カンカン、と音を立てて外に曝された階段を掛け上る一人の青年。
今にも抜け落ちてしまいそうなその階段は音が響く度にパラパラと鉄錆を闇に降らす。
長い間走ってきたのだろうか。彼の息は荒く、額には薄らと汗が滲んでいた。そして時折何かを気にするように振り返って見せるその視線の先には誰もいない。ただ、随分と下の方からけたたましい叫び声と激しい音が聞こえるのは確かだった。

「ははっ…本当にしつこいなあ…」

彼は酷く楽しそうな笑みを口許に描き、屋上を目指した。





もう何年も使われていない、廃ビルの屋上。
足場を形作るコンクリートはひび割れ、床にはガラス破片や紙くずが点々と広がる。屋上を囲む鉄格子は錆び付き、いかにも頼りない。そのくせ、そこから見える景色は煌びやかで美しいものだった。なのに、どれだけ手を伸ばしてみたところで光には届かない。此処はまるで、外界から遮断されたような世界。その世界の淵に立って見れば冷たい風が頬を撫で、髪を攫う。

「いーざーやーくーん」

感傷を誘う雰囲気に似合わぬ低い、地を這うような声が響いた。振り返らずとも正体は知れている。それでも、一目だけその姿を見てやろうと、臨也は鉄格子を背にゆっくりと振り返った。

「シズちゃん…」
「やーっと追いついたぜ、臨也くんよお。今日と言う今日はブッ殺してやるから覚悟しろや」
「…ははっ、今日だけ見逃してあげるとか…そういう慈悲の心はないわけ?」
「ンなもんあるわけねえだろ。手前は今日、此処で、俺に、ブチッとめらっと殺されンだよ。わかったか」

月を背に背負いながらバキバキと指を鳴らす静雄。月明かりに照らされた金髪は酷く綺麗で幻想的でさえあるのに、彼が一歩踏み出す度に、足元でパキ、やらクシャ、と似つかわしくない小さな音が響いた。それを見た臨也は応戦するしかないと踏んだのだろう。パチン、と音を立てて折り畳みナイフを開き、その切っ先を真っ直ぐに静雄へと向ける。

「…ハッ。俺にナイフが効かねえのは重々承知だろ?手前はもう少し頭が良いと思ってたぜ」
「もしかしたら、っていう事だって有り得るだろ?それに、何の抵抗も無く嬲殺される趣味、俺にはないからさ」
「安心しろ。苦しむ間もなく一瞬で楽にしてやる」

そうこうする間にも、二人の距離は縮まっていく。最初は10メートルだった距離も、今は3メートル足らず。
臨也の背後は闇。文字通り背水の陣。横に逃げても恐らくは、無駄。試しに半歩だけ後ろに下がって見れば、背中でギシリと鉄格子が悲鳴を上げる。何度も何度も窮地を切りぬけてきた臨也も今回ばかりは絶体絶命。冷たい汗が頬を伝う。しかしその口許は何かを企んでいるかの如く僅かに緩められていて。
それに気付いてか否か、ピタリ、と静雄の足が止まった。

「つっても…俺も人間だ。言い残す事があれば聞いてやる。ただし時間は、俺が煙草を一本吸い終わるまで。少しでも逃げようとしたら即殺す」

そうしたのは恐らく気紛れ。臨也の口許を見ての事ではない。彼は早速胸ポケットから取り出した煙草を口に銜えジュッ、と音を立ててそれに火を付けた。暗がりの中で赤々と光る熱源からは細々として白い紫煙が上がる。
事実上、これが折原臨也に与えられた最後の時間。それならば、と臨也は徐に口を開いた。

「君が人間?あっはは、笑わせんなよ、化物が。大体さあ、さっき自分で慈悲はかけないとか言ってたのに俺にこんな時間与えちゃって…何考えてるわけ?“男に二言はない”ってよく言うけど……ああ、そうか!君は化物だから男じゃなくて雄って言った方が自然だよね!だったら仕方ない。“雄に二言はない”だなんて言葉、俺も聞いた事がないし、そうなると今のこの状況、君が俺にこうやって慈悲を掛けるという状況も不可解ではないわけだ!」

しかしそこから吐き出された言葉は命乞いをするものでも、ましてや遺言ですらない。そこから溢れだしたのは罵詈雑言の数々。化物、化物。と彼は繰り返す。
彼は理解していた。この言葉こそが目の前の男を煽る一番の言葉だと。これはそれを知った上での行動。
案の定、静雄の煙草を持つ手は怒りに打ち震え、火を灯したばかりの煙草は半分に折られていた。額には青筋。怒り心頭とは正にこの事。

「あぁ、でも…そんな化物に人間の俺が慈悲をかけられるだなんて……腹立たしい。屈辱にも程がある」

だから死ねよ、化物。
臨也がそう言って構えたナイフを投げつけたのと静雄が床を蹴ったのはほぼ同時だった。今の今まで静雄が居た場所で宙に放られた煙草がナイフと交わり、弾かれる。

そこから事態が急変するのには、さほど時間はかからなかった。

まるでこの時を待っていたとばかりに歪む臨也の口許。
軽いフットワークで数歩左に身を翻す。
するともう、静雄の目の前に臨也の姿は無い。
あるのは、錆びれた鉄格子。

しまった、と思った時にはもう遅い。
ブレーキを掛ける事すら敵わなかったその身は鉄格子を破り、勢いよく闇へと放りだされた。
咄嗟に何かを掴もうと身を反転させては見るが、目の前にあるのは自分が破ってしまった鉄格子のみ。
僅かに視線を左に反らせば臨也の歪んだままの口許が映った。

「次に何が起こるのか、先を想像せずに突っ込んでくるその直情的なところ…実に獣らしくて無様だよ。シズちゃん」

最後の方の言葉は正直よく聞こえなかったが、自分が嵌められた事だけはわかった。
窮地に追い込まれながら罵詈雑言を浴びせてきたのも、自分の神経を逆撫でするための罠。

「っとに…手前は良い性格してやがる」

不敵に笑んだまま闇へと落ちていく静雄。
臨也はただ、囲いが無くなったそのギリギリの場所に立ってそれを見下ろすだけ。
そしてその数秒後、ドシャ、という心地良い響きを、彼は耳にした。







殺害方法1 : 落殺







―――――

とりあえず、プロローグ代わりという事で。



20110514

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