殺せ。

その二文字がデリックの脳内をぐるぐると駆け巡る。目の前の彼がどうしてそんな事を言うのかは解らない。どういう経緯でそう考えるに至ったのかは解らない。それに勝手に倒れていた相手を看病したのは自分だ。礼は言われずとも偽善だと言われる覚悟はあったのにまさかそう言われるとは思わなかった。

「…なん、でそんな事言うんだよ」
「……別に、お前には関係ない」

折角助かった命を捨てようというのだ。理由を聞いてはいけないと思いながらもデリックは自ずと言葉を漏らす。
まるで光を失った空虚な瞳を見つめながら。まるで全てに絶望しているかのような声を聞きながら。

「確かに初対面の俺がアンタにこんな事を聞くのは間違ってるかもしれねえけどよ、そんな簡単に死にたがンなよ」
「……」
「月並みな言葉だけど、この世界には生きたくても生きれねえ奴もいれば、這ってでも一生懸命に生きようとしてるやつがいる。なのに、助かった筈の命を捨てようとすンなよ」
「……」

デリックの仕事はあくまで人を相手にする事。だからこそ、感情をしっかりと抑制する必要がある。それにも関わらず、初対面にあるまじき言葉の羅列に彼は自分自身に驚きを覚えた。瞬間、自己の凄惨ともいえる過去がフラッシュバックした気がしたのかもしれない。しかし彼はそれを消すように一度フルリと頭を振れば悪い、とだけつけたした。
その場に何とも言えない気まずい空気が流れる。まるで何か一線を越えてしまったかのような。


「俺は何もかもを失った。だからもう、生きたくはない」


そんな中、再び絶望に包まれた言葉がゆっくりとその場に落ちる。
湖に投じられた石のように、多くは語らずともその波及は部屋全体へと広まった。

「…それでも、どうして」
「……。どうしても何も、俺にはもう生きる意味がないからだ」
「生きる意味がないだとか、ンなモン生きてるうちに幾らでも――」
「うるさい!黙れ!」

今度はまるで窓に投じられた石がピシ、と罅を作るように、鋭い言葉がその場に響く。再びシン、と静まり返る室内。初めて現れたその感情にデリックはびくりと肩を跳ねさせた。
その声の主の青年はハタ、と我に還り声を静めて呟く。

「……すまない」

弱々しく毛布を握る手が震えているような。下唇を噛む歯が何かを堪えているような。ただ虚ろな視線だけが伏せられたままゆっくりと部屋を見渡す。それ以外はまるで時がとまってしまったかのようで。青年が二の句を継ぐまでに、酷く長い時間が流れた気さえした。

「沢山の幸せに囲まれたお前には、俺の気持ちは到底解らない」
「……」
「……」
「お前がもし、この部屋を見てそう思ったのならそれは間違いだ」

無言、言葉、無言、言葉。デリックだけが青年に視線をやり、断片的に続けられてきた会話だったがデリックのその言葉を契機に僅かな変化が生まれた。
苦笑の色を顔に浮かべ頭を掻くデリックを日々也が横目に見やる。初めて重なった視線に少しの安堵をおぼえながら彼はゆっくりと口を開いた。核心に触れる言葉を。まるで割れ物を扱うかのような物言いで。

「お前はさ、さっき何もかもを失った、つったろ?多分、それは家族を失って今は独りぼっち。って事だと思う。いや、その格好を見りゃ…家族どころか故郷も失っちまったらしい。……違うか?」
「……」
「俺も同じだよ。アンタと。故郷と呼べる故郷は無かったけど…、それでも昔にたった一人の家族を失っちまってさ」

デリックの苦笑の色が濃くなったのを感じたのか、青年の瞳がまた、ほんの僅かに動く。それでもやはり彼は何も言わない。そんな彼を見て、デリックは話を続けた。

「貧しかったから死んだ、って訳じゃねえんだけどテンプレすぎて泣けもしなかった。辛い筈なのに涙も出なくて。ただ、母さんが死に際に残した言葉だけを形見に生きてきたんだ」

とは言っても、実際はそれすら守れてねえけど。
自嘲じみた乾いた笑いがその場に落ちる。
そしてぐるりと部屋を見渡すデリックの眼を追うように、青年の眼は今一度室内を見渡した。うさぎの人形から派手なネクタイに至るまで、そこにはまるで統率感の無い物が溢れんばかりに並べてある。

「母さんは俺に、貧しくても心は綺麗に有りさない。とだけ言い残して死んだんだ。でも今の俺はホストだなんて仕事について毎日毎日、女を食い物にして生活してる。この部屋にあるのもそいつらからの貢物。愛してる訳じゃねえのにさぁ……はは、酷い奴だよ本当。自分でも笑えてくる程に、すっげえ酷い奴」

これは何度目か。再びシンと静まり返る室内。しかし今度は言葉が返ってくることはなかった。
それから幾ら無言の時が流れただろう。数秒だろうか、十数秒だろうか、数十秒だろうか。数分だろうか。

「あー…」

ついに場の雰囲気に耐え切れなくなったデリックが場を濁すかのような間延びした声を漏らす。

「とにかく…何つうか、巧く言えねえけどさ。簡単に死ぬとかそういうの、言うなよ。幾ら悔やんでも命はその1つしかなくて、ましてや他人に譲る事なんてできねえんだからさ」
「……」
「と、悪いな。こんな辛気臭い話聞かせて。それより腹減ったろ?なんか食うか?こう見えても俺は独り身だし料理の腕もそこそこ――」


「酷くない」


この話はもう終わりだ、とばかりにデリックがベッド脇に降ろしていた腰を挙げて台所に向かおうとした瞬間、青年がやっとの事でその口を開いた。デリックは突然の事に理解ができず思わずピタリと全ての動きを止める。手も、足も、瞳も、脳も、呼吸さえも。

「デリック。お前の言う通りだ。俺は…全てを失った。父も、母も、友人も、家も、何もかもを」

静かに紡がれるその言葉は深く、心をえぐる。どちらのとは言わない。ただ、何の形をも持たないそれが確かに心をえぐる。

「だから悲しみに暮れた俺は、死にたいと思った。なのにお前の話を聞いて、少し、もう少しだけ生きてみたいと思った。いや、恐らく、俺は生きる意味を無くしたその時からも生きたいと思っていた。もしも本当に死にたいと思っていたのならば、党の昔に川にこの身を投げ込んでいた筈だ」

それなのに言葉を紡ぐ当の本人は酷く穏やかそうな顔をしている。そしてこうとも、彼は続けた。
厚かましい願いだとは思うが、これも何かの好だと思って一つだけ願いを聞き入れてはくれないだろうか。と。

「願い?」
「ああ。お前に命を救われた上に、諭されまでして本当に厚かましいとは思う。だが、もう1日だけ世話になってもいいだろうか?とりあえず、俺のしたい事が見つかるまで仮に暮らす場所を見つけようとは思うのだが…、恥かしい話、どうも体力も限界で、な。この恩は必ず返す。だから――」

無意識のうちか語尾を早くしていく青年。それを切るようにしてデリックは口を挟む。

「…お前、名前は?」
「名前?」

しかし挟まれたのは何ら答えにはなっておらず、彼は小首をかしげるだけだが、デリックもまた返答を促すようにジッと彼を見守るだけだ。

「日々也」

数秒の後、青年が言葉を発する。

「折原…日々也」

静かに、静かに紡がれた名前。

「日々也、か…」

デリックはにっ、と笑って日々也の頭をぽん、と撫でる。

「そっか、それならこれからよろしくな。日々也」
「これから?俺はもう1日だけ――」
「別にいいだろ?春は出会いの季節、っつうし…独りぼっちの好だ。これも何かの縁ととって、せめて仮じゃなくて本当のアンタの行き場が決まるまで此処で一緒に暮らそうぜ。」

にこり、と笑うデリック。
日々也はどうしてかその提言を事悪事もできず、ああ、とだけ言葉を漏らして一つ頷いた。










―――――

なんやかんやで一緒に住む二人。



20110812
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