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「お茶」

 ぶっきらぼうにそれだけを告げた徹の右手で、コップが私の方へ傾いた。チャプっと音がして、少ない中身が存在を主張する。
 黙ったままでいると、もう一度揺らされて音がした。徹は炬燵から出たくないのか、私にコップを渡すと机に顔を埋める。

 炬燵から抜け出すと、寒さに身を捩じらせる。階下を駆けるように降りて、勝手知ったる徹の家の冷蔵庫から沸かされて作られているお茶を注ぐ。
 リビングにも誰もいない。この時間はいつもおばさんもいないことが多いけど、少しだけ息をして緊張を逃がす。
 この家には今、徹と私しかいない。その事実は、私の体のどこかを緩く締め上げる。

「はい」

 声をかけながら渡すと、一瞬コップを睨んでからこっちを向いた。それなのに一瞬で、またそっぽを向かれてしまう。

「……違う。もう一回行ってきて」

 まさか、注ぎ足したのがバレた?そう思って内心ドキドキしながら、ちらっと彼を盗み見た。

 横顔も綺麗で整っている。思わず見惚れそうになって思考停止寸前の脳をぶんぶんと振り回す。眉間に皺。察するのは戸惑い、焦り、イラつき?
 炬燵に入る間も与えられずに、もう一度傾けられるコップ。私は考えがまとまらないまま、またドアを押し広げて寒い廊下へ向かった。



 コップをさっと洗って新しいお茶を冷蔵庫から取り出して、注ぐ。今度は完璧だ、ばっちり!そう思っていたのに。
 徹の部屋のドアを開けただけで、射すような視線に捕まる。

 理由が分からず途方にくれて、合図の様に首を少し傾けた。こんな時は大抵、私が何かドジをした時なんだけれど。
 しばらく無言の攻防を繰り広げた後、徹はやっぱり目を逸らしてついには頭を抱えてしまう。

「全く、俺のミスだよ」
「……え?」
「そーだよねぇ。なまえに回りくどいのが通じるはずないよね!」

 全くこのお馬鹿さん!とプリプリ怒っている徹を見ていると、私の嬉しくない予想は当たっているらしい。コップを持つ手に力が篭る。
 戸惑い、焦り、疑問。私はいつだって徹の期待を大幅に下回る。彼は私を信じてくれるし、期待してくれるのに。
 そんな私を通り越すように指される長い人差し指。

「冷蔵庫、ちゃんと見た?」

 あーかっこ悪い、と言っただけで、さらに炬燵に埋まる徹。言葉の意味を噛み締めたら、徹の部屋の戸も全開で冷蔵庫まで走る。
 数分前の自分を、冷蔵庫の手前しか見てなかった自分を叱りつけたい。

 人様のお家だし、といつもはあまり見ない様にしている冷蔵庫。私の目線と一緒の高さの一番手前に小さな白い箱。
 どう見たってケーキの箱。その箱に走り書きされた、なまえ用という徹の字。

 これは間違いなく私が気付くべきことだった。駆け足で、それでも箱を水平に保つように。私は急いで徹の元へ。
 息を切らして部屋へ戻ったら、彼は呼吸を整える私を見てやっと笑った。

「徹……、どして?」

 両手でそれを抱えながら、視界はもう滲んでくる。だって今日は……嘘だ。全然気にして無いと思っていたのに。
 知っていてくれていたなんて、予想していなかった。

「何だよ。いつもみたいに今日は記念日だねって言わないの?」

 いつもは帰り際だもんねと言いながら、長い人差し指が溢れそうになる涙を掬ってくれる。

「とおる……?」
「好きなんてすぐ言えるけどね、俺が言ってもほら、軽いんでしょ?」

 誰かが言っていた陰口は、徹にも伝わっていたんだと知った。無関係の女子なんて無責任なもので、その場その場で表情も言葉も変わる。
 そんなことないよと口が動く前に、唇に長い指が移動して先を封じられた。

「でも、俺のことずっと信じてくれたお前の大事にしてるものを俺も大事にしたいしね」
「それで……ケーキ?」
「うん。なまえ、愛してる。記念日、これからも2人で祝おうね?」

 いつもより落ち着いた、誤魔化しのない声。少しの不安と期待がこもった、そんな声。

「……忘れないでくれる?」

 半年後も、1年後だって。覚えていてくれるならケーキなんていらない。この気持ちを共有してくれるなら、愛しているって言ってくれなくたっていい。

「当たり前!なまえとの約束、俺はちゃんと忘れません」

 ちょっと苦い顔をした徹が私の頬に手をのせて、ぐっと顔を上に向けられたら。それが合図。

「……っ」

 啄ばむ様に触れられた唇がくすぐったい。頬にのっていた手がいつの間にか髪をかきあげて、後頭部に移動する。
 何度も角度を変えられて息が苦しくなる頃には、さっきの嬉し涙は止まったはずなのに別の涙が端から零れて。

 ケーキを思い出した時には、まるで私みたいに、炬燵の熱でクリームが柔らかくなっていた。



***end***

20131220

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