*臨誕





5月3日、22時20分。
闇も深まりつつある夜道。電灯に照らされながら肩を並べて歩く二人の男。心なしか仄かに赤みを帯びている頬は寒さの所為ではない。原因から言ってしまえば彼らは呑み屋帰りなのである。

「臨也、お前の誕生日…明日だったんだな」
「え?何?今更?て言うか、今日まで知らなかったの?信じらんない」
「るせえな…」
「…でもまあ…言われてみれば、今までのプレゼントもお祝いの言葉もくれなかったのってシズちゃんだけだし、今日祝ってくれただけでも進歩だけどね」
「……」

ポツポツと成される会話は少しずつ闇に溶ける。
しかしそれも臨也の一言で完全に消えてしまった。後はただただ、沈黙が続くばかり。
チラリと横を見やればいつの間にやら静雄はポケットから携帯を取り出し、懸命にカコカコと文字を打っている。臨也はその気まずさに耐え切れず、少しでも場を意識せぬようにと、ついぞ数時間前の出来事を思い出した。



***



「臨也の20歳の誕生日を祝って、かんぱーい!」

同日、20時。
池袋のとある居酒屋の一角でグラス同士がぶつかる音が響いた。その衝撃で数滴、入っていた酒が零れて机に並べられた料理へと落ちて行くがそんな事は気にしない。彼らはゴクゴクと音を立ててそれを一気に飲み干すと、ドンと音を立てて空になったグラスを机に置いた。

「いやー、それにしてもこれで臨也も20歳!後は…静雄と京平だけだね」
「正確には明日だけどね。…て言うかさあ、俺と新羅が酒を飲むのは合法的だけど…ドタチンとシズちゃんは犯罪だよねえ」
「手前も正確にはまだ19歳だろうが」
「静雄の言う通りだぞ、臨也。大体…20歳になるように、俺達の学生証を偽造したのはお前じゃねえか」
「そう言いながらも何の抵抗も無く酒を飲むなんて、流石俺の友達!…大体、俺はもう直20歳になるから別にいいじゃん。数時間で体が急変する訳でもないし。それに、新羅も一人酒よりみんなと飲んだほうが美味しいと思うだろ?」
「え?僕はセルティとの愛の日常劇を肴に飲めたら一人酒でも美味しいと思うんだけどなあ。あぁ、セルティ!願わくばこの男だけのむさい場に君と言う一輪の花が有れば愉快適悦なまでの幸せを感じるのに!」
「…お前に同意を求めた俺がバカだった」
「岸谷がこうなのは今更だろ。勝手に喋らせておけ」
「酷いなあ、二人とも。旧知の仲である君たちにそうまで言われるだなんて、遺憾千万の気分だ!」

今日は明日を誕生日に控えた臨也の為に開かれた飲み会。体よく言えば誕生日会だ。5月4日当日は、臨也の都合がつかないという事で今日、5月3日に開かれたのである。新羅と京平によって企画されたそれには当人である臨也の他に静雄が呼ばれた。彼らは来神高校からの同級生で、言わば腐れ縁を持つ物どうし。友人という言い方もできるだろう。
そして重要なのは彼らの相関図である。確かに彼ら4人は“友人”という枠で括られるが、各々が各々に向ける気持ちのベクトルは違う。更に言えば、静雄と臨也。彼ら二人の間に生じるベクトルが特殊なのである。その他10本のベクトルは全て“友人”という名で括られるが、残り二つは“好き”という恋愛感情そのものだ。そして新羅と京平はその事に気づいている。両想いという事を知らないのは当の本人だけ。そこで、彼らは二人が恋人になれるようにと臨也に今日、静雄に告白するようにとアドバイスを施したのである。勿論、静雄が臨也を好きだという事実も込めて。
つまるところ、この誕生日会ですらその下準備にすぎない。



***



「おい、着いたぞ」

脳内で繰り広げられていた思い出も、静雄の一言ですぐに現実へと引き戻される。
え、と間の抜けた声を上げて顔をあげれば“折原”と名の刻まれた表札。

「ったく…酒は飲んでも飲まれるなって言うだろ」
「…うるさいなあ。別に酔ってないよ。ていうかシズちゃんが携帯弄りだすから悪いんじゃん」
「人の所為にすんなよ」
「別に本当の事だろ?…まあ、いいけどさ」

こんな事を話していても意味がない。それにもうじき日付も変わる。今日はお開きにするのが一番だろう。そう思って別れを告げようとした矢先、別れ際に新羅が言い放った言葉がよみがえる。

いいかい?臨也。幸い僕達4人はお酒には強い。だけど今日、僕と京平は酔った振りをしてタクシーを呼ぶ。だから君と静雄は二人で歩いて帰るんだ。30分くらいの道のりだと思うけど…その間で静雄に告白しなよ。解ったかい?チャンスは30分。大丈夫。絶対に成功するから

そうだ、告白しないと。
家についてしまったという事はこれが最後のチャンスだ。
気付けば反射的に、じゃあな、と去りゆこうとする静雄の腕を握っていた。

「…なんだよ、急に」
「え、あ…いや…」
「…さっさと言えよ」

しかし、いざ告白するとなると頭が回らない。
頭は真っ白で、口からは言葉にならない単語が漏れるばかり。

「その…――」


ピリリリリリ、ピリリリリリ、


突如、場の雰囲気を壊すかのように臨也の携帯が鳴りだした。
逃げ道の無い空間。そこで漸く着いた決心も、逃げ道ができればついそちらに流れてしまう。

「ちょっと、ごめん」
「……」

次の瞬間にはもう、腕を掴んでいた手はあっけなく離れ、上着のポケットへと逃げていた。逃げ道の先から取り出したのは音を鳴らし続ける携帯電話。
それを開き、ディスプレイへと視線を走らす彼を静雄はじっと観察するだけだ。そしてその数秒の後、くす、と口許が緩められるのを見た。

「…見て、九瑠璃と舞流から誕生日メール」

成程、確かに。差し出されたそこに移るのは長々と恭しい文体で綴られた不器用な言葉。所々の誤字脱字は、思考錯誤の上に出来上がったメールだと言う事を示している。

「良かったな」

嬉しそうな臨也を前に、口許を緩めてポン、と頭をたたいてやる反面で静雄は少しばかりのショックを抱いた。

新羅の言う通り、静雄は臨也の事が好きである。それでも告白する機会をずっと逃し続け、今日、新羅と京平にこの場を作って貰い、漸く告白しようと決心したばかりだ。しかしだからと言って素直に、好きだ、と言える自分がいない事は理解している。だからこそ彼は、言葉でなく文字で気持ちを伝えようと思ったのだ。それも、誕生日にいの一番にお祝いメールを送るという演出付きで。彼が先程一生懸命にメールを打っていたのはこの為だ。飲み会の時からずっと考えていた断片的な言葉を、漸くの事で文に直した。不器用なりに少しでも気持ちが伝わればいいと懸命に考えたメール。これを5月4日、一番最初に臨也に送る。そのつもりだった。何だかんだと友人の多い彼の事だ。何番目かに送ってもそれはきっと、沢山のメールに埋もれてしまう。出来る限りの想いを込めたメールも、彼にとっては沢山の内の1つとしか見られなくなってしまう。だからこそ、一番に送って少しでも特別な印象を持って貰いたかった。
それなのに、今、臨也の携帯には一通のお祝いメールと0時を示す時計がある。そう、静雄の計画はいとも容易く崩れてしまったのだ。それに加え、ここはもう臨也の家の前。心の準備も無しに面と向かって告白する勇気は自分には、無い。

そう思うともう、この場にいるのも居たたまれない気がして、モヤモヤとした気持ちを連れて早くこの場を立ち去ろうとした時だ。

「シズちゃん」

臨也の声にそれは阻まれる。
呼ばれてそれを無視する道理もない。ゆっくりと振り返った静雄は次の瞬間、耳を疑った。

「俺さ、シズちゃんの事…好きかもしれない。だから…付き合ってくれない?」

最初はほろ酔いのままの戯言かとも思ったが、見やった頬は先程よりも赤い。
瞬間、言語能力を道連れに吹き飛ぶモヤモヤとした気持ち。
今すぐに、俺も好きだ、と言いたい。そうすれば晴れて自分達は恋人だ。なのに言葉が出ない。たった数文字程度の言葉が出ない。
それでも何か言わなければとパクパクと口を開閉していたら、それよりも先に臨也が口を開く。

「……急に言われても困るよね、…ごめん。この事は忘れて良いよ。……でも謝るついでに一つだけ我がまま聞いてよ。…今日、祝って貰っといて何だけどさ、折角の誕生日なんだし、もしよかったらメール欲しいな。どんなに短くてもいいから、誕生日おめでとう、って。…誰に言われても嬉しいのは本当だけど…やっぱり、好きな人から言われると特別に感じるしさ」

だから、ね?
瞳を僅かに細める臨也の表情は暗くてよく解らないが、声音から僅かな不安と悲しさが混じっている事だけは辛うじて解る。

「それじゃあ、ばいばい。またね」

そして彼は静雄の返事を聞く前に、まるで逃げるようにして家の中へと消えて行った。








5月4日、23時50分。
今に至るまでに臨也の携帯には何通ものお祝いメールが届いた。新羅、京平、学部の後輩に至るまで、その数13通。しかしその中に静雄のメールだけは混じっていない。
新羅の言葉も有り、携帯が鳴る度に期待に胸を膨らませて開いてもそこに望む名前はなかった。嬉しくない訳ではない。それでもやはり、期待した名前がそこに映らないのが寂しかった。

ピリリリリリ、ピリリリリリ、

今日になって14度目の着信。
時間も時間だ。最後の望みだと、期待を込めて携帯を手に取る。



5/04 23:51
From 四木さん
Subject (not title)
――――――――――
20歳の誕生日おめでとうございます。
今後ともよろしくお願いしますよ、折原さん。

---END---



「…四木さん、か」

知り合いの中では一番メールをくれそうになかった人物。
驚きこそすれど特別な嬉しさは感じない。期待して開いただけあってショックも大きかった。

「シズちゃん、本当は俺の事好きじゃないのかな…。新羅もドタチンも、シズちゃんに直接聞いた風な訳じゃなかったし」

そう考えると、告白してしまった事には最早後悔しか残らない。
もしかしたらお祝いの言葉と伴に告白の返事を貰えるのではないかと、今日一日期待した自分がバカにさえ思えてくる。それに、告白しなければずっと友達のままでいられたと思うと、昨晩の自分を呪いたくもなった。
見やった時計はもう間もなく0時。電子文字で時を告げるそれは、刻一刻とタイムリミットを減らしていく。

「10、9、8、」

いよいよ、残り10秒を切ってカウントダウンが始まる。
気付けば数字は口から漏れて、自分の声が耳を付く度に胸が痛む。

「7、6、5、…」


ピリリリリリ、ピリリリリリ、


残り5秒。
再び臨也の携帯がメールの受信を知らせた。
余りにも突然の事にビクリと跳ねる肩。同時に高鳴る胸。
正真正銘のラストチャンス。

一種の祈りを込めて、ゆっくりと携帯に手を伸ばし、開いた。



5/04 23:59
From シズちゃん
Subject (not title)
――――――――――
誕生日、おめでとう。



そこにあったのは今日一日、待ち望んだ名前。
あぁ、良かった。俺は嫌われてはなかった。
嬉しさと安堵が身を包む。
しかしそれも束の間で、すぐに異変に気付いた。

「…あれ?これ…続きがある」

本来ならば有るはずの“END”の文字が見当たらない。代わりに、そこにあるのは多くの空白ばかり。これが意味するところはたったの1つだ。怪訝に思いながら、カコカコ、と十字キーを押してメールをスクロールしていく。1回、2回、3回、4回、…。




俺も好きだ。

---END---



十数回目かのスクロールによって暴かれた、5文字。
次に彼が自分の成す事に気がついた時には、既に携帯電話からは呼び出し音が鳴り続けていた。

「…んだよ」

数秒後、何を言うべきかという問いに答えを出すより先に聞こえてきたのはぶっきらぼうな声。
当然の如く言葉は詰まる。それでも、何かを言わなければならない。

「…あ、あのさ。メールくれたのは嬉しいけど…何でもっと早くにくれなかったのさ。今日一日、俺がどれだけ心待ちにしたと思ってんの?」
「……」

臨也の言葉を皮切りに訪れた無言の空間。バクバクと煩かった心音も収まり、急に頭が冴えてくる。
パニックになった時、人の本性が現れるというのはどうも本当らしい。彼は自身の性格を呪った。

(シズちゃん、流石に怒ったかな…。折角恋人になれるところまで来たのに、俺のバカ)

はぁ、と漏れる溜息。
これはもう、これ以上怒らせないように電話を切るのが得策だと、彼が耳から携帯を遠ざけた時だ。
シズちゃんには、連休明けに謝ろう。

「悪い…、」

謝罪の声が聞こえてピタリ、と臨也の動きが止まる。
謝られる理由がわからない。謝る理由こそあれど、謝られる理由は彼にはないのだ。

「何で、君が謝るのさ」
「いや、だってよ。メール遅れちまったし。……ここからは言い訳だ。聞くのが面倒なら適当に、切れ。……本当は…昨晩、5月4日を迎えたらいの一番にメールを送る予定だった。メールの準備も何とか間に合わせた。なのに手前の妹達に先越されたからよお、どうせなら一番最後に送ってやろうと思って。そうすれば、嫌でも印象に残るだろ?」
「っぷ…あっはは!何?そんな理由だったんだ!」

静雄らしいと言えば静雄らしい理由に思わず吹き出す臨也。
いつもは口数の少ない彼が饒舌になる時は、決まって照れている時である。臨也はそれを知っていたものだから、電話越しの彼を想像してもう一度小さく吹き出す。
あぁ、こんなふうに心から可笑しいと思ったのは久しぶりかもしれない。

「おい、笑うなよ。俺がどんだけ考えてこの行動に出たか解ってんのか?あ?臨也君よお」
「だって、仕方ないじゃない。君はさあ、本当に俺の予想の斜め上を言ってくれるよね!流石はシズちゃんだ!」
「っ手前…バカにしてんのか」
「でも……、ありがと。凄い嬉しかった」
「……おう」

電話の向こうで、ガシガシと頭を掻く音が聞こえる。
そんな些細な事さえも嬉しくて、もう一度、ありがとう、と彼は呟いた。







23:59







―――――

臨誕。
臨也さん、ラブ!
急いで書いたので消化不良なのが心残りです。
いつか加筆修正しときます。


20110504

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