色褪せない1


 手に入らないもの程魅力的に見えるとは、誰が言っていたのか。覚えてもいないけど、とにかく。先人達が言い、後世まで残っている言葉にはそれなりに意味があるらしい。
 僕はとくに自分でも結構な性格をしていると思うから、余計に絡まって抜け出せなくなってしまったのかもしれない。



 教室内ですらヘッドフォンを手放せないのは、纏わりつく視線と聞こえてきそうになるくだらない話を聞く気がないと主張する為。
 僕は笑顔を安売りするけど、肝心なところでにっこり微笑む気なんかない。中学、いや、それこそ小学校の頃から。
 女の子の集団の力というものに面倒さと煩わしさを感じていたから。気安く関わるな、触れるな、入ってくるな。どうせ上辺でしか、物事を測ることも出来ないくせに。
 なんて物騒なことを案外本気で考えていたりする。

 僕は何処で歪んでしまったんだろう。思えば、素直だった頃の方が短くなってしまった気がする。珍しく感傷的になってしまうのは苦手な夏も近いからか。
 図書館へと足を向けながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

「あ、月島くん。こんにちは」
「どうも」
「あの先生の新刊入ったよ。今ならまだ空いてる」

 小声で楽しそうに告げられたのは、願ってもない情報で。顔が緩みそうになるのを必死で堪えて、新刊が置かれている本棚へと目を滑らせる。
 女は怖いなんて言っておきながら、男は現金なものだ。それなりに美人で愛想がいい人に、名前を覚えていて貰えるのは悪い気がしない。

「先輩はいいんですか?」
「私はもう読んじゃった!図書委員の特権だよー」

 作業中の本を少しだけ上げて口元を隠す様は、あざといと言えばそうだ。でもなまえ先輩にはそれが似合っていて、彼女らしいとも言える。
 小柄で白くて長い髪はさらさら。ちょっと間抜けで穏やかで大人しそう。男の理想を体現した様な先輩は、同じ学年じゃなくても名前はすぐ分かった。
 尤も、僕はこの図書室で出会うまで存在すら知らなかったけれど。

「今日は機嫌がいいんですね」
「えっ?」
「前は泣きそうだったじゃないですか」
「……や、嫌だなぁ。見られてたんだ」

 へへっと力なく笑うのは、この人が悲しい時も笑って誤魔化す癖がついているからだと容易に想像出来た。お人好し。
 そんな言葉がぴったりで、僕とは真逆。だから少し憧れ、少し憎らしい。

「別に。誰かに言ったりしませんケド」
「う、月島くんって大人だなぁ」
「……は?」
「私の言いたいこと、先回りして答えてくれるんだもん」

 じくじくと自尊心と好意を燻ぶられる。それを自然とやってしまうのが、なまえ先輩の怖いところだ。勿論、その感想はおくびにも顔になんて出さないけど。
 この人といると饒舌になってしまうから、今更手遅れなのかもしれない。

「はー……で?機嫌が良い理由は?」
「え、あ……。馬鹿にしない?」
「早く言ったら?」
「う。昨日、彼氏が夢に出てきてくれたんだよ……それだけ、なんだけどね」

 真っ赤な顔をして俯いていくなまえ先輩には、僕が白けた顔をしてみせてもきっと伝わらない。辛辣な言葉を吐いたって、そうだよねとか肯定しながらも照れるんだ。
 ムカつく。

 隙も多そうな彼女に、学校の人間が露骨に言い寄ってこない理由は出会った初めから知っていた。左手に光る安っぽい指輪。
 因みに、安っぽいとは僕の精一杯の負け惜しみによる偏見だ。出会っていたのが僕の方が先なら、なんてくだらない。
 そんなことは2つ年上のなまえ先輩に、流石に言わないし馬鹿らしいとも思う。

「夢、ですか?」
「うん。私達、遠距離だから」
「ああー……それで泣いて、」
「う、わぁ!月島くん、声抑えて!」
「先輩の方が大きいですよ?馬鹿なんですか?」

 肩を揺らして周りを見渡してから、小さい手で頬をペチペチと叩く。実際誰もいないんだから、どうってことはないのに。
 本当に馬鹿らしい。意味のない動作一つ、逐一までを脳の皺に刻み付けようとする自分自身が。こんなことしたって、永遠に分かられやしないのに。



 苛々と戦うのは慣れっこのつもりだ。僕はその辺の気持ちともバランスよく付き合えるだけの経験値を得てきたから。
 それなりに可愛い女の子を目の前にして、笑顔を浮かべながら言う言葉は決まっている。

「あの、その、好……」
「無理。ごめんね?」
「え……っ」
「えって……断られて驚くもの?大体君、誰?」

 女の子の顔がみるみる歪んで、失格だよと悪態をつく。泣きそうな表情は少しだけ、僕の良心を蝕むけれど。なまえ先輩みたいに加虐心を煽られるほどじゃない。
 目の前に誰もいなくなってから、一つ溜息を吐き出す。最悪なことに今日は友人にまで見られていた。もう少し場所を考慮してくれないかな。

 僕はなまえ先輩には図書室でしか会わないと決めている。他の場所で見かけても、会釈する程度。先輩もそれを理解して、話しかけてくるのは図書室でだけ。
 無理矢理秘密を共有させて、関係性をこじ開ける。普段やらない事をやってみたけど、成果のほどは全く無い。そのことに、自分でも驚くほどイラついている。

(元から他人のモノなのに。早く興味、失せないかな)

 まるで他人事みたいにそう願ってみても、結局何も変わらない。行くのを止めたら終われるのに、絶対そうしないのも同じこと。
 あの泣き顔を見た時から、ずっと。



 いつもの様に図書室に足を向けてみると、なまえ先輩は奥の貸し出し禁止の棚の影に隠れて声を殺して泣いていた。
 カウンターにいなかったから、わざわざ探し回ったのに。本当に勘弁して欲しい。


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