「…行く、の?」
分かっていたはずなのに、案外にも軽く出てしまった言葉に幼いながら罪悪感を感じた。だが、今更掴んでしまった袖を離してしまうことなんて出来なかった。
「……うん、」
自分と同じような目線まであの人は腰を降ろしては、小さく呟いた。嗚呼、行ってしまうのか。そう思ったら悲しくなってきて小さい子特有の"淋しさ"なのか何なのか…涙が込み上げた。
「…ごめん、」
泣きじゃくる自分に昔から口数が少なかったあの人は、只一言口にしてくしゃくしゃと頭を撫でてくれた。昔、からだ。何かあったら昔から決まってあの人は俺の頭を撫でてくれた。だから、それがとても心地良くて――――
「……いっ…つ…」
頭に軽い痛みが走ってゆっくりと閉じていた瞼を開けば、時が経つごとにぼやついていた視界は次第にクリアになってゆき、見慣れない洞窟の天井のようなものがはっきりと視界に写し出された。
「……此処、は…」
起き上がればぱさりと落ちる赤い上着。活性化されていなかった脳が凄まじい勢いで活性化された瞬間だった。嗚呼だって、これは…
「…レ、レッドさんの」
場も忘れ半端叫ぶように口を開くが気になどならない。落ちてしまった上着を慌てて拾い上げまじまじと見ればそれはもういつもレッドさんが羽織っている上着だ。熱くなる顔を隠すことすら忘れて、只その上着に目をやる、目を逸らすことなんて出来ない。
「…な、なななななっ…」
今、そう今まで自分はこの上着を被って寝ていて、レッドさんの上着を…上着を被って寝ていた。そこまで考えて爆発しそうな頭を落ち着かせようと取り敢えず深呼吸をしてみる。だが、相変わらず目線はレッドさんの上着であって。やばい、心臓が破裂しそうで瞬時にぎゅっと胸を抑える。平らに近いのがまた悲しい。
「ピィカ。」
「っ、!ピ、ピカチュウ…」
落ち着け落ち着け…とひたすら己に暗示を掛けていれば隣から声を掛けられ、見てみればレッドさんのピカチュウがその黒い丸い瞳で此方を見ていた。
自分を落ち着かせるためにもそっとピカチュウを撫でてやれば気持ちよさそうに目を細めて小さく鳴いたかと思えば、突然何かを思い出したように洞窟の奥へと消えて行ってしまった。
「…ピカチュウ、」
どうしたのだろうか?不意に気になって立ち上がれば突然ふらりと視界が捩れた。なんだ…これ、
「っ、」
気付けば身体の自由は自然と無くなっていて、そのまま重力に逆らうことなく身体は倒れ始めた。地面はふかふかのベッドでもソファーでもなく冷たい岩で支えもなく倒れてしまえばそれは痛いわけであって。"ぶつかる"そう頭の片隅で自分が呟く。
「…キア、」
「……レッドさ、?」
ぶつかる、その寸前にぎゅっと身体は何かによって立て直されその直後に頭上からあの人の声がした。ゆっくり、と顔を上げれば心配してくれたんだろうか。凄く、悲しげな顔だ。
「…急に倒れたから、」
「…す、みません」
「…ちゃんと食べてる?」
「食べてますよ、?」
はは、と自分の空笑いが洞窟内に響き渡る。レッドさんに心配されてしまった、嬉しいがレッドさんにあんな顔させたくなかったな、なんて。それにしてもいつ倒れてしまったんだろうか?全く記憶にない。もしかしたら、レッドさんに逢えて嬉しくて溜まらなくなって気を失ったんだろうか?
「レッドさん、」
「…、?」
「ありがとうございます、」
普段、表情なんて変えないあの人がうっすらと目を見開き表情を変えた。それもまた嬉しくて仕方なくて、伝説であるこの人のこんな表情を見れる人はきっと数は少ないんだろう。そう思えばそれは凄く貴重で。
嗚呼、やっぱり自分が憧れた人だ、なんて思ったんだ。
太陽に憧憬 (20120807)