止められない2


 19時40分に飛び乗った新幹線は、21時10分過ぎには俺を仙台へ運んでいた。途中連絡して到着時刻を知らせたら、仙台駅まで行くとなまえから返信が来ていて。
 地元の駅よりよっぽど広い駅構内を抜けて、西口を目指す。タクシー乗り場に一番近い扉付近に、なまえは携帯を握りしめて立っていた。

「なまえ!」
「本当に、いる……」

 人目も憚らず、ぎゅっと抱きしめて閉じ込める。泣き腫らした顔は赤く膨れていたけれど、少し人より高い体温はなまえのそれで。
 可愛い、柔らかい、愛おしい。そんな陳腐な言葉しか思い浮かばなくて、言葉に縋るのももどかしい気がした。

「も……っん!」

 薄く開いた口に吸い付いて、その言葉ごと奪う。あまり会えなくても触れると一瞬でなまえに順応する俺の体は、流れるままにその舌を捕まえた。
 小さく漏れた息が堪らなくて、抱きしめていた手で撫で回す。この時ばかりは切羽詰った声で会いたいと言ったなまえの気持ちを優先させることが出来なかった。
 深く吸い込む様に、噛み付く様に。なまえが俺の胸を押す小さな手すら煩わしく、熱に任せて押し返した。

「衛す……ん、ぁ」
「ん、ん。分かってる、ごめん」
「ふ、ぅ……ぁ、も、」
「ちょっと歩く」
「え?」
「ごめん、今日は時間がないんだ」

 彼女が流されやすいことくらい知っている。だから真っ赤な顔をして怒っている様に見えるのも、手を握って歩き出せば逆らったりしないだろう。
 正直に言えば、仙台に来ても観光なんてした試しがない。なまえの家と、彼女のいる場所。狭い個室と、東京でも変わらない様な施設。
 横になまえがいれば、それで何処だって良かった。

「ごめん!計画性が無くて!」
「ううん、私の所為だし」

 近くにあるファーストフード店に入って、飲み物しか頼まない彼女の目の前で遠慮なく食べる。練習終わりのまま何も食べて来なかったから、限界で胃が痛いくらいだった。
 俺がポテトを咥えたまま手を目の前で合わせて謝れば、なまえはストローを噛んだ後にっこりと笑う。

「最終の新幹線で帰るんでしょ?あとどれ位?」
「ん。21時47分。あと20分くらいとか。少ないなぁ」
「ごめんね、お金も使わせちゃって……」
「それはいいけど。今度は一日中一緒にいたい、から。今日は特別も特別な!」

 俺が笑って頭に手を置くと、照れくさそうに笑うなまえ。その目に涙はもう無くて、この30数分の為にやってきた意味はあったと思う。
 俺の記憶のなまえはいつも穏やかで、泣き虫だけど我儘はあんまり言わない。だから俺に会いたいって言うまでに至った心の揺らぎは、どれだけのものか想像した。
 摘み取れるものなら摘み取っておきたい。俺達の間にある物理的距離は、小さな火種でも大きく育ててしまうことがあるから。

「何か、あった?」
「ごめんね、我儘言って。後輩に言われたんだ」
「後輩?」
「寂しさは凌げるって。でも、会いたくなって。全然そんなことなかった」

 少し歪んだストローを白く長い指で持ち上げて、くるくると回すなまえ。目線が合わない辺り、その後輩って男の気がする。
 嫌な方へ可能性を向けてしまえばキリがない。左手の薬指の小さな石ころでは虫避けにも限度があると、耳をかきあげる手を視線で追いながら思った。

「凌ごうとした?」
「まさか!私は衛輔くんが好きなのに!」

 縋る様な目とかち合って、揺らいでしまったと認める様なもんだとは言わない。俺が心掛けている一番のことを心で繰り返す。
 会って喧嘩別れは絶対駄目だ。無自覚に隙の多い彼女に、これ以上の余地はいらない。

「俺も好きだよ。大好き」
「あ、ありがとう……へへっ」
「なぁ、新幹線まで送って?」
「勿論!ちょっとでも長く一緒にいたいもん」

 ほっとした様に息をついたなまえが、席を立ってゴミを捨てに行った。俺はその背中に嫌という程視線を送りつけ、今の話の真意を考える。
 この話に何か意味があるとするならば、きっと俺が掬って気付くべきことだから。



 手を繋いで駅を歩く。この温かさがもうすぐ消えてしまうと思うと、違和感でしかない自分の都合の良さに笑える。それが日常で、当たり前なのに。
 絡めた手に力を篭めて強引に引っ張ってみた。なまえは少し躓いて、恨めしそうに見上げてくる顔に煽られる。
 傾いた体をそのまま引き摺って、支柱に隠してすっぽり覆う。背中は柱、目の前には俺がいる彼女には逃げ場がない。
 それでも見上げてくるなまえの顔は、眉根を垂れているのに困っている様には見えなかった。

「も、り……ん、っ!」
「なまえ、連れて行きたい」
「私も、ついてきたい」

 噛み付く様に唇を奪って、漏れ出した本音は子供染みた願いだった。それを承知で合わせてくれる彼女に、申し訳なく思いつつ嬉しいと思う俺はもうどうしようもない。
 でも、本当なんだ。このままずっと俺の腕の中に閉じ込めて、俺だけ見ていればいいのに。そんな幼稚なことばっかり思う。

「衛輔くん、私ね。後輩の子に寂しさは凌げるって言われたのはもっとずっと前なの」
「え、それじゃ……」
「でもね、それから会えなくなっちゃって。そしたらどうしてるか気になって」
「……なまえ」
「衛輔くんに会いたかったの。抱きしめてキスして、こんなの気のせいだって思わせて欲しかった、のに、また会えないって言うから」

 我儘言っちゃった、ごめんね。そんな言葉が続いて驚いた顔を隠せない。彼女の懺悔は俺が聞くことで軽くなるようで、代わりに俺の体が重くなった。
 それでもこの脆さも含めて好きになったから、俺に勝ち目なんかないんだ。

「ごめん、不安にさせてるのは俺なのに。嫉妬してもいい?」
「ふふ、いいよ?してくれなきゃヤダ」
「俺だけ見てろよ、馬鹿なまえ」
「や、もう。衛輔くん駄目」
「本当に東京まで連れ帰る?」
「……ん、もり、やぁ」
「お仕置きはちゃーんと、今度会った時にやるから。マジで覚悟しとけ」

 頬を指の腹で撫でながら言ってやると、真っ赤な顔をして小さく頷くなまえ。ああ、俺の彼女は本当に可愛いな。そんな馬鹿みたいなことしか思いつかない。
 でもこれ位大袈裟に言っておけば、しばらくは余所見もしないだろう。もう絶対しないだろうと思えないところが、ちょっと悔しいけど。

「次、いつ会える?」
「8月は、絶対」
「今度は私が東京に行くね」
「うん、待ってるな」

 最後に唇に触れてその柔らかい唇を噛む。印は残さない。見っとも無く足掻く俺の最後の意地だ。くすぐったそうに身を捩るなまえに、好きだともう一度告げた。
 嬉しそうに笑っている、彼女が泣く時に俺はまた傍にいれないかもしれないけれど。手を繋いで改札まで歩いたら、その温かさにこれからも大丈夫だって思えるんだ。
 少なくとも、俺は。



***end***

20140614


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