枯れない


「なまえ!」

 私が大好きなその人は、私の名前を柔らかく呼ぶ。それが嬉しいことで何よりも誇らしかった筈なのに、うまく返事が出来なくなったのはいつからだったかな。
 顔の向きも、さっきまで横を向いて喋り続けていた研磨の方から動かない。研磨の方が顔をあげて、衛輔くんを認めた後私を見て形容しがたい顔を向けてきた位だ。

「なまえ、呼んでるよ」
「分かってる」
「すっごい笑顔だし。返事くらいしてあげなよ」

 幼馴染ってこんな時損だ。顔を見なくても声を聞けば、衛輔くんがどんな顔をしているかくらい分かるから。だから、愛想良くなんて出来ない。
 すっかり不貞くされた私を見て、研磨は溜息を一つ吐き出して小さく手をあげた。私が一方的に喋り続けていた時にはリアクション薄かったくせに。
 思わず睨む格好になると、研磨が口元を緩める。何、その反応。

「お、研磨!こいつ迷惑かけてないか?」
「痛っ!痛いよ、衛輔くん!」
「ん。こっちまでどうしたの?」
「ああ!なまえに用があって!」

 ほら来た。私は奥歯を噛み締めて、肩に力を入れて今からやってくる事態に備える。心臓が嫌な音を立てながら波打つのも分かっていて、浮かべたのは笑顔だ。
 ああ、嫌だなぁ。研磨の顔がまた、難しい表情になっていく。

「もー、何?」
「お前さぁ、俺の彼女の近況知りたいって言ってたじゃん。こないだ撮った写メあるから、ほれ」

 別にデータで送られてきても困るから、わざわざ見せにくる衛輔くんは正しい。それなのにだらしなく笑うのが嫌で、頬を引っ張りたい衝動を抑えるのがやっとだ。
 こんなにずっと衛輔くん一筋で、他の男に見向きもしたことない。それなのに、気持ちに反して信頼ばかりを勝ち取っていることに自分でも吃驚する。
 歴代の彼女を律儀に私に紹介し続けている彼は、私の底なしの黒さをきっと知らない。

「あー、遠距離の」
「そ、中学までは一緒だったけど」

 私は一つ、ミスをおかした。今までの彼女に比べて、衛輔くんが今の彼女と長続きしている原因はきっと遠距離だからだ。
 それとなく幼馴染である私との仲を疑わせることも、噂を流すことも出来やしない。相手には何も届かなくて何も出来ない。
 ぎゅっと、机の下で私の制服のスカートを引っ張られた気がした。横を向くと研磨が小さく顔を振る。大丈夫だよ、そんな顔しないで。
 何にも出来ないんだから、何にもしない。でも願うくらい自由でしょ。

「見せてー!」
「はいはい」

 写真の中で衛輔くんの隣に納まっている綺麗な彼女をみて、心は静かに煮えていく。顔なんか小さくて、美人で、髪も艶々。
 別にいいじゃない、こんなに綺麗で美人なら、男がほっておく訳ないんだから。遠距離恋愛なんて煩わしいものを選ばなくても、近くにいる男でいいでしょ。
 きっと甘やかしてくれるだろうし、毎日一緒にいてくれる。だからこんなバレー馬鹿で、なのに背だって高くない、笑うと可愛いけど、他は鋭いのに私の気持ちには鈍感な男一人くらい。
 私に頂戴?だって貴方が出会うずっと前から、私は衛輔くんが好きだったんだから。そう思っても口から滑る言葉は全然違っていた。

「へぇ、美人!」
「だっろ?でもすごい可愛んだよ」
「衛輔くん、ノロケだ!」
「なまえにくらいいいだろ!バレー部の奴に言ったら馬鹿にされる」

 にっこりと人当たりの良い笑みを浮かべて、私の頭を撫で付ける。一つしか違わない幼馴染は、昔からお兄ちゃん面をしたがる。
 本当は全然知らないんだ。私が衛輔くんをお兄ちゃんだなんて、一度も思ってないことを。小さい頃から変わらない、私の大好きな人。

「あの、おれもいるんだけど」
「研磨はいい!口固いから」
「まぁ、別に言わないけど……」
「衛輔くん、まさか黒尾先輩に知られたくなくてこっちの教室まで来たの?」

 適当にあしらっているつもりはない。でもこれ以上彼女の話を笑顔で聞き続けていられる程神経が図太くもない。
 それなのに少しでも長く衛輔くんの近くにいたい私は、矛盾ばっかりで自分でも嫌気が差す。

「アイツは口軽い!今回の件で学んだ」
「クロはからかってるだけだと思うけど……」
「うわ、衛輔くん挑発に乗りやすいと思われてるんだよ、ドンマイ!」
「お前等俺の味方じゃないの!?」
「「どっちでもいい」」
「それってどうでもいいって聞こえるんだけど、俺の気のせいだといいな」

 当然の様にもう一度頭を撫でられて、ふんわりさせてきた前髪のボリュームがなくなっても文句は言えない。言ったところで、嬉しそうな顔は隠せないから。
 私がわざとらしく口を尖らせたのを見て、衛輔くんは満足そうに頷いた。そんなことで満足出来るなら私を彼女にしてくれてもいいよ。
 なんて、虚しいことばっかり浮かぶ。衛輔くんに彼女がいる期間は、自分でも驚く程気持ちの触れ幅が大きい。

「あれ?なまえ、元気ないな」
「そんなこと……見える?」
「んー……ん、熱は無さそうだけど。お腹痛いとか?」

 許可もなく額に触れて、それから背中をさすってくる。子供扱いだって分かっているのに、触れられた箇所から熱を上げていくのは仕方ない。
 私はずっとこの手が好きで、どんな形でも触れられていい距離にいたいから。

「お母さんみたい」
「研磨、余計なこと言わないで」
「何だよ、研磨!お前もどっか痛いのか?」

 全然違うと頭を振って、研磨は衛輔くんの伸ばしかけた手から距離を取る。研磨と目が合うと、また眉を下げてじっと見てくる。
 心を読むのは止めて欲しい。研磨はきっと私が幼稚でくだらないことを願っていることなんかお見通しだ。そして、きっとそれが間違っていると言いたいに違いない。

「お腹痛いなら、コレいらなかった?」
「あ、ピーチティーだ」
「なまえはこればっかだもんなぁ。はい!」

 机に置かれたそれが誇らしげに見えるのは、きっと衛輔くんが私のことを考えて買ってきてくれたからだと思う。ストローの袋を破るのは早く、口に咥えると急ぎ過ぎだと笑われた。

「美味しい?」
「んー!おいひい」
「単純で助かるわ。んじゃ、研磨。こいつ頼むな?」

 本当に用件は彼女を見せに来ただけだったらしい。そんな事とっくに分かっていたけれど、衛輔くんがドアから消えるまで単純な幼馴染を演じきった。
 笑って細めているはずの目尻に涙が溜まっていく。限界を迎えて流れ出した涙は、ピーチティーと混じり合って甘ったるく溶けた。

「なまえ、もう見えないよ」
「ん。でもこれ嬉し涙だから。衛輔くん、彼女がいたって私のこと考える時間がちょっとはあるもん。いつも、私は特別だし」

 紙パックのジュースにそこまで縋っている私は正直気味が悪い。自分でもそう思うのだから、全部気付いている研磨の負担はどれ程のものだろう。
 謝ろうと思って研磨の方を向き直ったら、目の前にタオルが差し出されていた。見上げると、研磨は横を向いていたけれど。

「はい。もう諦めればいいのに……って言っても、どうせ無駄なんでしょ?」
「……うん。気持ち悪いよね、ごめん」
「おれの方が無駄なことしてるから大丈夫。とりあえず涙拭いたら?」

 研磨の言っていることは時々分からないのに、研磨は私が言いたいことが分かっているらしい。それが悔しくてさらに涙が出てくる。
 大好きな人が幸せになるのを願えない私は、きっとこの先も衛輔くんに女として見てもらえないと思う。そこまで分かっているくせに、今日も衛輔くんが彼女と別れないかなって心の何処かで思うんだ。



***end***

20140621


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