『おかえり、新羅』
「ただいま、愛しのセルティ」

新羅が帰宅したのはセルティが喧嘩を止めて小一時間程した頃だ。その間、ご立腹な彼女の背後で二人は黒い影に雁字搦めにされていたのだが、新羅は一頻り彼女との会話を楽しんだ後に漸く其方を向いた。気付いていたにせよいなかったにせよ、重傷の患者がいるのにも関わらずその心配より愛人との会話を選んだ彼は医者としてはどうかしているのかもしれない。

「静雄君。もう起きて大丈夫なのかい?」
「…ああ」
「よかった」

愛人の次に意識を向けた友人の無事に安堵を抱きつつも、今の状況に全く疑問を感じないその様は、恐らく自分が留守の間に何があったのかを理解しているふうだった。

「でも、僕とセルティの愛の巣を君たちの喧嘩でぐちゃぐちゃにしないでくれないかな」
「まだぐちゃぐちゃにしてねえ」
「まだ、って事はセルティが止めなきゃぐちゃぐちゃにしてたかもしれないんでしょ?」
「……」
「…墓穴掘るなよ、バカ」
「あ゛ぁ?誰がバカだって?臨也君よお」
「誰って…君以外に誰がいるのさ」
「ほらほら、言った傍から喧嘩しないでよ。二人とも」

新羅と静雄の会話に割って入った臨也。途端、静雄の額に青筋が走る。
それを見かねた新羅が溜息混じりにそれを止めれば彼は眉を下げ、腰に手を当て更に言い放った。

「大人しくしないなら二人ともそのまま解剖するから」








どうやら新羅の鶴の一声は効果覿面だったらしい。
いつもは煩わしいまでにハイテンションな彼が眼鏡の奥で目を光らせたのだからそれなりの信憑性を二人は感じたのだろう。
そして文字通り、晴れて自由の身となった二人は新羅とともに対談しているがどうやら話は妙は方向に転がっているようだ。

「はあ?俺とシズちゃんに一つ屋根の下で暮らせ、って何考えてんのさ」
「何、って二人の事を考えての事だよ」
「…意味解らないんだけど」

というのも、話題の中心は静雄と臨也が二人で生活を供にするかどうか。
昨夜、臨也の話を聞いた新羅からしてみれば善意で行っているのだろうが臨也からしてみれば完全に身から出た錆そのものである。
しかし新羅は二人暮らしさせようとする理由――臨也が静雄を好きだという事を決して口走りはしない。恋愛には真剣な彼だから、人の色恋沙汰は最後の最後は自分の力でどうにかさせたいという気持ちがあるのだろう。言わば、彼からしてみれば彼は“恋のキューピッド”そのもの。

「ねえ、紅茶ばかり飲んでないでシズちゃんも何か言ってよ。嫌だろ?俺と一緒に暮らすだなんて」
「あ?」

何を言っても動じようとしない新羅に臨也はとうとうお手上げだと、先程から出された紅茶を隣で啜る静雄に催促の目を向けた。皮肉な事に、この面倒な話題の原因である彼が、この面倒な話題を終わらせる事のできる唯一の人物なのだ。

「君が嫌、って一言言えばそれで済むんだから。ほら」

早く、とでも言わんばかりの臨也。
静雄は、あー、と唸り少しの間迷った末に、言った。

「俺は別にいいぜ」

臨也が微塵として予想だにしなかった言葉を。
自分の隣で絶句する臨也を静雄は一瞥すると、これが目的だったとでも言わんばかりに更に言葉を並べ立てた。

「こいつと一緒に居りゃあ、気分次第じゃすぐ殺す事もできるし、何より池袋で悪さが出来ねえように見張る事もできるって訳だ。それに、こんな最っ高の嫌がらせのチャンスを逃す訳にはいかねえじゃねえか」

ニタリ。と笑う静雄。何も言えない臨也。
新羅は、にこりとだけ笑って見せた。



***



「ったく…何で俺がシズちゃんなんかと」

その後、笑顔で新羅に家を放りだされた二人は仲好く静雄宅の敷居をまたいだ。
あの時の新羅の笑顔は果たして二人の仲が巧く行く事を願ってか、それとも愛の巣と称する自宅から厄介払いをすませた為か。それは解りはしないが今そんな事はどうでもいいだろう。

「大体さあ。さっき君が俺に言った言葉。裏を返せば俺も君をすぐに殺す事ができるって気付かないわけ?幾ら脳筋でも、それくらいは解るだろ?」
「そうだな。それより、晩飯どうする?」
「……はあ、別に何でもいいよ」

全く自分の話を聞いていないような彼の言葉。
臨也は深いため息を吐いて狭い六畳半の部屋にゴロリと寝転がった。



***



その日から臨也と静雄の奇妙な共同生活は始まった。
1ヶ月程の時間を共にした彼等はあいかわらず喧嘩ばかりの毎日を送ったが、以前の彼らを知る人物からしてみれば随分丸くなったようにさえ見える。何より、喧嘩をふっかけるのはいつも臨也からで静雄からは決して手出しをしようとはしなかったから。
一方臨也は逃げ出そうともせず仕事が終われば必ず静雄の家へと戻ってきた。お前は犬みたいだな、いつか静雄が臨也に言った言葉であるが、言い得て妙なこの言葉は帰巣本能のようなものを指していたのかもしれない。例え1日、1週間と間が空いても彼は静雄の元へと戻ってきた。

臨也からしてみればそれが不思議でたまらなかったのかもしれない。
どうして自分は此処に戻ってきてしまうのか。どうしてそのまま逃亡しないのか。どうして首輪も枷もない自由の身を自らこの場所に縛り付けるのか。どうして――静雄の傍にいる事に不快を感じないのか。
その時々に思うのがあの夜に新羅に言った言葉。

『俺はシズちゃんが好きだ』

まるでそれが嘘から出た真だとでもいうように自分の中で大きくなる可能性。何とかして否定しようにも、自分の今の行動がそれを矛盾だと嘲笑う。それでも彼は無理矢理にそれを否定した。いや、そうしなければならなかった。

正体の解らない何かがガンガンと頭の中で警鐘をならす。
そしてそれから逃れるように、臨也は何度も何度も自分に言い聞かせた。

――俺は、君が嫌いだよ。大嫌いだ。



***



「最近、臨也が事ある毎に俺を殺そうとしてきやがる」

新羅の家のリビング、黒のガラステーブル越しに座った静雄が対する新羅にポツリと言葉を漏らした。
今日は静雄が新羅宅を訪れたのは、傷も完治したという事で最終的な診断を行うためだった。しかし今は診断も終わり、二人で少しばかりの会話を行っているところ。

「…なんかよお、こうなるとは解ってたけど…やっぱり難しいよな。」

話はどうやら1ヶ月程前に始まった共同生活の事らしく、小さな溜息と伴に窺える憂いの声はあの夜とは全くの別人だった。

「それは…君が殺すチャンスが増える、みたいな事言うからだよ。臨也は誰よりも死を恐れるから殺られる前に殺ろう、って散弾なんじゃない?」
「……」
「あーあ、折角僕が恋のキューピッドになってあげたのに」

ふざけた事ぬかしてんじゃねえよ。
いつもなら容赦無用で地を這う声を放つ静雄も黙りこくったまま。どうやら原因は新羅の言う処らしく、理にかなっているからこそ反論ができないのであろう。何より、その態度はとある一つの事実を暗示していた。

「昔…高校2年生の時だったかな。覚えてるかい?」

そうして新羅は再び言葉を紡ぎ始める。まるで、難しいと憂いた静雄の言葉の真意を理解しているかのように、ゆっくりと。

「君は僕に臨也の事を好きだ、と言ったね。最初は驚いたけどすぐに理解したよ。君の臨也に対する殺意はただの照れ隠しだ、って。だって、幾ら彼でも何度も君を相手にしてあれ程度の怪我で済むはずがないから。……それからの君はずっと臨也を追掛けてた。そして今も、追掛けてる。今も好きなんでしょ?臨也の事」

確信をつく言葉は確実に静雄の心内を曝け出す。
まっすぐと自分を見つめる、いつになく真剣な視線。この男は普段こそ頼りないのにこういう時ばかりはこれだ。
静雄は諦めを含めた溜息を吐きだし、言った。

「好きで悪いかよ」
「ほらね、やっぱり。…そこでね、静雄。そんな君に朗報がある」
「……朗報?」
「実はね、臨也も君の事が好きなんだよ」

本当は君たちの為に言いたくないんだけど…少しは背中を押してあげなきゃ進展しなさそうだから。と小さく苦笑して笑って見せる新羅。
しかしそれは最早静雄の耳には届いておらず、何の焦らしもなく発された妙に信憑性を帯びた言葉が彼の脳内を駆け巡る。
もしも仮にそうだとしたら、臨也が家から出て行こうとしないのにも納得がいく。それでもやはり出来すぎた展開が信じられず、静雄は口を開いた。

「でもね、臨也は鈍感だから君に嫌われたいと思っている」

しかし本来そこから紡がれる筈だったそれも、コンマ数秒早かった新羅の言葉に阻まれその機を失った。
ついぞ先程までと一転して真面目な顔で静雄を見つめる新羅。言葉を重ねることもできない。

「何でだかわかるかい?理由は至極単純さ。君との関係を壊したくないからだよ。彼は君が自分を嫌っていると思っている。一生叶わない恋ならばせめて今の関係を続けたいとも、ね。だけど本当はこうも思ってるんだ。本当は君を正々堂々と愛したい。愛されたい。ってね。……これだけは、覚えておいてあげて」



***



「両想い、か…」

すっかり陽も沈んでしまった帰路を辿り、静雄は先程まで成されていた会話を思い出して呟きを漏らす。しかし、その喜ばしい事実も頭の中をほわほわと彷徨うだけで。今の彼はどこか心ここにあらず、といった様子だった。
原因は一つ。あの後、玄関で靴を履く静雄に新羅が更に付け足した言葉。

『それでも、最近の臨也の君への一種の執着には目を見張るものがある。いいかい、静雄。少しでも様子がおかしくなったらすぐに僕に連絡を寄越すんだ。手遅れになる前に。いいね』

酷く意味深な言葉。しかし考えてみればそうであるともいえるその言葉に静雄は頭を悩ませる羽目になったのである。
長く臨也を見て来た静雄だからこそ、臨也は誰よりも敏感だという事を彼は理解している。本来ならば自分から互いの間にある壁を壊してしまうのも有りだが、それが理由で静雄にはそれが出来なかった。下手に壁を壊せばそれこそ、新羅の言う通り手遅れになりかねない。


「……」

そんな様々な思いや考えに思考を巡らせ、静雄は自宅の敷居を跨いだ。キャパオーバー寸前の脳内は、ただいま、という4文字すら吐き出す事すらも忘れさせる。当然、帰ったその先に臨也がいるという事実さえも。
次の瞬間。バチ、という激しい音と腹部にピリリとした痛みが走った。
そこで漸く、彼の意識は現実の元へと無理にもどされる。
視線を少し下に落とせば、腹部でバチバチと火花を散らす黒い機械。それがスタンガンだと気付いたのはそれを持つ手の先の人物――臨也が口許を歪ませているのを見てからで。

「……何してんだあ?臨也くんよお」
「…折角改造したのに。シズちゃん、って本当に化物だよねえ」

バキ、と音を立ててそれを握りつぶされれば臨也は酷くつまらなさそうに溜息を吐きだし、くるりと静雄に背を向けた。そしてそのまま、何事もなかったかのように居間へと戻っていく。

「いい加減死ねよ。化物が」

たった一つ。小さな小さな呟きだけを残して。








殺害方法5――電殺







―――――

のんびり書いてたら遅れました。
7月中には完結させたい。



20110702
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