「間にあっ……」
「ってない!また遅刻だ、みょうじ!」
「すみませんー!」
教室に駆け込むと、すでに先生が教壇に立っていて呆れた声を向けられる。クラスに笑い声が漏れる中、すごすごと自分の席へと座った。
「お前、来週も遅刻したら補習な」
「え、えーっ?」
「えー、じゃない!これでも温情措置だぞ!」
先生は毎回怒ってくれる分、確かに優しいのかもしれない。私はどうも朝が苦手で、遅刻ギリギリもしくは間に合わない。
温情措置と言われたということは、もうこれはガチ中のガチのやつだ。自分でも何言っているか分からない。要は遅刻駄目、絶対。
それでも起きられる自信がなくて、机で頭を抱えて悩みまくる。そんな私の心境なんてお構いなしに、隣の席の木兎が呑気な声を出して言った。
「お前何でそんな遅刻魔なの?」
「木兎って遅刻はしないよね……」
「だって俺、朝練あるし!」
「そっかぁ。私は何か、朝駄目なんだよね」
「遅刻してきてお喋りとはいい度胸だよなぁ、みょうじ?」
ぐだぐだと話していたい気分もさっと引いていき、ノートと教科書を急いで広げる。遅刻はともかく、授業態度と成績は真面目で通っている。
先生も溜息一つで見逃してくれて、木兎をからかうだけに終わった。ごめん、木兎。
「ヘイヘイ!来週の朝、電話してやろうか?」
「うーん、着信音でも起きられるかどうか……」
昼休み、ご飯を食べる前に木兎に捕まってしまって動くに動けない。私にとって死活問題でも、木兎からしたら関係ない話ではあるのに。
そう思うと、木兎ってすごくイイヤツだ。
「木兎さん、いますか?」
「おー!赤葦!」
「失礼します、コレ。今度の練習試合の対戦相手のデータ、上がってきました」
「あか、赤葦くん!こんにちは」
「みょうじさん、こんにちは。いつも木兎さんが迷惑かけてすみません」
「何だよ!迷惑かけてる前提とか酷くね?」
さっきまで感謝すらしていたくせに、あっさりと木兎が視界からフェードアウトしていく。今の私には赤葦くんしか見えない。仕方ない、毎日会える訳じゃないから貴重だし。
本当にもう木兎って強引で!なんて言いたいところをぐっと耐えて、控えめに首を横に振る。少しだけ猫被っている自覚はあるけど仕方ない。
何回も言うけど仕方ない。木兎の後輩である赤葦くんに片思いをして二年目。当たり前だけど全く進展のない関係に、せめて印象良く映っていたいとしか考えられなくなっていた。
「もし何か嫌なことがあったら遠慮なく言ってくださいね。あと、話を聞き過ぎず流すことも必要ですよ」
「コラ、赤葦!それって俺がうるさいみたいじゃんか!」
「自覚がないんですか?それともツッコミ待ちですか?」
「みょうじ!どう思うこいつ!何か言ってやって」
「え、え……流石だなって」
「やめろよ、みょうじ!赤葦みたいになんないで!いつまでもちゃんと俺の話聞いてー!」
本当は格好良いと言いたいところだけど我慢。でも本当に赤葦くんの対木兎スルースキルは素晴らしいものがある。初めて会った時も、木兎の話を聞いて相槌を打っていたら逃げられなくなった私を助けてくれた。
あの時は先輩相手にすごい後輩だなぁと思っていたけど、何事にも動じない赤葦くんに気付けば尊敬を通り越して夢中になっている。
「そういうの、迷惑だって言ってもいいんですよ?」
「だから!俺が迷惑って流れで喋るのヤメテ!今だって俺はみょうじの力になろうと……」
「わ、それは言わないでー!」
遅刻のことを言い出しかねない木兎の口を手で押さえ込めた。まずい、非常にまずい。ただの先輩から、遅刻常習犯に格下げなんて最悪だ。
木兎の口を抑えたまま、何でもないと笑おうとする。すると見上げた先の赤葦くんは、眉を吊り上げて珍しく顔に変化が見られた。
気になってじっと見ていても、勿論答えなんて返ってこないけれど。
「じゃあ、木兎さん。また後で」
「フォフッ!」
手の中に息がかかって慌てて飛び退いた。ごめんと木兎に謝ったら、何故かニヤニヤとした顔をして嬉しそうに「別にぃ?」と返ってくる。
ああ、赤葦くんと会えた今日はいい日かもしれない。遅刻のことも来週のこともすっかり忘れて、この時ばかりは赤葦くんとお喋り出来た事実を噛み締めていた。
「ん、んー……あと、5分」
決戦の朝もいつも通り、鳴り響く目覚まし時計を無意識に止めてしまったらしい。それでも聞きなれない着信音に、いつもとは違う思考が入り込む。
携帯が鳴っている。右手だけを探っても一向に掴めず、ついには転がった携帯と一緒にベッドから転げ落ちた。
「痛っ!なに、朝?早っ!まだ6時なんですけど……?」
携帯は見知らぬ番号からの着信を知らせていて、時計はまだ6時前を示している。目覚まし時計を勝手に止めたと思っていたのは間違いで、まだ鳴ってすらいなかった。
おかげというべきか、所為と罵るべきか。この、朝も早くからの着信のために重い目蓋が開いた訳で。長時間鳴り続ける携帯に、指をスライドさせて出てみることにした。
「ふぁい、違います……」
(みょうじさん、起きました?)
「……っあ、あ?」
(赤葦京治です。起きてください、みょうじさん)
携帯を思わず取り落としそうになる。何これ?何のドッキリ?今の声で完全に目が覚めた。ちょっと二度寝出来るなぁなんて思っていた私よ、さようなら。
一度は遠ざけた携帯を耳に押し当てる。しっかりと繋がったままのそれが、赤葦くんの落ち着いた声を運んでくる。つい、背筋を伸ばして床に正座した。
「起き、ました。あの、何で?」
(木兎さんに聞き出したんです。先週様子がおかしかったから、気になって)
「何か言われたんじゃなくて……」
(聞き出しました。あっさり教えてくれましたけど)
一定の速度でもたらされる事実に、私の理解速度が追いつかない。どうして赤葦くんが私のことなんかを気にかけてくれているのかとか、木兎のあの時の笑った顔とか。
こんな時間にわざわざ電話をくれる赤葦くんの行動の意味とか。聞きたいことは沢山あるのに、真っ先に言うべきことはこれしかなくて。
「おはよう。あの、赤葦くんのおかげで目覚めバッチリです」
(そうですか。なら良かった)
「これ、赤葦くんの携帯番号ですか?登録とか、しても……」
(俺はしましたよ。みょうじさんの)
起きて初めに聞く声が赤葦くんってことがもう最高なのに、その勢いは止まることを知らないらしい。勇気を出して良かった。
もう木兎様にはお礼言うくらいじゃ済まない。これからもちゃんと話聞くし、課題だって見せてあげちゃう。思考が学校へ行った後のことに飛んでいたら、電話の向こうで声が続いていた。
(朝苦手なんですね。明日からも続けましょうか?)
「え?何……って電話?いや、えっと、赤葦くんにご迷惑が」
(木兎さんは流せないのに、俺のことはあしらうんですか?)
「そんなつもり……」
(じゃあ、そういうことで。二度寝止めて下さいね、また学校で)
そのまま通話は終了して、2分弱の通話時間が記録されているだけ。震える指先を何とか動かし、赤葦くんの番号を登録した。
ずっと苦手だった朝だけど、明日からは正座して待ち構えているかもしれない。赤葦くんと今以上に関わることで、ボロが出てしまうこともあるだろうけれど。
やっぱり嬉しさの方が圧勝で、鼻歌を歌いながらパジャマを脱ぎ始めた。
***end***
20140719