何もしない2


「お前の教科書が綺麗なら、交換すべきって言うけど」
「俺の教科書は、落書きとか……」
「だろうな。弁償?」
「わぁ、いいよ!そんな大袈裟だよ。ちょっとだし、乾くし、大丈夫」

 威圧感で少し大きく見えてきた縁下くんの言葉に被る様に、私にしては大きな声を出す。がばっと顔を上げた西谷くんがこっちを見てくる顔が可愛くて胸の辺りがムズムズした。
 この顔を至近距離で見られただけで満足だ。教科書のことなんか全然気にしていないよって、言えなくてごめんなさい。

「わざとじゃないんだし、貸したのは私の意志だから気にしないで」
「みょうじ、さん!」
「ふぁ、い!?」
「良いヤツだなー!よし、アイス奢る!」
「西谷……もう9月も終わりそうなんだけど?」
「おう!だから何だよ!」
「あ、あの。私大丈夫だよ、そこまで気にしないで?本当に、いいから」

 立ち上がった西谷くんと縁下くんが続ける会話に口を差し挟むのには勇気が要った。それでももう十分だから、言わなきゃ。
 お礼なんてとんでもない。これ以上近くにいてボロが出てしまう前に、いつもの遠くから眺めているだけの人間に戻りたい。
 そんな私に、縁下くんは溜息を吐くだけで援護はしてくれない。何もしないでと言ったのは私だから、間違ってはいないけど。

「遠慮すんなって!ソーダ味、嫌いか?」
「いや、嫌いとかでは……」
「あー、でも部活あるからなぁ!」
「あ、じゃあ!私は縁下くんに奢ってもらうよ。それで、西谷くんは縁下くんに何か奢ってあげて?」
「「はぁ?」」

 咄嗟の思いつきを口にすれば、二人揃って何のことだって顔をして見てくる。あ、西谷くんのコテンと首を傾げた顔が可愛いな。
 でもこれ以上近づき過ぎるのは心臓がもたない気がして、言い訳を考えながら喋り始めるために頭をフル回転させた。

「だって、西谷くんが縁下くんに頼って、縁下くんが私に頼ったわけだから、その、順番的にそうかなって」
「順番とかよく分かんねぇ!」
「あ、う……でも」
「はぁ……分かった、みょうじさん」

 早くも行き詰った私に、結局話をまとめてくれたのは縁下くんで。何もしてくれない!とか不満に思うなんてとんでもなかった。
 西谷くんも最初は不審がっていたけど、その方が時間を合わせやすいからという理由で縁下くんにまるめ込まれていた。
 単純な西谷くんも愛おしいな、なんて今の状況で考えている私も相当だとは思うけど。



 縁下くんと二人、坂ノ下商店の椅子に腰掛ける。隣同士の席が教室からここに変わっただけで、自然と距離が近い気がした。
 私の目の前には一口タイプのチョコレート。アイスよりこっちが良いだろ、なんて差し出されたそれは、教室にまで持っていくヘビロテの大好きなやつ。
 一つ手にとって口へと運ぶ。我慢出来ずに噛むと、フリーズドライされた苺の果肉が甘酸っぱく広がっていく。
 目を細めた私を、縁下くんは缶コーヒーを飲みながら見ていた。呆れているのか、怒っているのか。せめてもの償いとばかりに150円を差し出せば、縁下くんの顔が曇る。

「何?」
「えっと、缶コーヒーのお代」
「いらないよ。みょうじさんに奢った分は倍にして西谷に奢ってもらうからさ」

 毎日部活で忙しい身なのに、西谷くんに報告するからと律儀にも縁下くんは練習の合間を縫ってまで時間を作ってくれた。
 それのお礼も兼ねているからと言えば、縁下くんの厚い目蓋が開かれる。

「あのさ、何か勘違いしてない?」
「え、っと。どういう?」
「俺が本当に嫌なら、ここにみょうじさんと二人でいないよ」

 笑った声は、縁下くんの持ち上げた缶の中に吸い込まれていった。ぼんやりとそれを眺めながら、どういうことか意味を噛み砕こうとする。
 喉仏が上下した。それでも逸らされることのない優しい瞳に、恥ずかしくなって口の中のチョコレートを追加する。

「馬鹿だなぁって言いたいの?」
「西谷のこと?」
「うん。せっかくのチャンスだったのに!って」

 友達に散々怒られたので、さらに説教されるのは勘弁願いたい。それでも呆れながら助け舟を出してくれた縁下くんに、頭が上がらない状況だ。
 チョコレートを奥歯で噛み砕いて、きゅっと力を入れた。変化を望まず、関わりを持とうとしないってことが。西谷くんを本当に好きってことにはならないと言われるのは怖かった。

「例えば西谷に彼女が出来ても、頑張れば自分が隣にいれたかもしれないのにって後悔したりしない?」
「しない。こっそり泣くけど」
「はは、泣くんだ。楽な友達ポジションに居座って、機会を伺ったりは?」
「しない……というか、凄いこと思いつくね?」
「そう?常套手段じゃない?」

 私の縁下くん像とはかけ離れたことをポンポン言う隣の席の彼を見る。いつもの様に眠たげな目が優しいのに、聞こえてくる声はしっかりと記憶に刻まれていく。

「縁下くんの印象変わったかも」
「それはどうも。でも実際は俺も、思いつくだけで何もしないかもしれない」
「そう、かな。縁下くんに想われる子は幸せだね」

 手の中に一つチョコレートを載せて、右手をそっと差し向ける。縁下くんはその行動に驚いたのか、瞬きを繰り返してから受け取って笑った。
 一口のさらに半分ずつ、チョコレートが噛み砕かれる。甘酸っぱいそれに平然としている彼にずるいと思いながら見つめていたら、そのまま指先を軽く吸った。
 その仕草がやけに色っぽくて動揺を隠せない。次に発せられた言葉を無防備に受けてしまったのは、絶対にこれが原因だと思う。

「俺は西谷が羨ましいよ。そんなに想われて」

 しばらく無言で見つめ合った。どれ位かなんて分からなくなる位、私と縁下くんはそうしていた。ふと、新聞を捲る音が後ろから聞こえて。
 ここは坂ノ下商店だったなぁなんて、今になって気付いたふりをする。

「あ、はは」
「帰ろうか。あ、みょうじさんが泣く時がきたらまたチョコレート、な?」

 泣くことは決定なんだとつっこみもせず、先に立った縁下くんが差し伸べてくれた手を取った。引っ張りあげてくれたぬくもりは、私が立つとすぐ離れる。
 何か行動を起こしたいとは思わない。平凡なりにこの日常が好きだし、西谷くんをこっそり好きでいられるなら満足だ。
 それでも、先に歩き出した縁下くんの後頭部を睨みつけると込み上げて来るこの昂ぶりは。今までの私を否定してしまいそうで、胸を押さえつけて仕舞い込むことにした。



***end***

20140712


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