瀬戸内物語 | ナノ



瀬戸内物語

近くて遠い

「と言うわけで、お世話になりました」

手をついて馬鹿丁寧にそう言った葵は、呆気にとられている元親を尻目にそのまま立ってその場を後にしようとした。障子を開ける音で我に返った元親は慌てて葵の腕をとり、部屋に引きずり戻す。勢いよく引っ張られ倒れ込んだ葵を後ろから抱え込み、逃げられない様にとしっかりと抱き留める。湯上りなのか、ふわりと薫る’女’の匂いに心臓が跳ねる。しかし、今はそれどころではないのだ。

「ちょっと待て。落ち着いて最初から順を追って話せ」
「落ち着いてますよー元親さんこそ落ち着いてください」
「いきなりお世話になりました、なんて言われて落ち着けるか!……何が、あった?」
「何が、ってほどのことはないですけど」
「けど?」

いつもハッキリと物を言う葵にしては珍しく、躊躇っていた。その様子が逆に元親を焦らせた。何かしただろうか、と。そんな元親の様子を感じ取った葵は、少し戸惑うように唸った後、溜め息を1つ落とし、観念したかのように言葉を紡いだ。

「…私だって、常識知らずとか根無し草とか、自覚はあるんです」
「…自覚はあったのか…」
「失礼ですね」

心底驚いた顔をする元親に苦笑しながら、続ける。

「常識知らずの根無し草でも、毛利軍の忍びなんです。遊びじゃなくて、自分で選んだ道なんです」
「………」
「主君に迫られたくらいで勝手に飛び出したりしても、やっぱり責任があるんです。自分の立場に。7日間元親さんの所でお世話になって、考えて、やっぱり仕事を放ったままじゃダメだって思いました。たとえ帰って追放されるだけだとしても、自分の選んだ道にけじめはつけたいんです」

後ろから抱え込んでいるため、葵の顔は見えない。ただ、葵はしっかりと前を見据え、言葉を紡いでいた。
普段飄々としてお気楽そのものな葵が、こんなにも真面目に、真剣に考えていることに少なからず驚いた。否、気づいてはいたのだ。ただ、あまりにも普段の彼女が明るく楽しそうだから。
初めて聞く葵の思いは、主でも何でもない元親にとってどうこうと簡単に言えることではなかった。だからこそ、どうしたらいいのか戸惑った。自分よりもはるかに小さな葵を抱きしめ、言葉を探す。

「元親さんに帰るなって言われたら気持ちが揺らいじゃいそうで、言うつもりなかったんです。でも、やっぱり自分の気持ちは知ってもらいたかったから」

言っちゃいました、なんて照れたように笑うから、余計にどうしたらいいのかわからなくなる。抱き留める腕に少し力を込め、短い相槌を打つ。
帰るな、そう言えば留まってくれるのだろうか。そんなことを考える自分に嘲笑したくなる。何時の間に葵という存在がこんなにも大きくなっていたのだろうか。気づいていたが気づかないふりをしていた己を嗤う。

「…お前が毛利の所へ戻るも戻らないも、お前次第だ。俺が止める権利はない」
「…えぇ」
「だが、」
「っ!」

俺個人の意思は、帰したくないし、返したくない。そう小さく、しかしハッキリと呟いた声は、葵の耳にもしっかりと届いた。届いたから、揺れた。
そもそも他軍に押し掛けて居候になっている辺り、既に一軍に使える者として失格だ。それでも、そうやって生きてきたから。自軍以外だから敵、と簡単に思えなくて、いろんな所へ赴く。せめて、敵対する人のことを知っておきたかった。それが後々辛い思いになることもあれば、その逆もあった。少しでも和解で何とかなることが増えればいい。自分一人でできることなどたかが知れている。でも、何もしないで屋敷にいるよりはいくらかましだ。

「元親さ、」

何と言葉にしてよいかわからず、戸惑うように名前を呼ぶ葵をぎゅうぎゅうと抱きしめる。あぁ、困らせてしまった。徐々に大きくなる自己嫌悪とは別に、次第に一つに溶け合ってゆく体温を心地良いと感じるのもまた事実で。
それでも、葵の言うようにけじめをつけなくてはならないのだ。今自分にできることは、きっと笑って葵を送り出すこと。葵を抱く力を少し緩め、出来る限り明るい口調で言葉を紡いだ。

「まあなんだ、お前の部下まで来ちまった以上、とりあえず一旦帰ってお前なりにケジメとやらをつけてこい」

もし追い出されたら俺が雇ってやっからよ、なんて、こっちの方が本音だ。心のうちで小さく嘲笑し、葵に笑いかける。
葵は葵で、少しでも明るく送ろうとする元親を思い、腕の中で小さく笑った。うだうだ考えているだけでは、何も成らない。すべきことが明確となった葵の胸は、すがすがしさで溢れていた。

「まあ、その前に元就さんに殺されそうなんですけどね」
「安心しろ、あいつがお前を殺すわけねぇ」

苦笑しながら言う葵の頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。何か文句を言っているようだが、そんなものは聞こえない。

「何でそんなことわかるんですか」
「じゃあ逆に聞くが、お前はあいつに嫌われていると思うか?」
「………嫌われてはない、と思いたいです」
「はっは!元就相手じゃそれで十分だ!」
「むー…」

まだ納得いかなさそうにブツブツと呟く葵に、今度は元親が苦笑する。
お互い変に不器用なだけで、嫌い合ってなどいないのに、難儀な主従だ。どうせなら人思いにくっついてしまえばいいとは思うが、手助けしてやるほどお人好しではない。
それに、

「悔しいよなぁ…」
「?」

不思議そうに振り返って見上げてくる葵を、思いっきり抱きしめる。ぬぉう、なんて変な悲鳴が聞こえても何のその。ぎゅうぎゅうと音がするのではないかというくらい、抱きしめる。
しばらくしていい加減苦しそうな葵を解放すれば、力のこもっていない拳が飛んできた。ひらりとかわせば、目の前には肺いっぱいに空気を吸い込もうとしている葵。愛しい。不意にそんな感情が込み上げてくる。

「どうしたんですか急に」
「さぁな」

何も知らない葵は訝しげに眉を寄せていたが、何も言わない元親にこれ以上の追及は無意味だと悟ったのか、大人しく腕の中で小さくなっていた。
目の前の女に、自分の想いを伝える日が来るのだろうか。そんなことを考えながら、今はただ、独占していたいと思った。

prev | next


backtop 



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -