『聖十字の黒蝶』

それは裏の世界で、私が呼ばれている通り名だった。
大して有名でもない私の通り名をなぜ男は知っていたのか。どこから情報が漏れたのか。一体誰から。次々と疑問は浮かんでくるものの…。


「はぁ…はぁ…」


数分前に左腕に刺さった鋲がズキズキと頭の芯まで響き、うまく考えることができない。容赦なく飛んでくる男の鋲。避けるのもやっとで息が上がる。かれこれ小時間ずっと攻撃し続けているというのに、男は特に疲れた様子もなく涼しい顔をしていた。


(ば、化け物…!)


一瞬でもいい、とにかく隙を作らなければ…!
男に反撃するために左太もものホルダーから香瓶を取り出したが、左腕の感覚が大分やられていたらしくうまく腕が動かない。あ、と思った時にはもうすでに香瓶が指から離れ宙を舞っていた。まるでスローモーションのように地面に落ちる香瓶。硬質の高い音とともに粉々に砕け散った。


「あーあ。割れちゃったね。これが最後の瓶だったんでしょ?」
「…はい」
「残念だったね。」
「………」
「まぁ、でも割と頑張った方だと思うよ。ゾルディック家を相手としてはね。」 


え。
男の発言に思わず目を見開いた。


「あ、あの、」
「何?」
「い、今なんて…!」
「あ。俺ゾルディック家の者なんだよね。」


「知らなかったの?」とコテンと首を傾げる男に思わず「しししし知りません…!」と怒鳴りそうになり、慌てて口を手で塞いだ。ターゲットが重なっていた事だけでなく、よりによってあのゾルディック家と戦っていたなんて。自分が信じられない。数時間前の自分を思いっきり殴りたい気分だ。殺されても当然文句なんか言えない。

だけど、


「あの、」
「何?」
「死ぬ前に1つお願いがあるんです。」
「内容によるけど。」
「メル友にメールを送ってもいいですか?急にメール来なくて心配をかけると心苦しいので。」
「いいよ。」
「え」


即答。
まさか本当にいいって言ってもらえるとは思ってもいなかったから、思わず固まる。


「オレもメル友いるからさ。やっぱり返事が急に来なくなると困るでしょ」


あぁ、なるほど。納得。
お言葉に甘えてコートのポケットから携帯を取り出しメールを打っていく。


「何て送るの?」
「今までありがとうございました。この間は写メ交換できなくてごめんさいと送ります」
「写メ交換断ったの?何で?」
「えっと…私地味だしあまり取り柄がなくて…。恥ずかしくてできませんでした」

それに一般人であるイルミさんに殺し屋である私が関われる訳もない。

「そうかな。君、結構かわいいけど」
「…ななななななな…!」


恥ずかしいことをさらりと言われ、顔が赤くなる。急になんてことをいうのだろうか。一瞬心臓が止まるかと思った。からかわないで下さいと言うと、嘘は言ってないのにな、更に言われてしまうから困ってしまう。ただでさえ普段から人と触れる機会が少なく、対人スキルが著しく低いのに、こんな美形の人から「かわいい」なんて言われたらとてもじゃないけど、死んでしまう。

伝えたい事はたくさんあったけど急に改めてしまうと不自然に思われるので、いつもと変わらない内容を少し書き、そして最後にお礼の言葉をつづった。こんな事なら恥ずかしがらずに写メ交換しておけばよかったなと、少しだけ後悔しながら送信ボタンを押す。ボタンを押して間もなく、画面には送信完了の4文字。


「終わった?」
「はい、ありがとうございました」


これで思い残すことはありませんと笑うと、殺し屋さんは特に感情のこもっていない声で「よかったね」と言った。間もなくゾルディックさんが右手に鋲を構えたのを合図に、ゆっくり目を閉じ覚悟を決める。

お父さんとおじいさんと一緒に家の仕事を手伝っているイルミさん。
弟思いで仕事に一生懸命なイルミさん。
私の白黒の世界に鮮やかな色を付けてくれたイルミさん。


もう一生会うことはないけど、


どうか
幸せになってください…、







♪〜♪〜〜〜〜♪

どこからかなる着信メロディ。



「あ、ちょっとタンマ」
「………はい、」


ゾルディックさんはポケットから携帯を取り出し、カチカチと操作する。どうやらメールが届いたらしい。もしかしてさっき話していたメル友さんからかな。覚悟を決めたというのに邪魔され、ガクっと全身の力が抜ける。


「ねぇ」
「はい」
「君、何て名前」
「え?」


急に名前を尋ねられてて戸惑う。今からどうせ死ぬのだから聞いても聞かなくても変わりないんじゃ…と思っていると早くと急かされ、「ナナシです」と答える。ゾルディックさんとの間に微妙な空気が流れて首を傾げた。


「えっと失礼ですがゾルディックさん、お名前は?」
「イルミだけど」






「「……………………」」








「「え」」





こんにちは、はじめまして
(世界は自分が思うよりもせまい、)





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