色褪せない2


「で?何でまた泣いてるわけ……」
「う、あ、ごめ……月島くん?」

 もう敬語を使うことすら面倒になった僕の心情を誰か察してくれないだろうか。自分がおかしくなってしまったのかなんて、悩んだ時が馬鹿らしい。
 この人を自分の所為で泣かせたいと思ったことを後悔したりしていたのに。これは正当な権利の主張だ。

「泣き顔の方がいいですね、先輩は」
「そんな、意地悪っ!」
「今度は何ですか?」
「しゅ、週末にこっちに来てくれるって約束、駄目になっちゃ……っ……うぅっ」

 最後の方は聞き取れなくて、淡い桜色のハンカチに顔が埋もれて見えなくなった。鼻をすする音だけが静かに響く。
 色気も何もあったもんじゃない、そう思う思考の端で、燻って消えてくれない気持ち。もっと困らせて、泣かせて、追い詰めて。
 思いっきり非難してこっちを向いて見てくれたら。僕がどういう目で貴方を見ているか、気付いてくれるわけ?

「ああ、それで泣いてフラストレーション発散ですか」
「ふっ!?」
「あれ?違います?彼氏に会えなくて欲求不満、でしょ?」

 綺麗な顔が困惑と混乱に歪んでいく。なまえ先輩は人を簡単に傷つける様な人間じゃないから、人から傷つけられることに慣れていないのかも。
 ここまで言っても尚、僕を見る目に軽蔑は浮かんでいなかった。馬鹿だなぁ、今ならまだ、見逃してあげられたかもしれないのに。

「月島く……」
「何なら、僕が代わりを務めましょうか?心は満たせませんけどね」

 なまえ先輩の手を棚へ縫いつけると、埃の匂いがした。誰かがここに立ち入ってくる可能性も低そうで、好都合だと頭の何処かが冷静になる。
 やっと僕を見上げて恐怖を感じたのか、先輩の目から涙が一粒頬を伝い落ちた。その雫を舌で追いかけて、掬って舐め取る。
 小さく息を吸ったのが聞こえて、ますます楽しくなってきた。

「や……だ、止め……」
「本当にそう思ってます?」
「どういう、事?」
「一過性でも寂しさは凌げますよ」

 彼女の顔から浮かぶ感情は、寂しい、淋しい、そればっかりだ。遠距離恋愛なんて面倒なことはしたことがないしする予定もないから、どれ程のものかは分からない。
 知りたいとも思えないから、察することも出来ない。この涙は、誰を想って流しても同じ味かもしれないデショ?

「月島く……」
「同じ泣くなら、僕でもいい筈だろっ!」

 本棚を殴りつけて叫んでしまってから、失敗したと気付いた。図書室の入り口の方でガタンと音が聞こえて、誰かが駆け出していく足音が続く。
 なまえ先輩は手を拘束されていて動けない所為か、こっちばかりを伺っていて。僕はともかく、彼女は目撃されるとまずいだろう。
 図書室で会うだけの僕にまで彼氏の話をする女なんて。クラス中で聞かれるがまま遠距離中の彼氏がいると答えているに違いない。

「月島くん、離して」
「……見られちゃまずいから?」
「違うよ、あの、ごめん」
「はっ、謝れば思い通りにいくなら、こんなことになっていないデショ?」

 驚きで止まっていた涙がまた溢れそうになっていて、小さな肩は見て分かるくらい震えていて。それが誰の所為か分からない程、馬鹿じゃない。
 それでも気持ちのぶつけどころも他に分からなくて、睨みつけることを止められなかった。ごめんって、言った。この人、何も知らないんだと思っていたのに。
 もう一歩踏み込んでみると、顔を背けてぎゅっと目をきつく瞑るなまえ先輩。ああ、もうイラつく。それで逃げられる訳ないのに。
 ここまで来てまだ理性が動く自分にまでうんざり。

「ねぇ、先輩。抵抗したら?」
「っ!」
「アンタ本当、いい性格してる」
「月島くんっ!」
「失礼しました」

 追い縋る様な声をかわして、大股で図書室から出て行く。早く出たいと思うのに、足がもつれそうで上手く動かせない。
 最後の泣き顔だけは、僕を想って後悔していると分かった。なまえ先輩はとっくに、僕の気持ちなんて気付いていて。
 分かっていたのに知らないフリをして、とっくに寂しさを埋めていた訳だ。何て滑稽なお話。先輩からしたら飼い犬に噛みつかれたみたいな気分だったかもしれない。

(興味、失せてくんない訳?)

 僕が勝手に理想化していた先輩は、綺麗な心だけではなかったけれど。あの泣き顔だけは頭から消えてくれなくて。
 湧き上がってくるのは加虐心じゃない。僕だって先輩のことばかり責められない。心にまで言い訳していたけれど、本当は何処かで考えていた。
 この茶番に付き合っているつもりが、付き合ってもらっているんじゃないかって。

(人影は見えなかったし、聞こえたとしても僕の声だけだと思う。安心していいよ)

 なまえ先輩に言えなかったフォローを反芻しながら、渡り廊下を通って教室のある棟へと入った。普段は煩わしいとすら感じる騒がしさに、息の上がった自分を隠せると安堵する。
 教室へ戻ると山口もいなくて、良く告白される現場に遭遇する友人もいなかった。八つ当たりも愚痴も漏らすことを許されないと知って、引き摺ってきた足が鈍くなる。

(はー、早く二人、どっちでもいいから。帰ってきてよ)

 絶対口に出せないことを思いながら、自分の机で丸くなった。ヘッドフォンで周りの音は遮断出来ても、なまえ先輩の僕を呼ぶ声までは掻き消せない。
 目を瞑ると泣き顔まで浮かんでくるのに、それを解消する術を知らなかった。僕はもう彼女のいる図書室へは行かないから。
 この記憶はしばらく、上書き保存されることもなくランダム再生されるのだろう。



***end***

20140608


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