに驚きつつ、「アイスティーで」と答えてしまう。なまえが乗せられやすいだけか、はたまた及川が上手過ぎるのか。
 自分の反応で影山が不愉快な目に遭わない様にするということに神経を注ぎ始めた為、なまえにはそこまで余裕が回らなくなっていた。

「なまえちゃんはさ、飛雄が好き?」
「及川さんは大好きなんですね、影山くんが」
「はぁ?違うし!クソ生意気な後輩だし!」

 先に運ばれてきたアイスティーをストレートで飲み込む。右手の指をストローに添わせると、上がってくる液体の冷たさに指先の熱さを知った。
 及川はつまらなさそうに、下を向きながらアイスコーヒーにミルクを注いでいる。動揺が気付かれていないことに安堵して、この不思議な組み合わせに今更可笑しさがこみ上げてきた。

「あ、やっと笑った。笑った方が絶対可愛いよ」
「そんな事言わなくても、少しくらいパンケーキあげますよ?」
「そうじゃなくって。泣き出しそうな顔よりそっちの方が良いよって意味」
「やっぱりあの試合の後、見られてましたか」
「言っとくけど偶然だからね!でも、ごめん。俺の意地に君は関係なかったのに。そこは本当、ごめんね」

 及川の言うごめんの所存は、なまえには正確に掌握出来るものではない。それが分かっていても頷くしかなかった。
 数分前の適当な予想すら恥ずかしくなる。及川はこれが言いたくて機会を設けたのだ。そう思うと存外不器用な男だと、及川への印象を書き換えようとした瞬間。
 正面からシャッターを切る電子音が響いた。考え事をしていたために下がっていた頭を慌てて上げると、さらに続く連写の音。

「……あの?」
「なまえちゃんとデート中だよって言って飛雄に連絡したらどう……」
「消してください、今すぐに」

 張り上げた声は思ったよりも店内に響いて、これ以上騒ぐことは出来なかった。及川は注目されていることに慣れているのか、動揺一つ見せずに笑って携帯を弄んでいる。
 恨みがましく睨んでみたら、可愛らしいつもりか舌を上へ巻く及川が見えた。その顔に思わず握り拳を胸元で震わせてしまう。
 なまえは及川の印象を書き換えることを、未来永劫中止しようと固く決意したのだった。



***続***

20140919


[*prev] [next#]
[page select]
TOP