会場中が拍手を送っているのを感じるのに、体は全く動かなくて。次の試合があるからと引き上げていく皆の方が、悔しい筈なのに切り替えている。
私は会場を見下ろしながら、ただ呆然と立っていた。
フルセットの試合はもつれにもつれて、このまま終わらないんじゃないかと思った。私の立っていた手すりの横にも、何時の間にか人が増えていて。
両方の応援が聞こえる中で、結末を知るのが怖くなっていた。
(馬鹿だなぁ、私)
最後の最後まで、選手は闘っていたのに。結果だけが全てじゃないと思いつつ、勝って欲しかった。負けるのは嫌だった。
握りしめた手が痛くなる。最後の最後、コートから出て着替えている及川さんと目が合った気がして、弾かれた様に踵を返した。
(怖い、あの人怖い)
脇目も振らずに階段を駆け下りながら、頭にはそれだけが浮かぶ。最後のポイント、きっとあの人は影山くんが日向くんに上げるのを読んでいた。
だからと言っては変だけど、私の考えまで読まれるかもしれない。だって、私、最後。絶対勝てるって思えなかった。
烏野も強かったけど、青城も強くて。あんなに皆が頑張っていたのに、見るのが怖いなんて。最低じゃん。
「……っふぅ、う……っく!」
女子トイレに逃げ込んで、それでも人がいるから唇を噛み締めながら泣いた。泣く資格なんてないかもしれないけど。
泣くとこみ上げてくるのは、やっぱり悔しいという気持ち。皆遅くまですごく頑張っていた。これで終わりなんて、早過ぎる。
夕に何て声をかけよう。影山くんには……?すごく、試合の中でも苦心していたなぁ、影山くん。スガさんも出ていたし。
色々葛藤があったんだろうなぁ。それでも成長というか、試合の中でいい方向に向かっていた気がするのに。でも届かなかった。
それって悔しさ、どれ位だろう。
(ああ、やっぱ、悔しいなぁ)
きっと理解してあげられないんだ。皆の気持ちを推し量るしか出来ないんだ。コートに立っているでもなく、傍で支えてきた訳でもない。
信じるくらいしか、出来ないくせに。その信じることすら、出来なかったなんて。
どうやって帰ってきたか分からなかったけど、気付いた時には家路への帰り道に立っていた。駅から家に向かう、いつもの通り道。
それに気付いたのは、携帯が震えて主張していたから。鞄の中から取り出して、名前を見て一瞬躊躇う。
「は、い……」
(おう!泣いてんじゃねーぞ)
「泣……ぃて、……い」
(泣いてんだろ、ばーか)
しんみりさせちゃいけないと思ったから、出るのは嫌だったのに。安心感を与えてくれると分かっていて、その優しさに甘えた。
流れ込んでくる夕の声は、小さな頃から変わらない。いつも、私が一人で泣いていたら見つけ出して迎えにきてくれる時の声だ。
(今ミーティング終わって、この後の青城の試合も見てくから)
「うん」
(お前、ちゃんと家まで帰れよ)
今日は迎えに行ってやれないから。そんな風に聞こえて、私はまた泣きそうになってしまった。どれだけ泣いても、また奥から涙が出そうになる。
全く、私の体はどうしてこうなんだろう。泣きたくなんてないのに。泣きたいのは夕の方なのに。
「帰るよ!あのね、お疲れ様……」
(なまえ、手、大丈夫か?)
「え、手?」
(すんげぇ顔して握りしめてただろ!)
「そんなことない……」
(嘘つけ!ちらっとしか見てないけど変色してたぞ!気ぃつけろ、馬鹿!)
言い訳出来ないくらいに図星だから、すごく恥ずかしい。余した左手を何度か握っては開いて、結局確かめてみる。
勿論なんとも無い。分かっているのにそうしてしまうのは、私の中で夕の言葉が絶大な効力を持っているからだ。
「大丈夫!もう、家着くから……」
(なぁ、頼みがあんだけど)
「何?」
(明日起こしに来てくれよ。窓の鍵は開けとくから)
それってつまり、おばさんより先に起こせってこと?しかも、玄関からでなく窓から来いと?さらっと言うけど、私に窓を飛び越えろと言っているんだ。
高校生になってから、窓からの侵入はしたことがない。正確には、夕を諦めなきゃいけないと思ってから。夕も何時の間にか、私の部屋へは勝手に入らなくなったし。
「落ちるよ」
(そこまで重くないだろ、頼んだ!)
「ちょ……夕!」
(一睡も出来ないかもしんねーし……でも明日学校だからな)
ずるいよ、無理だって言えなくなる。おばさんに真っ赤な顔は見られたくないのが分かるし、本当は誰にも見られたくないのかもしれない。
それでも私なら良いと、仕方ないと、夕がそう思うなら。
「分かった。頑張る」
(悪ぃな、頼む)
声が掠れていて、いつもの元気が感じられない。当たり前だけど、悔しいのは夕たち選手なんだ。私が夕に頼まれて、してあげられる事なんて。
こんなことしか出来ないけど。
「夕!格好良かったよ!」
(おう、惚れ直しただろ?)
「……馬鹿」
(何だよ、可愛くねー!昔みたいに夕くんは世界一格好いいー!って言えよ)
本当に俺が馬鹿みたいじゃねーか、そんな夕の声を聞きながら、嬉しくなって笑う余裕も出てくる。笑えるようになったんだ、私。
苦しいだけじゃなかった。辛いだけじゃなかった。夕を好きだった何年分も、積もってきた気持ちは無駄じゃなかった。
「格好良いよ。夕は私のヒーローだから」
(おお……お、おう!じゃーな)
ばいばい、そう言って携帯を下ろす。通話はすぐに切れていて、名残を惜しませてくれないのは夕らしい。でも、それでいい。
私と夕は、これでいいんだ。
***続***
20140221