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異常事態発生


 照りつける太陽と、圧倒的な数をもって主張してくる蝉の声。日光を直接受けない体育館でも、じわじわと温度を押し上げる威力までは防げない。
 蒸し風呂。そんな言葉がぴったりだ。Tシャツにジャージでジャグを運んだりタオルを交換したりしているだけでも汗がしっとりと滲んでくる。
 コート内で飛んで走って打って拾う選手たちはそれ以上だと思う。洗濯量も飲み物の消費量も半端じゃなく、先輩マネージャーの二人も走り回っていた。
 私は二人に比べればまだまだで、一度にこなせる仕事の量も多くない。せめて足手まといにならないようにしようと、動けるだけ動いてカバーするつもりでいた。

「みょうじ」
「どうしたの、赤葦くん」
「これ、巻いてもらっていい?」
「テーピング、外れちゃったんだ」
「ん。利き手は自分でし辛くて」
「そんなこと。どっちの手でも私でよければやるよ?」

 体育館から出て洗濯物を抱えて走っていた私を呼び止めたのは赤葦くんで、取れかけたテーピングを長い指で解く。ちっとも困っているように見えないのは彼らしい。
 表情の見えない瞳をじっと向けられて、荷物をおろして手を差し向けた。すると、ぐっと腕を引かれて数歩移動させられる。

「あ、か、葦くん?」
「こっち。そこ日が当たるから」
「ああ……」
「頬赤いけど大丈夫?暑くない?」
「皆暑いよ、夏だもん!」
「そういう意味じゃないんだけど」

 見下ろされた上から溜息が降ってきたかと思うと、急に赤葦くんがしゃがんで。手を前に差し出してきた。反対の手にはテーピングが握られている。
 私も必然的に座り込むことになった。赤葦くんの手を持つと、自分の方が体温の高いことに気付く。それは手越しに彼にも伝わったらしく、珍しく眉間に皺が刻まれていた。

「水分、ちゃんと取ってる?」
「えっ?でも、」
「部員もそうだけど、マネージャーも気を付けないと。同じ暑さの所で頑張ってるんだから」

 赤葦くんの何気ない一言は、私を気遣ってくれてのものだと思うけど。咄嗟に否定的な言葉が頭に浮かぶ。きっとコートとラインの一歩外は、同じ熱さなんかじゃない。
 何と答えていいか分からずに、黙々とテーピングを巻いた。痛いくらいに刺さる視線から、気付いているのに逃げてしまいたい。
 先輩マネージャーの指導の賜物で、テーピングを巻くのもすっかり上手くなったと思う。出来たと声をかけて逃げるように立ち上がったら、目の前がぐらりと揺れた。

「みょうじ!」

 目の前が真っ暗になる直前、最後に見たのは叫んでいる赤葦くんの焦った顔。珍しい、試合以外でこんな顔をすることもあるんだなぁ、なんて。
 自分の体が思い通りにならないのも分かっていたのに、そんな間抜けな感想しか頭になかった。



 次に意識を取り戻すと、真っ白な天井が目に飛び込んできた。何度か瞬きをして顔を動かせば、ベッドの上に寝かされていることに気付く。
 起き上がろうとしたら体が重くて、頭も少しだけ痛い。手で支えて何とか上体を起こしたところで、カーテンの向こうに誰かが入ってくる物音がした。

「みょうじ、起きてる?」
「起きてます……って赤葦くん?」
「ん。具合どう?荷物これで良かった?一応先輩たちに確認してもらったけど」

 制服姿に着替えていた赤葦くんを見て、一体どれだけここにいたのだろうと嫌な考えが頭を過ぎる。私の鞄と制服が入った紙袋を差し出して、彼はじっと見下ろしたまま。
 言葉には心配してくれていると思えるのに、表情や声色からは怒っているようにも感じた。荷物を受け取りながら、次の言葉はどれにすべきかを考える。

「ありがとう、えっと、今は……」
「8時。もう練習終わって皆帰ったから。ここも施錠して帰れって先生が」
「もうそんな時間?」
「こら。急に起き上がろうとしたら危ない」

 ベッドから飛び降りようとしたら、赤葦くんの腕にあっさりと阻止されてしまった。動かした頭が揺れる。バランスを崩してふらつくと、傾いた先はその腕と胸で。
 赤葦くんが受け止めてくれなかったら、地面に頭から落ちていたかもしれない。そんな非常事態なのにドキドキして、一瞬頭の痛さも遠のいた。

「ご、ごめ……」
「これ飲んで。ゆっくりでいい」

 片腕で簡単に私を支えたまま、鞄の中から取り出してくれたのは清涼飲料水で。赤葦くんが小さく溜息を吐くのを見て、やっと気付いた。
 頭の痛さも、体のしびれも、顔の熱さも。軽い熱中症の症状だったんだと。そして、その予兆を察知してくれていた人。
 目の前の彼が怒っている原因に思い当たると、申し訳なさでいっぱいになった。

「ごめんね。ありがとう」
「送っていくから」
「ううん、それは悪いよ!」
「そんなフラフラしてるのにどうやって一人で帰る気?」
「さっきよりマシになってきた、かも。これのお陰で!」
「病院に無理矢理連れてってもいいけど」
「……送って貰っていいですか?」
「だから、そう言ってるだろ。着替えも俺が手伝うって言い出す前に始めた方がいいよ」

 貰ったペットボトルを掲げて言ってみたら、とんでもない答えが返ってくる。赤葦くんは冗談を言うような人だと思えないのに。
 カーテンを引いて出て行かれると同時に、慌てて制服を紙袋から取り出す。終始眉が中央に寄っていた彼の顔に、心配をさせてしまったんだと反省した。

 帰りの道にはすっかり月が上がっていて、ゆっくりと歩く道には私と赤葦くんくらいしか見当たらない。荷物も持たせてしまっているので早く帰りたいけれど。
 最初、私の腕を持ったまま歩こうとする赤葦くんにそれは大丈夫だと抵抗した。そのことが彼には不服だったらしく、背中の数センチ後ろで大きな手が構えられている。
 少しでもふらつこうものなら、きっとさっきより恥ずかしいことになる。後ろからの威圧感をたっぷりと感じながら、慎重に歩く他なかった。

「今日はほんとうにごめんね」
「いいから。俺も異変に気付いてたのに倒れるまでなるなんて……」
「や、それは私の不注意だし!」
「……っ、ごめん」

 これだけ助けてくれていながら申し訳なさそうにする赤葦くんに、それはおかしいと言おうと見ないようにしていた右隣に振り向く。すると思ったよりずっと近くにあった赤葦くんの顔が視界いっぱいに飛び込んできた。
 瞬きをして驚いている間に、結局赤葦くんに謝らせる事態に陥る。彼は何も悪いことをしていないのに、今日の私は本当に駄目だ。

「赤葦くんが謝る必要なんてないから。私、これから迷惑かけないように気をつける」
「そうして。他の人の前で倒れられたら困る」
「うん。マネージャーが部員に世話してもらっちゃ意味ないよね」
「そういう……あー、うん」

 すっかり背筋を戻している赤葦くんの顔はいつも通り上の方にあって、それに寂しさを覚えた私は勘違いしないようにと言葉をつなぐ。
 心配してくれたのはマネージャーだからで、彼はバレーをより良い環境でしたいだけだと。そう思わないと、勝手に膨らんでいく気持ちが態度に出てしまうそうだったから。
 後ろにいた赤葦くんが溜息を一つ吐き出して、それから少し追い抜かれる。その背中を追って私も歩を進めると、横に並ぶまで待っていてくれた彼がこっちを向いた。

「みょうじ、言っておくけど」
「ん?」
「倒れたのが他の誰でも、俺はここまでしないよ」
「何……きゃあ!お、降ろして」
「駄目。口で言っても分かってないみたいだから」

 あっさりと横抱きに抱えられて、吃驚したもののふらついて思わず首にすがり付いてしまう。おろせと懇願したけど、怒っている様子の赤葦くんには通じない。
 重たいでしょうと問えば、「保健室までどうやって運んだか知ってる?」と逆に聞き返されて黙り込むしかなかった。
 私が観念して大人しくなったのを見て、赤葦くんはやっと笑顔を見せてくれたけど。こっちは恥ずかし過ぎてそれどことではなくなってしまった。
 結局しばらくしたらおろしてくれたけど、もう熱中症にもかからないし体調管理はしっかりしようと思う。じゃないと心臓が持ちそうにないから。



***end***

20140805

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