夜も深まる午前2時。
街の繁華街から離れた小さな住宅地。そこから更に西へ数百メートル。道の側ら。疎らな林に囲まれてその家はポツンとたっていた。オレンジの屋根と煙突を携える木造建築。家というよりかは小屋に近いそれには表札すら存在してない。しかし、窓から中を見てみれば確かに人の住んでいる気配はあった。少し視線を横へ滑らせればベッドルームやバスルーム等もあるようだ。そして、小屋近くの木の間に張られたロープとそれにぶら下がる幾つもの洗濯バサミがこの小屋が家である事を証明していた。

御伽話にでも出てきそうな小さな、小さな家。

ただ一つ。そのロープの真下で佇む白馬と、その足元でボロボロになった一人の青年が倒れている事を除いては。



***



「あー…もうこんな時間かよ」

住宅街から西へと延びる道を一人の青年が歩く。金色の髪を携えた白い影は淡い月光に照らされ闇夜の中で一際異彩を放っていた。

「帰ると綺麗な奥さん、とまでは言わねえけど……とびきり可愛い恋人が出迎えてくれりゃ…万々歳なんだけどなあ…」

仕事帰りだろうか。どこか疲れすら感じられるその足取りは確かに例の小屋へと向いている。
どうやら彼はあの小屋の主のようで、更に言えば独身で彼女もいないようだ。
街の住宅街にも住まず、そこから幾らも離れた場所で独り暮らすのは何故だろうか。

「……あ?」

大分家まで近づいた時。突如、彼は妙な声を上げピタリと足を止める。玄関までの距離、およそ10メートル。
何があったのか。応えは明白。

「ンだ?ありゃあ……馬と、……人!?」

そう、彼は見つけたのだ。普段ならば有り得る筈のない、異常を。先ず最初に見つけたのは物干しロープの近くに佇む白馬。そして次に見つけたのは、その足元で倒れ伏す人の姿。
それを確認した時。既にそこに青年の姿はなく、代わりに寂寞とした闇が広がるのみ。
先程までそこに存在していた青年は、

「おい!アンタ!大丈夫か!?」

10メートル強の距離を走りぬき、倒れていた人物の肩を揺する。返事はない。
おい!ともう一度呼びかけてみるがやはり返事は得られなかった。
隣に佇む白馬へと視線を向けてみれば馬はブル、とだけ泣く。
そしてもう一度倒れ伏す彼へと視線を移すが、この状況から考えるとどうやら落馬した訳ではないらしい。馬が大人しいのも十分な理由に成りえるが、それにしてはその服装は厭に汚れていて、ところどころ破れてさえいる。
嫌な予感がしてぐるりと体を反転させてみれば、蒼白とした顔。僅かに上下する胸から辛うじて生きている事はわかるが、何日も睡眠をとっていないのか目の下は見てとれる程に黒ずみ、腕や手首は酷く細い。元から痩躯なのかもしれないがこれは以上だった。
放っておけば明日の朝には死んでいるかもしれない、衰弱しきった見知らぬ人物。
嫌な予感がぞわりと背筋を伝う悪寒へと変わる。

「くそ…っ、死ぬんじゃねーぞ」

青年はギリ、と奥歯を噛み締め、その軽すぎる人物を両腕に抱えたまま家の中へと消えた。
ただ一頭、取り残された馬はもう一度ブル、と鳴き声を漏らす。



***



30分後。

「一先ずは…これで大丈夫か」

ボロボロになってしまった服を取り去り、温かなタオルでその身を清めた後に、代わりに自分の服をその人物に着せて青年は彼をベッドに寝かせた。

ここまでの事を行うのに、青年が謎の人物に対して解った事が3つある。
1つ目は性別が男だという事。2つ目は彼がこの国の者ではないという事。
前者については最初こそその色白い肌から女とも見間違えたが、よく見れば端整な顔つきをしている上に胸もない。後者についてもその格好からして一目瞭然。
そして最後。これはあくまで憶測にすぎないのだが、彼は王族だという事。
そう判断した理由はいくつかある。1つに、見た目は悪くなってしまっていたとは言え、服には全て上質な布地が使われていた事。2つに、ズボンのベルトに下げられていた護身用だと思われるナイフの柄に紋章が刻まれていた事。3つに、彼が倒れ伏していたすぐ傍に金色の王冠が転がっていたという事。

「やっぱ、こんな綺麗な顔してんだし…本当にどこぞの国の王子様だったりして」

青年がぐっすりと眠る王子様の前髪をそっと拭ってやれば、絹のような柔らかな髪が指の合間を擦り抜けていった。
額に落ちた黒髪が蒼白とした肌と極まって、確かに生きているのにまるで死んでいるかのようにさえ見える。

「はは、これじゃあ王子、っつうより……眠り姫だな」

月明かりだけが頼りの薄暗い部屋の中。青年は苦笑じみた笑いを漏らすと、そのベッド脇に座り込んでゆっくりと瞼を閉じた。






翌朝。柔らかな陽射しが窓から注ぎ込み、部屋全体をやんわりと包み込んだ。
それが目覚まし代わりなのだろうか。青年はゆっくりと瞼を上げ幾度が重い瞬きを繰り返す。昨夜にあれだけの事があったのだから当然だろう。そのままゆっくりとベッドの上で眠る王子様へと視線を移すが昨夜と変わらず眠り続けるその姿に、安堵をおぼえた。

「今日は…仕事、行けねえな」

そうして彼はそんな事を呟きながら、ヘッドボードに置いてあった携帯を手に取り勤め先をアドレス帳から探し出す。ピ、ピ、という音と伴にカーソルが順に文字を追い、“ホストクラブ――幻影”という文字で止まった。かと思えば十字キーに添えられた指は通話ボタンへ。

「もしもし。……ええ、はい。そうです。デリックです。実は――」


青年――デリックはホストクラブ幻影の一従業員である。否、一従業員というよりはホストといったほうがしっくりくるだろう。それもナンバー1でこそないものの、五指には入る程には人気がある。その容姿はさながら、独特のトークセンスが客の心を惹き付けていた。おかげでそこそこ稼ぐ事はできているようで生活に難はない。ただ、予約客さえ持っている彼は何かがあった時に一々店に断りを入れなければならないのが面倒なようだ。とはいっても、特に親しい仲の人物がいる訳ではないのか“何か”が起こった事は一度もなく、もう何年も皆勤賞の彼は今日初めて、断りの電話を店にいれた。


「――…はい、…はい。ありがとうございます。それじゃあ失礼します」

数分後、どうやら休みがとれたらしいデリックは電話越しに一礼して携帯電話を閉じ、そのままそれをポケットにしまい身なりを整える。(とは言っても、完全にオフとなった今、歯を磨いたり顔を洗ったりする程度だが。)
そしてまた数分後、台所に買いだめしておいた食パンを口に銜え再び寝室に戻ってきた彼は目を見開いた。同時に呆けたように開かれた口から食べかけの食パンが床へと引っ張られていく。
驚きを映す視線の先を追えばベッドから上半身を起こす青年の姿。
窓からの陽射しに当てられて出来た影と白い肌とのコントラストが一際その美しさを助長させる。デリックが食パンを落とすまでに至ったのは、驚きよりもそちらの気持ちの方が大きかったかもしれない。



「……俺は、生きているのか?」



とても寝起きとは思えない程の酷く澄んだ声が部屋に落ちた。ただ、その声は何の感動も感情もこめられてはいない。デリックにはそれが恐ろしく感じたのだろうか、声を耳にハッと我に還ったものの何と言葉を吐けばいいか解らずじまいと言った様子だった。

そして次の瞬間、ほんの数秒後に紡がれた第二句に彼は言葉を失う事になる。

ゆっくりと、長すぎる程の長い間を空けて彼は再び口を開く。
視線だけをデリックへと向け、本来ならば美しいのであろう金色の瞳に混濁の色を浮かばせ、ゆっくりと。



「…殺せ。俺をいますぐに」


殺せ。









―――――

デリ日々長編始動。
とりあえず出会い篇。



20110705
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テーマ「人外ファンタジー」
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