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 モノクロの花が咲き誇った日

恋なんてものはしたことがなかった。そもそも恋、というもの意味を知る前に旅に出てしまったのだから、しようがなかったのだ。あえて言うなら旅そのものに恋をしていたのではないかと思うほどに、そういった事柄には疎かった。人との出会いは多かったものの、すぐにまた別の場所へ移るのだから、深い関係になることはまれだった。街ゆく女の子たちがあの人が素敵だ、こんな人が好みだと言っているのを聞くたびに、自分とはまったく別の世界のものだと思っていたのだ。何もわからない、決して知ることのない世界なのだと、根拠もなく思っていた。
だから、恋とはどういうものなのかすら知らなかった。



「リオさま?どうかなさいましたか?」

ホームの椅子に座り、ぼうっとしていた所に、声が降ってきた。すっかり自分の世界に入り込んでいたリオは、一瞬何が起こったのか理解するのに時間がかかり、何とも気の抜けた声を発した。それを見て具合が悪いと勘違いしたノボリは、もう一度リオの名前を呼ぶ。

「リオさま?」
「え、はい!」

いい加減戻ってきた思考回路と現実に、何とまあ間抜けな姿を晒したことだろうと今更ながらに悟った。悟って、顔に熱が集まるのを感じた。何だろう。ノボリさんの前だと妙に心臓が騒がしい。
人影もまばらになったサブウェイのホームには、今はもうノボリとリオしかいなかった。時計を確認すれば長針も短針も時計の左上で、一体何時間ここに座っていたのだろう、と思う。シングルトレインを降りたのは、確かにもう夕食時を過ぎていた。それにしても、ずっとこの場から動かずにじっとしていたら誰もが不思議に思うだろう。車内からちらちら見えるリオの姿に、ノボリは心配していたらしい。お体の具合でも悪いのですか、などと聞かれてしまい別段どこも悪くないリオは申し訳なさそうに小さく大丈夫です、と答えた。

「ずっとこの場から動かないので、どうしたものかと…」
「え、と、ちょっとオタマロだけのパーティにしたらどうかなぁと考えてたらこんな時間になってました」

我ながら拙い嘘だ。それでもノボリはそうですか、と小さく呟くと、誰もいない薄暗いホームに目を落とした。深く追求されなかったことにホッとした。これ以上聞かれたら、返しようがない。どうしてここにいるのか、自分でもよくわからなかった。自分でわからないのだから、他人に説明などできるはずもないのだ。
ただぼうっと、その場にとどまって考え込むことは今までもあった。何を考えている、ではなく、何かを考えていた。一つのことではなく、そこから派生したあらゆるものを考えていた。でも、ふと思考の世界から生身の世界へ戻ってくると、その’何か’たちは頭の中から、まるで元々存在しなかったかのように消え去ってしまう。ただその余韻だけが残り、自分がしていたであろうという印象だけ残る。
またもぼんやりと思考の世界へ入ろうとするリオを、ノボリはいつもの無表情ながら、寂しそうな、悲しそうな、様々な感情が入り混じった目で見ていた。それに気がついたリオは、ふっと我に返った。今までこんなノボリの表情を見たことがない。不思議以上に戸惑いが強く、リオは困惑した。

「ノボリさん?」
「…リオさまは、風のような方です。当たり前に周りに存在しながら、ある時ぱっと消えてしまう。そんな気がいたします」

ぽつりぽつりと零した言葉は、胸に刺さった。寂しそうに見つめてくるノボリに、リオはどうしたらよいのかわからなかった。ただ、伸ばされた手に身を委ねて、珍しく積極的なノボリの胸に収まった。いつも無機質な表情を顔に張り付け、いまいち掴み処のない彼は、しかし温かった。大きなコートに隠れるように身を寄せてノボリの体温に包まれていると、先程のとりついていた余韻がすとんと、落ちた気がした。

「…私、旅が好きなんです。自分の知らない世界を、ポケモンと見るのが好きなんです」
「はい」
「故郷を旅立った時から、一月以上一所に留まったことなんてないんです」
「…はい」
「でも、」

ここになら、ずっといても良い気がします。自分よりはるかに背の高いノボリを見上げながら、リオは笑った。ノボリは珍しく表情を変えて、目を見開いた。そして、微かに微笑むと遠慮がちにリオの背に回していた手に力を込める。応えるようにノボリの背に手を回しながら、リオは清々しい気分であった。
恋がどんなものか見当もつかなかったが、今、わかったような気がした。モノクロだった世界が、ほんのり色づくような、荒野に花が一輪咲くような、そんな心地なのだろう。初めて感じた感情は心地良いもので、ただただその新しい感覚を全身で感じながら目を閉じた。

(110914)


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