京都の奥の奥―――人知れずひっそりと建つ、かといって決して小さくはない屋敷の中で、一人の女性がため息をついた。
「ああ、なんだろう、なにか・・・嫌な予感がする」
彼女は巫女装束を纏っていた。
何の意味があるのかは知らないが、そのため息は熱を孕んでいる。
声は凛と響き、青く澄んだ空に溶けた。
女性は巫女ではないが、この屋敷の裏手にある神社の主を務めていた。
森の中ということもあり訪れるものは少ないのだが、それを気にする様子はない。
神社は一般的に狐を祀っているもので知られているが、この神社では珍しいことに蛇を祀っていた。
けれど、本来像のあるべき場所には何もなかった。
人にたたえられることなく、存在を知られることもなく―――ただただ、悠然とそこに在る。
女性は無表情に、空を見つめるばかりだった。
――――ざわ
一陣の風が吹き、森の緑を揺らして彼女の頬を撫でた。
「・・・十六夜」
隠されていた左目を細め、彼女は従者の名を呼ぶ。
緋色の袴の上で拳を重ね、動いていないのにもかかわらず、周囲の空気が豹変した。
細められた視線の先には、どこまでも深い緑の森。
・ ・
「少々騒がしいようだが」
うっすらと開いた唇からは少女のような、それでいてどこか大人びた声が紡がれる。
第三者が見ていれば、ただの独り言にしか聞こえない。
けれどそれを見ている者はおらず、独り言でもなかった。
「・・・・・・申し訳ございません」
いつのまにか、背後に一人の男性が現れていた。
彼は女性の後ろに控え、視界に入っていないのにもかかわらず片膝をついていた。
もっとも、陰に隠れて見えないのだが。
「どうぞご命令を。我が主」
「・・・」
「歪夢様」
何度話しかけられようと、彼女は背を向けたまま口を開かない。
けれど、従者はじっと待っていた。
急ぐ訳でもなく、問う訳でもなく、聞くわけでもなく、見る訳でもない。
己はただ一人の為に、命令さえきけばいいのだと。
美しい己が主の後姿を見ていた。
「―――十六夜」
「残らず、仕留めて来い」
そして、振り返る。
深い蒼の瞳が、従者の姿を捉えた。
そして彼は、薄く笑った。
「仰せのままに、愛し我が君」