夕食後に珍しくコーヒーを飲んだせいか、トイレに行きたくなり目を覚ました。
もぞもぞと布団の中で身体を動かし、ベッドサイドに置いてる時計を見ると、ちょうど深夜2時。
億劫な気持ちを奮い立たせ上半身を起こすと、部屋の空気と布団の中との温度差に身体がぶるりと震えた。
布団を脇に押し避けて、ベッドから降りる。


「うぅ、寒い…」


霜月に入った今の季節は寝衣1枚では耐えられないので、途中でチャーチチェアの背にかけてあるカーディガンをさっと羽織る。
左手でドアを開けて外へ出ると、部屋とは比べものにならない冷気にバタンっと勢いよくドアを閉めた。

…どうしよう、更にトイレに行くのが嫌になった…。

私の住んでいる家は普通の家と異なり、1本の大きな木をぐるりと囲むように、上からみるとちょうどコの字型に建てられている。
各部屋は独立しており行き来するための通路がないため、他の部屋に行くには一旦部屋から出て外にある廊下を通って入らないと行けない。
ちなみに寝室は家の一番左の端にあり、トイレは一番右端にある。

行きたくない気持ちばかりどんどん募るが、この寒さで拍車をかけられ限界まできている生理現象に勝てるわけもなく、できるだけ体温を逃がさない様にぎゅっと体を縮め再びドアを開けた。



**


「はぁ…すっきりした…」


トイレを済ませ廊下に出ると、家の真ん中にあるスギの葉が夜風でカサカサと静かに揺れる。
少し遅れて私の髪がさらりと流れ、冷たい風が頬を撫でた。

二、三歩歩いて廊下に淡く映る自分の影に気が付き空を見上げると、五mはあるスギの葉と葉の隙間から二日月が浮かんでいた。
儚く折れてしまいそうにもかかわらず、真っ暗な夜空ではっきりと輝いている。
今日は空気が澄んでいるからか、いつもより一層綺麗に見えた。


「………。」


きっと今頃仕事かな…。

今日は確か、どこかの国の城で仕事だったはず。警備員の中に何人か強い念能力者がいると同じ同僚が事前に調べていたらしく、「久しぶりに楽しめそうよ」と、いつもは口数の少ない彼が読書の合間に珍しく漏らしていた。
きっとその念能力者と戦うのを楽しみにしていたのだろう。


ここにはいない、遠く離れた人を思い出し、そっと目を閉じた。


想うだけでふわりと、まるで粉雪のように静かに心に降り積もっては消えるこの気持ちを、他の人はなんて呼ぶのだろう。
消えた後にほんの少し淋しくて、切ないような気持ちになるのは秋のせいだからか。
それともあの月を見たせいか。


そんな気持ちを誤魔化すように明日の朝は何にしようかと考えながら部屋に戻ろうとすると、家の入口に黒い影が伸びているのに気が付いた。

人影だ。

こんな時間に一体誰だろう…。
足の爪先を伸ばして確認しようとするが、ここからの位置ではスギの木が邪魔でよく見えない。
見えやすい位置に移動するため廊下から庭へと降りると、庭に敷いてある石板でジャリっと足音が鳴った。
その音に気が付いた影がゆっくりとこちらを振り向く。振り向いた際にスギの木の影に隠れていた身体がわずかにずれ、二日月に照らされ優しく輪郭を帯びる。
黒く見慣れたシルエットに思わず目を見開いた。


「フェイタン!」


予期していない訪問者に驚きながらも傍にかけ寄る。今日は仕事のはずなのに…、どうして今の時間に来たのだろう、と聞きたい事はたくさんあったが、名前を呼んでも反応がない事に不思議に思い、顔を覗こうとすると急に左肩を押された。
思いがけない行動に踏ん張りきれず、そのまま地面に尻餅をついて倒れる。

「いたた…」と、ぶつけたばかりのお尻を撫でながら顔を上げると、フェイタンの右手が私の首を掴んだ。

ひやり。
フェイタンの指から私の首に伝わる冷たさ。


「っは…!」


同時にギリッと込められる力。
フェイタンの指が皮膚に食い込み、私の喉が容易に塞がる。声にならない音が口から漏れた。
息が吸えない苦しさと、治りきらない首の傷の痛みに顔をしかめる。
首にある傷はちょうど1週間前にフェイタンが付けた傷だ。
贔屓にしている拷問器具の商人から、おまけでもらったというベンズナイフで試し切りにされたその傷は、塞がりつつあるが毒が仕込まれていたせいでまだ少しじゅくじゅくと膿んでおり、ガーゼで保護し包帯でぐるぐると巻いていた。
あまりの切れ味に、さすがに死なない体質の私でも死ぬかと思った程だ。結局死にはしなかったが、毒と出血のせいで二日間も寝たきりだったけど…。

そんなことをぼんやりと思い出していると、酸欠で視界が段々と白くなってくる。
ミシミシと骨の軋む音を聞きつつ、あぁ…もうダメだと意識を飛ばしそうになった時、ふっと力が抜けて肺に空気が入ってきた。肩で息をして、全身に酸素を行き渡せる。
てっきり首の骨を折るのかと思っていたのに…。

ゲホゲホと涙目で咳き込んでいると、「ナナシ」と名前を呼ばれた。


顔を上げるとフェイタンと視線が交わる。月の光にまだらに照らされるフェイタン。
その目に宿るのは、いつもの獲物を嬲るような狩りの目ではなく、


熱く色に籠った…
男の目。


「…っ!」


心臓が壊れたようにドックンドックンと、早く脈打つのが耳の奥で聞こえた。
心臓の拍動と同じタイミングでズキズキと熱く痛む首の傷に、ツーッとフェイタンの細く冷たい指がなぞり、そしてそのまま口付けられた。

え。

一瞬何をされたのか分からないまま呆然としていると、ぐらりとフェイタンの身体が傾きそのまま私の上に倒れてきた。
さっきの事といい今の事といい現状が呑み込めていない、軽くパニック状態に陥っている私を余所に、倒れてきたフェイタンはというと、すーすーと静かに寝息を立てていた。
その身体からは、かなりの血の匂いと


「…お酒くさい」


酒の匂いが漂っていた。
暗くて全く気付かなかったが、どうやら相当飲んでいるらしい。
おそらく文字通り浴びるように。

仕事が終わり、旅団の打ち上げでいっぱい飲んだのだろうか。この様子だと仕事は順調に終わったのだろう。ざっと見る限りケガもないようだし。よかった。
ふぅっと呆れと安堵の混じった息を漏らし、倒れてきたフェイタンの身体を少しずらしてずりずりと這い出る。

小柄な体型の彼だが、見かけと反して無駄な脂肪はなく、筋肉で引き締まっているため重い。
女である私1人の力で楽々と運べる訳もなく、肩に腕を回しできるだけ引きずらないようにして部屋の中に運ぼうとするが、やはり少し足を引きずっていた。
うん、しょうがない…。


それにしても…。


「………。」


いつもとは違う眼。
なんていうのだろう…、

いつもの冷たい盗賊の目ではなく
なんか、こう、うまくは言えないけれど…


いやいや、ないない!

あの時のフェイタンの目を思い出し、振り払うようにぶんぶんと頭を横に振った。
きっと自分の見間違えだ。


「明日はしじみのお味噌汁にしましょうか…」


掴まれた時とは異なる熱が籠る首の傷に知らないふりをしつつ、明日の献立が決まったと部屋に戻った。




窒息死させる程のこの愛を
(お前はまだ知らない)




**



次の日の朝。

(………)
(あ、おはようございますフェイタン。ごはん、食べられそうですか?)
(ワタシなぜここにいるか?)
(……覚えていないんですね)



2013.11.22



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