絶えず君を、
とうとう週末になった。
初めての魔法界に緊張してつい早起きしてしまったが、リビングへいくと、身支度を整えた父か「おはよう」と爽やかに挨拶をしてきた。
「おはよう、パパ。急いで支度するね」
「ゆっくりでいいよ、ちょうど紅茶を飲もうと思ったんだ。用意するけど、ダリアも飲むかい?」
「コーヒーなら」
イギリスといえば紅茶だが、私はコーヒーの方が好きだ。どうやら味覚は日本人寄りで生まれ変わったらしい。前世では自分で焙煎するくらい豆やローストにはこだわっていたし、何より仕事が一段落した後に飲むコーヒーは格別だった。だから、今でもよく淹れる。なぜ教えてもいないのにそんな方法を知っているのか、父は驚いたものである。
そんな私に周囲の人々は首を傾げたものだが、感化されたのか、コーヒーを好んで飲む人も増えたような気がする。嬉しい限りだ。
買い物に行くといっても、もともと持っていく荷物などない私に荷物はない。軽く上着を羽織り、父の淹れたコーヒーで一息ついてから、魔法界へと向かった。
「本当は別の移動方法もあるのだけど、最初は感動的にいこうか」
父に連れてこられたのは、ロンドンにある“漏れ鍋”という看板のついたパブだった。
これがあの、と興奮するよりも、まずその外観に驚かされた。
暗い。
そして薄汚い。
元日本人であるせいかはたまた時代のせいなのか、まるで飲食店とはいえない廃れ具合である。地震が起きたら真っ先に倒壊しそうだ。
どうしよう、入りたくない。
そんな気持ちを知ってから知らずか、父は私の肩を抱いて、店の扉を開いた。
「おや、まだ開店前だよ」
ギイ、と錆の擦れる音とともに目に入ってきた光景は、暗闇だった。
そこから聞こえた声に、父が返事をする。
「やぁ、僕だよトム。久しぶり」
「ん?その声は、アベルか?これはまた、珍客だね」
パッ、と明かりがついた。
しかしそれでも薄暗い店内だが、どうやら開店前というのは事実であるようで、店主とみられる男性は箒を片手に床掃除をしていた。
「(店内も汚い、ような)」
内心ため息を吐いた私は、日本人の感覚としては間違っていないと思う。
カウンターの奥になる棚にはさりげなく蜘蛛の巣が張っているし、あまり使われていないと思われるアルコール類の便にはたっぷりと埃が溜まっていた。
私の綺麗好きは異常であると昔誰かに言われたが、これは普通の人間でも流石にいただけない。
よろしくない、非常に。
あまりそわそわするのも失礼か、と顔を上げると、トムと呼ばれていた店主と目があった。
「これはこれは、なんとも可愛らしい娘さんだ。私はここの店主のトム。娘さん、名前をうかがっても?」
「ダリア・クローヴィスです。初めまして」
少女と男性ではやはり身長差が開いてしまうため、自分が見下ろされる形になる。物腰も声もとても優しいが、初めての場所ということで、恐怖を抱いてしまう。無意識に、傍にいた父の服を掴んでしまった。
「ダリア、トムは大丈夫だよ。なにか困ったことがあったら頼るといい。そうだね、迷子になったときとか」
「迷子には、ならないよ・・・」
「大丈夫大丈夫、トムは平気だよ、そうだろう?」
「そうだね、いつでも来てくれて構わないよ。迷子の時だけじゃなくて、一人で寂しくなったときとかね」
まったく毒気のない笑顔に、肩の力が抜けた。
「アベル、今日は買い物かい?」
「ああ、この子がホグワーツに入学することになってね。何せ久しぶりだから感覚がまだ戻らなくてね、色々と調整しないといけないんだ」
「入学か!それは素晴らしい!おめでとう、ダリアさん。大変かもしれないが、魔法界は良いところだよ、好きになってくれると嬉しいねぇ」
「あ、ありがとうございます。早く慣れるといいけど、」
「ありがとう、トム。じゃあ、また後で寄らせてもらうよ」
そんなやりとりをしてから、私は、映画で見た通りの奇妙な魔法のかかったレンガのアーチを抜けて、ダイアゴン横丁へと入ったのだった。
溢れるような人ごみの中に、どこか懐かしい黒髪を見つけて、ふと頭を過ぎる前世の記憶―――
(この世界に、君はいるのだろうか)
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