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甘い薬と処方箋


 なまえは目に付いた石を躊躇いもなく蹴り飛ばして、思いの他足が痛かったことに舌打ちをした。自分の所為なのに理不尽を感じ、鈍い痛みに悪態をつく。

「痛……ぁ。もう、涙出そう」

 本当はもっと前から泣きそうだった。我慢していた最後の境界が、自分の采配であっさりと崩れるのはいつものこと。
 ローファーの角を睨みつけても、何も変化は見られない。ただ、大粒の水滴がすぐ隣のアスファルトに落ちて色を変えた。

「……ぐ、っふう、ぅ」
「はい、使って?」
「……っ!縁下、くん!?」
「ごめん、もっと早く声かければ良かったんだけど」

 縁下が申し訳なさそうに綴る言い訳に、なまえは居たたまれなくなって顔を背ける。声をかけるも何も、この場についた途端に石を蹴ったのだ。
 縁下もさぞかし驚いたことだろう。地味で目立たないクラスメイトが、片足を振り上げたと思ったら舌打ちするなんて。

「あり、がと……」
「ん。何か嫌なことでもあったの?」

 そういう時ってあるよね、そんな風に幻聴が聞こえてきそうな程、縁下は優しく笑った。気遣いの感じられる声色も、全てがなまえに染みる。
 今、優しくされるのは辛い。涙が止まらなくなりそうで。



 しばらく黙ったまま、縁下は隣にいてくれた。なまえの呼吸が落ち着いた頃、手の内を晒すように差し出された手に、リボン型の包みのキャンディが乗っていた。
 場違いなほどカラフルで、おかしくなってしまう。

「あげる」
「可愛い……」
「ん。女の子ってこういうの好きだね。まぁ、これは女子力の高い男の先輩から貰ったんだけどさ」

 いちご味だよ、と付け加えられた情報に、なまえの喉の奥が潤った。

「貰い物、いいの?」
「うん……っていうかもう食べる気満々じゃん」

 包み紙を引っ張る寸前の自分を見て、縁下がくしゃっと笑う。黙っていれば端正な顔立ちをした縁下は、笑うと幼く見えるのだということをなまえは初めて知った。

「いただきます」
「うん。甘さで落ち着いたら、喋ってみたら?」

 ここには縁下と自分しかいない。それに、彼は誰かに面白おかしく人のことを喋ったりするようには思えない。
 口の中で大きな飴玉を転がせば、言ってもいいような気分になる。

「私、最低なんだ。いつも自分から投げ出して、逃げ出しちゃう」

 言葉にすれば、情けない事実と向き合う必要があって。引っ込んだ筈の涙が、じわじわと下睫毛に絡まる。

「塾の成績がどんどん下がって、お父さんから部活辞めたらって言われて。何も知らないくせにって怒ってきた」
「そっか……」
「でも、ピリピリしてたら同じ部活の子と言い合いになっちゃって、今は部活に行きたくないって思ってる」

 朝、父親に部活がいかに自分にとってプラスか力説しておいて、昼にはもう、逃げ出したい気分にまで振り切れた心。
 立っている場所が不安定に歪んで、目指すものが分からなくなる。

 塾で取り残されたくないのか、勉強も部活も両立させたいのか、いい大学に行きたいのか、将来何になりたいのか。
 周りはとっくに目標を定めていて、ぐんぐん先へと進まれる感覚。

「本当は、置いていかないでって泣き叫んで縋りたい」

 でも、出来ない。だから自分から捨ててしまう。怖くて踏み込めないのは自分なのに、まるで周りが悪いのだと投げやりになる。

「うん、分かるよ」
「嘘!縁下くんは成績いいじゃん」
「でも、俺。部活逃げ出したことあるから」

 縁下の突然のカミングアウトに、なまえは驚きすぎて彼を見た。急に振り向いたものだから縁下の方も驚いて、それからはにかむ。
 この笑顔、嫌いじゃない。いや、とても好意的だと思う。

「後悔ばっかりして、格好悪いの覚悟で戻ってきた時には、向き合うべき人はいなくて。もっと後悔した。辛いことあった時、あの時みたいに逃げる気かって心の中でいつも思うよ」
「うそ、だって縁下くんは真面目だし、部活も頑張って……」
「ウチは部員が少ないから。実力不足なのにレギュラーでさ。練習も何もかも足りなくて……一年が入ってきてレギュラーじゃなくなったけど、俺は楽しいよ」

 予想外の言葉に、なまえは息を呑んだ。笑った縁下の顔は清々しい。

「みょうじさんも頑張ってるじゃん。授業で当てられた時も字がすごい綺麗だし」
「だって書道部の字が汚かったら恥ずかしいよ……」
「去年の文化祭の時の、展示物も凄かった。俺は部活も勉強も頑張ってるみょうじさんが……」
「え?」

 聞き返した声が大きくその場に響く。縁下がこっちを見た途端、口を覆って今のはナシだと反対の手を振った。
 続きが気になって仕方ない自分を、なまえは持て余してどうしていいか分からない。

「えーっと、とにかく。部活、辞めるなよ。自分を信じたい時、逃げなかったって確証が欲しくなるから」

 ぐっと拳を作った縁下は、照れた様子から一変して格好良く口を結んでいた。その拳を緩く肩に当てられて、じんわりと熱を持つ。
 これ以上ないエールが、べっこりと歪んだなまえの心を補ってくれた。

「ありがとう!私、お父さんとも友達ともちゃんと話す」
「うん、それがいいね」
「だから縁下くんも!私と……向き合って」

 お辞儀をして顔を上げたら、口を開けたままの縁下の顔。それが徐々に赤くなっていくのを見ているのは、耐え難く恥ずかしかった。
 今度ハンカチを返すまでに、答えは用意してありますように。そう願いながら、なまえは来た時より早足で教室へと引き返した。



***end***

20131103

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