夕方の暑くて仕方ないアスファルトの照り返しを避けながら、公園を突っ切って家まで少し遠回りで歩く。この方が余計暑いかもしれないけど、日に焼けない方を選んだ。
私の提案を断るのも面倒だと思ったのか、練習試合終わりのスポーツマンである彼は二つ返事で了承して。蝉の声がうるさい木々の間を、黙ったまま抜けていく。
少し先を歩く恋人の頭に向かって視線を送る。すると相手は私が立ち止まったのを感じたのかそれとも視線を感じたのか、後ろを振り返ってちょっと首を傾けた。
「どうした?」
「……どうして?」
「今日は静かだから」
「京治は背が高いなぁって思ってただけ!」
少しだけ語尾が跳ね上がって、ムキになってしまったのを気付かれただろうか。梟谷学園のバレー部は強豪として有名で、練習試合でもたまにギャラリーがいる。
その中の一人が「セッターの人、背が高くて格好良いね」なんて言っていたのが耳に入った。別に事実だから気にしてない。本当に、ちっとも。
でも身長ならエースの木兎さんや一年生の尾長くんの方が高いし、かといって私は背が低いしでもやもやした気持ちを整理しきれなかった。
そんな私の心を覗き込むかのような切れ長の目には、躊躇いが無くてこっちが戸惑う。次の瞬間にはもう、音も無く屈んだ京治の顔がいつもよりずっと近くにあった。
「わぁ!近っ、近過ぎるよ」
「身長差が気になるなら、屈めば問題ないと思って」
「それはそう、だけど。京治がしんどいかもしれないし」
「全く」
「そう?うう、うーん」
「俺が構わないのになまえが納得出来ないって、何?」
表情に変わりはなく、淡々と言われるのが逆に怖い。京治は悪くないのに、私が合わせてもらうのが申し訳ないのだ。
それをどう言えば分かって貰えるだろう。自分の小さな体を見ながら、制服のスカートを摘み上げて望みを差し出した。
「もう少し背が伸びたらいいのに」
「今のままで可愛いからそれでいいよ。なまえが俺みたいにでかかったら怖い」
「私も180センチもいらない……」
「あっさり流したな」
「え?」
「え?」
疑問符にオウム返しをされて、教えてくれる気はないらしい。こうなると京治が答えを簡単にくれるとは思えないので、頭に手を当てて考えてみる。
いつまでも正解を導けない私に業を煮やしたのか、京治の冷静な顔から溜息が零れた。心なしか、木兎さんに接している時の顔と似ていて申し訳ない。
「そんなに背、高くなりたい?」
「うん、ちょっとは……わ!」
回答しきる前に、京治によってあっさりと抱えられていた。目線はしっかりと立った京治と一緒で、ぐっと近くなった距離。
嬉しいはずなのに、やっぱり恥ずかしい。ここが公園のただ中ということもあって、顔すら逸らせない距離が羞恥心を煽った。
「これでいい?」
「や、あの、降ろして!」
「同じくらいだろ、何が不満?」
「不満とかじゃなくて、あの」
足をじたばたさせても全く拘束が解けない。京治の力強さに男女の力の差をまざまざと見せ付けられた気分だった。
私の焦る顔を見てにっと笑う京治は意地が悪い。公園だし人だって通るだろうし、どうしたら降ろしてもらえるかを考え始めた。
「京治、おろして」
「真っ赤だな。そんなに嬉しい?」
「違……分かってて言ってる!」
「なまえこそ、お願いする時はどうしたらいいか分かってるくせに」
ぎゅっと腕に力を入れられて、痛いくらいなのに心地よい。私はとっくに京治のペースに嵌っていて、それが当たり前になっていた。
変化のあまりない顔の、目の奥が光っているのは分かる。悔しいけど、自分からどうするかを選び取らないと願いは聞き届けてもえらそうもない。
それが分かっているのに、ドキドキしてしまうのは京治が好きだからなんだ。
「京治、おろして欲しいな?」
「……」
「もう、背が高くなりたいなんて言わないから!」
「……」
「ヒールの高い靴も買いません」
「ん」
片手で私の腰を抱くように抱え直した京治は、易々と私の頬を撫でる。重たくないのかと言いたいけれど、それどころではなかった。
自由度は増えたのにおろしてくれる気配がない。さっきより重みを体で支えている分、もう京治の顔が目の前で。きっと私の顔は真っ赤だと思う。
キスされる。そう思った瞬間、多分ほんの数センチを残して京治が止まった。こっそりと目を開けると、まじまじと私の顔を見つめたままの彼が。
さも当たり前みたいに、表情を変えずに言った。
「なまえからして」
「えっ?」
「降ろして欲しくない?」
「おろして欲しい、けど」
「じゃあ、おねだり出来るよな」
私が言葉につまると、京治は再びにんまりと笑う。勝ち誇ったその表情は、私がそんなこと出来ないと思っているに違いない。
確かに恥ずかし過ぎるし、京治と違って慣れないし。公園の小道とは言え往来でそんなことする発想は無かったけど。出来る訳ないと思われるのは癪だ。
私だって、ちゃんと京治が好きなのに。だから、少しくらい背が高くなりたいのに。
「っふ、冗だ……っ!」
「ハイ!お、おろして?」
「……」
キスというより、ぶつかっていった。一瞬だけ触れた京治の唇は、薄くて色気がある。じっと見ているのは耐えられなくて、顔を逸らして偉そうに言ってみる。
それなのになかなか降ろしてくれないから、腕でぐいぐい胸板を押すと黙っておろしてくれた。身長差が元に戻ると、やっぱり少し遠い。
見上げると京治は眉毛が少しだけ中央に寄っていて、要求通りに事が運んだのに何が不満なのだろうと首を傾げた。
「なまえ」
「なに……っん、ふ、」
気付けば後頭部を抱えられていて、口内に京治の舌が割り込んでくる。頭からつま先からぼーっとして京治のことしか考えられなくなるから、私はついていくのがやっと。
きつく目を閉じてしまうから、京治がどんな顔をしていたかは分からない。しばらく好き放題されたあとにやっと開放されると、誤魔化すように睨み付けた。
目の前の彼はいつも通り、馬鹿にするでも笑うでもなく私を見下ろしている。
「良かった」
「……はい?」
「なまえがあんまり可愛いお強請りするから。誰かに仕込まれたのかと」
「け、京治が言ったくせに!」
「ん。いつも通りで安心した。背伸びなんかする必要ないんだよ」
ぽんぽんと頭を叩かれて、京治は先に歩き出してしまった。私の考えをすべて見透かしていたみたいな彼の声は、私の中にすとんと素直に落ちてくる。
あんなに拘っていたくせにね。京治の為って思っていたけど、自分の為だったならそんなこだわりはいらない。
「京治、待って」
今日も結局屈んでくれた背を見つめて、勝手に緩んでいく頬を叩く。空いている腕に手を絡めて「京治、大好き!」っていつもみたいに言ってみよう。
「はいはい」ってあしらわれるか、「知ってる」って嬉しそうに言われるか分からないけど、とにかく言わなきゃ気がすまない気分。
私はちょっとずつしか成長しないけど、京治が待っていてくれるなら期待に応えたい気持ちはあるから。もう少しだけ、待っていて欲しいな。
***end***
20140812