入学して間もなくの頃、私は一つ上の先輩に恋をした。それなのに、その先輩にはきっと誤解をさせたままにしている。
あれは忘れもしない、春のこと。先生に用事を頼まれた後、廊下を歩いていて道が分からなくなって、迷子になってしまった。
学校で迷子になってしまう恥ずかしさと、始まったばかりの高校生活、張り詰めていた緊張感に心細さが相まって、目の奥からじんわりと熱くなる。
そんな時に後ろからオイって声かけてくれたのが、田中先輩だったの。それなのに私ときたら、驚き過ぎて。
「……お?」
「……ひっ!」
「オイ、お前……」
「す、すみませんー!」
そして廊下を全力疾走して、田中先輩から逃げ出してしまったのだ。校舎から飛び出した所で止まって、汗と一緒に涙が流れていたのを知った。
田中先輩が悪い訳ではないのに、泣かせたみたいに思っていたらどうしよう。
あの日から誤解を解いて謝りたくて、ずっと機会を伺っているけれど。声をかける勇気もきっかけもなく、遠くから見つめる日々が続いている。
「はぁー……」
今日も田中先輩を見かけた。掃除の最中に友達とふざけていて、女の先輩に怒鳴られて箒をぶつけられていたなぁ。
すごく楽しそうで、ゴミを抱えたまま廊下で立ち止まっちゃった。私もあんな風に、簡単に声をかけられたらいいのに。
「……っぶ!」
「わ、すみません!」
考え事をしていて、廊下の角から出てきた人に気付かなくて思い切りぶつかってしまった。ぶつかったというか、背の高い人に受け止められた。
「……ん?お前……」
「あ!た、た、た……」
「うわ、待て!泣くな、泣くなよ?」
目の前には頭に浮かんでいた張本人、田中先輩の姿。嬉しい偶然に飛び上がりそうな位なのに、田中先輩は何故か大袈裟に腕を振って慌てている。
「田中先輩?」
「うわー!泣くな!」
「な、泣きません」
嬉しくて、田中先輩の心理まで考えが回らなかった。先輩からしてみれば、私は喋りかけただけで泣き出したややこしい奴なんだ。
早く、謝らなきゃ。
「こないだも!本当に……驚かせてしまいすみませんでした」
「……お?おう。って痛くねーか?思いっきりぶつかったな、わりぃ」
受け止めてくれた肩をポンポンとしてくれる田中先輩は優しい。あの時と同じように、気遣ってくれる気持ちが嬉しかった。
「たなか、先輩……」
「おお!?オイ!泣くな!何でだ!」
「すみません、違……くて」
「んん?ん?落ち着いて、話せるか?」
深呼吸してー、と言って先輩が深呼吸している。背の低い私に合わせて、屈んで顔を覗き込んでくれる。じんわりと泣けてきたけれど、可笑しくて笑った。
「……っく、はい」
「お、笑ったな!よしよし!」
「あの時、泣いちゃってすみませんでした。でも田中先輩の所為じゃないんです」
涙を拭って顔を上げた先に、目を見開いた後、顔を少し赤くして視線を反らした先輩がいた。可愛いなんて、思うのは失礼かな?
「不安でもう泣きそうだったんです。声かけてくれて嬉しかったのに吃驚して。涙が勝手に出ちゃったんです」
「あー、そうだったのか……」
「はい。ずっと田中先輩に謝りたくて」
すぐに謝れなかった自分を思い出して、頭を下げて俯いた。すると温かい大きな手が、優しく頭を撫でてくれる。
「何だよ!別に気にすんなよ!俺はお前が平気なら問題ねぇ!」
ああ、やっぱり田中先輩は優しい。言葉使いが乱暴だし、目付きはちょっと怖いけど。思いやりがあって、すごく素敵な人。
「ありがとう、ございます」
「ほら!もう泣くなよ!」
「私……すみません」
「いいって、いいって!」
「田中先輩が、好きです」
「いい……え?」
「好きです」
勇気を振り絞って顔を上げたら、こっちを見たまますごい顔をして固まっている田中先輩。だけど、もう止まれない。
「1年3組、みょうじ なまえです。田中先輩に好きになってもらえるよう、頑張ります!」
「……ぅえ!?え、オイ!」
「では!失礼します!」
「ちょ……待っ……!」
あの時と同じ、田中先輩の制止も聞かずに全力で走り出した。最初からいい返事がもらえるなんて思ってない。まずは名前も言ったし、誤解も解けたし。
ここから挽回してみせますから田中先輩、待っていてね!
***end***
20131025