交わらない


 授業中も寝たりしてしまうことは良くあるが、影山は今現在いっそ寝たい、もしくは授業でも構わない、そんなところまで思考が追いやられていた。
 昼休みに珍しくバレーせずに教室の机で飲み物を飲んでいたら、前の席に居座って喋り始めた女。それが自分の反応などお構いなく、不愉快な単語を散りばめるから眠れそうにない。

「ねー、聞いてる?」
「聞きたくねぇ」
「影山、冷たいなぁ。数少ない同中の仲じゃん」

 なまえは北川第一時代から、こうして同じクラスになる腐れ縁だ。頭の作りも影山とそう変わらない馬鹿な女は、文字通り聞きたくないという意見を無視してくる。
 ふっと横に視線を向ければ、教室の隅っこで固まっていた女子と目が合って小さな悲鳴を上げられた。それ位、自分は怖い顔をしているらしい。
 そんな影山にも怯むことなく喋りかけてくるなまえは、貴重と言えば貴重な存在である。この、不愉快な内容を何回も繰り返し聞かせてさえこなければ。

「なぁ、今の俺の顔どう見える?」
「ちょー怖い!」
「だったら怖がれ。そんでその、面白くもねぇ話をやめろ」
「月島くんが格好良いって話のどこが面白くないの?」
「うぜぇ」
「月島くんってクールって感じでいいよね!頭も良いだろうし爽やかな感じ!それとね……」

 終始この調子で、なまえは影山の神経を逆撫でしていく。思春期の男子高校生で、他の男の魅力を語られて喜ぶやつがいたらお目にかかりたい。
 自分は普通だ、悪くない。悪いのはこの学習しない阿呆な女だ。未だに影山の方を見ないで頬を高揚させて語っているなまえを睨みつけて、反撃理由を固めた。

「またそれか。聞き飽きたんだよ」
「月島くんの話はまだ、今日が初めてじゃん!」
「中学の頃は及川さんだっただろ。その後国見になったりしたけど。お前は反省とか出来ない生き物なのか?」

 馬鹿にしようと思ったのに、最後の方は真剣に諭すことになってしまう。口を開けたまま椅子の背もたれを握り締めているなまえは、数度瞬きをして驚いている。
 ああ、まずい。泣かれたらどうしようかと今更後悔が顔を出す。それなのに、影山が何かを言う前に喋りだしたなまえは。やっぱり馬鹿で救いようがないと思った。

「よく覚えてるねー!」
「あ?こっちは散々聞かされたからな!」
「過去は過去、私は今に生きてんの」
「反省出来ないからちっとも成長しないんだよお前は、ボゲっ!」
「あはは、影山がまともなこと言ってるー!」

 楽しそうに指さして笑ってくるなまえには、暖簾に腕押し。何も響かず掴めない気がして、どうしていいかわからなくなる。
 そもそも自分はどうしたかったのか。それすら見失って、影山は頭を抱えた。机に頭を打ち付けると、上から降ってくるのは優しい声だけ。

「バレー馬鹿だと思ってたのに、ちゃんと私のこと覚えててくれたんだね、ありがと」
「うっせ、お前の方が馬鹿だ」
「うん。私ってすごく馬鹿だよ」

 肘を立てていた右手に、なまえの指が触れた気がして起き上がる。急に顔を覗かせた影山に吃驚したのか、彼女は目を見開いて人差し指をそっと隠した。
 気まずくなって目を逸らす。呆れたようにも嬉しそうにも見えた笑顔は、自分に向けられたものか。過去の遺物になってしまった及川や国見へのものなのか。
 こんなにも苛々する理由は、疎い自分にだって分かるのに。なまえの気持ちは何一つ分からない。

「聞かねぇの?」
「……何を?」
「だから、好きなもんとか、誕生日とか、月島の何か、色々」

 中学時代、クラスの女子によく聞かれた質問項目は嫌でも覚えた。及川の誕生日、好きな食べ物、好きな女性のタイプ、その他諸々。
 月島のことを聞いてくる人間はまだいないが、山口は散々聞かれると言っていた。そういうものだと理解している分、影山は穏当な疑念を差し出す。
 中学でも高校になった今でも、なまえは一度だって影山に他の人間が聞きたがるような質問を投げかけてくることはなかった。

「えー、聞かない!」
「何でだよ」
「聞いて欲しいの?」
「ちっ、ちげぇわ、ボゲ!」
「だったらいいじゃん。憧れと好きは違うものなの」

 クスクスと楽しそうに笑う彼女が、遠くを見ながら小さく言う。いつもよりずっと落ち着いた声なのに、それは影山を不安にさせた。
 こんなに近いのに、どこか遠い。自分の考えに頭を横に振って否の烙印を押し付け、同じ様になまえの頭を撫で回して振った。ほら、手が届く。

「痛い。手加減!」
「あ、悪い」
「悪いとか全然思ってない!髪の毛乱れた、もーう!」

 全くもって思ってないしその通りなのだが、それを認めるのは面倒なので遠くを見ながら紙パックのジュースを飲むふりをして誤魔化した。
 文句を言いながらも怒っている訳ではないと分かるなまえの態度も、影山にはいっそ煩わしい。それでもこの空気が好きだ。
 認めたくないところではあるのに、そんな言葉しか思い浮かばない。馬鹿な女に惚れこんでいる自分は、やっぱり馬鹿でしかない気がした。



 部室から校門へと通るいつもの帰路の途中で、なまえを見かけたのはそれから数日後のこと。薄暗い中、携帯の光が彼女の周りを僅かに照らしていた。
 こんな遅い時間まで何をやっていたのか。一人で学校から出ようとしていたその背中に向かって、やっぱり馬鹿だと心で悪態をつく。
 それなのに、深呼吸をして飛び出した第一声は嫌に優しく響いた。

「オイ」
「あ、影山!」
「何で今いる?」
「私だって居残りくらいするよ?」
「もっと早く帰れ。一人で危ないだろうが!」
「王様ってば怖。彼女相手にも独裁者なの?」
「うるさい、月島ボゲ!彼女じゃない!」
「はいはい、分かりましたぁ。邪魔者は退散します」
「あぁ!?」
「あはは、お疲れ。影山」
「……おう、山口お疲れ」

 校門の傍で大声を出していたせいか、隣を通り過ぎる時に月島に不必要なものばかり見られた気がする。失態だと小さく舌打ちをして、黙ったままのなまえを見下ろした。
 言いたいことは山ほどある。「ほら見ろ、月島は性格悪いからやめておけ」とか、「因みに及川さんもすげぇ性格悪いぞ」とか。
 けれどどれも、一番言いたいことではない。今から言おうとしている言葉さえも。

「188センチ」
「……えっ?」
「月島の身長。お前、背が高いやつが好きなのか?」

 唐突に告げた影山に、なまえは驚きながら感嘆の声だけを出して見上げてくる。その顔につい、聞きたくても言えなかったことが少しだけ漏れ出した。
 口元を押さえて、尚も影山を見てくる視線から逃げ出す。その瞳に一瞬写り込んでいた自分自身が、淡い期待を浮かべていてどうしようもないと思った。

「影山もそんな身長違わないね」
「……っせぇ」
「顔怖いよ?影山はもっと別のところを気にした方がいいと思うよ!」

 思わず睨み返すと、満面の笑みで眉間をトントンと叩くのが腹立たしい。そしてそれ以上に、腹は立つのに仕草が可愛いとか思う自分に辟易する。
 その表情に落胆が浮かんでいなくて、心底安堵した気持ちも。全部を曝け出して吐き出せば、こんな風に笑ってはくれることはもうないだろうか。

「いいから帰るぞ」
「あれ、部活の人たちは?」
「送ってく。女が一人で歩いて帰ったら危ないんだよ、ボゲぇ」
「最後の言葉が無ければすごく紳士的でキュンとするのに」
「そんな単純だとお前すぐ騙されるだろ、さっさと来い」
「うん。ありがと、影山」

 酷い言い方にしかならないのに、後ろから聞こえてくる声には温かさが滲む。首だけ動かして後ろを見れば、やっぱり彼女は笑っていた。
 この顔をまだ見ていたい。例え、くだらない憧れを吐き出すためのサンドバックだったとしても。

「……おう」
「はぁ、近くで見た月島くん、格好良かったなぁ」
「……」
「あ!今うざいって思ったでしょー?」
「違う、何でお前みたいなっ!」

 先程決心をしたにも関わらず、つい口から出そうになった続きを飲み込む。不思議そうな顔をしていても、なまえから追求の声はかからなかった。
 何でお前みたいなやつを好きになったんだろうなんて、聞いても意味がない。聞かせても仕方ない。困らせるつもりもまだ、ない。

「っち、今に見てろ」
「わぉー、悪役影山!」
「もうお前本当に黙れ」

 神経を逆撫でするようないつもの声に、いずれ真っ向からぶつけて分からせてやりたくなるかもしれないけれど。
 今はまだ、なまえの憧れとやらを聞いて矛盾点を指摘しているだけに留めてやろうと思う。いずれ逐一自分に報告してくるその意味を、考えさせてやればいい。
 自分の後をついてくるなまえの足取りに笑いながら、影山は虎視眈々とその意気込みを温めていた。



***end***

20150530


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