Mement mori | ナノ

【35才児と地下水道】


 



 レイヴンが向かったのは、街外れの橋の傍、そこにある建物を恨めしげに眺めていたユーリ達の元。「下手打たないように」そうドンが言ったってことは、やっぱりそうだ、ドンが煽っているのはこの裏にいる誰かに見せつけるためであって、本気で戦争しようとしているわけじゃないんだ。少し、安心した。

 あまりレイヴンの事を信用していないらしい彼らを伴ってやってきたのは酒場、天を射る重星。店の奥には、割と常連なわたしも入ったことのない部屋がある。酒場なのに、見張りがついていて、入ろうにも入れないような部屋だ。レイヴン曰くそこは、「ドンが偉い客迎えて、お酒飲みながら秘密のお話するところ」だそうだ。
 でもどうしてレイヴンはそんなところに皆を連れてきたのだろう。ユーリの訝しげな視線が彼に突き刺さる。

「ここでおとなしく飲んでろってのか?」

「おたくのお友達が本物の書状持って戻ってくれば、とりあえず事は丸く収まるのよね」

「悪ぃけど、フレンひとりにいい格好させとくわけにゃいかないんでね」

「わたしたち、この騒ぎの犯人を突き止めなければならないんです! もし、バルボスが…」

 彼らの言動から推測するに、どうやらあの騎士は八つ裂きを免れ今は本物の書状とやらを取り返しに行っているらしい。恐らくエステリーゼの言うこの騒ぎの犯人が、書状をすり替えたのだろう。黒幕は、ギルドと帝国を衝突させたくてあんな過激な文章を用意したのか、悪趣味。彼らの考えでは、悪趣味な黒幕はバルボス、なのか。そういえばユーリがドンに話があるって言ってたのもバルボス絡みのことだっけ。
 ユーリがそう言うのを予想していたらしいレイヴンは部屋の奥へ行き、「まあまあ」そこにある大きな扉の前で立ち止まった。

「急いては事を仕損じる」

「これは?」

 あくまで軽い調子を崩さないレイヴンだが、その意味深な顔に、ユーリが何かを察したようだ。

「この街の地下には複雑に地下水路が張り巡らされてる。その昔、街が帝国に占領された時、ギルドはこの地下水路に潜伏して、反撃の機会をうかがったんだと」

 つまりこの扉の先が、「ここ、……地下水道?」思いつくままに口に出してみれば、レイヴンがにたりと笑った。

「みうちゃんご明察。で、ここからこっそりと連中の足元に忍び込めるって寸法なわけよ」

 連中。ああ、あの建物の下にも地下水道が繋がってるってことか。紅の絆傭兵団、バルボスの姿は見当たらなかったけど、いるとしたら多分そこ。高みの見物とはいいご身分なことで。
 正面突破より回り道ではあるが、こちらの方が相手の意表を突くこともできる。ユーリもそう考えたらしく、このまま地下水道へ突入する気になったようだ。

「信じてよかったでしょ?」

「まだよかったかどうかは行ってみないとわかんねえな」

「やっぱおっさんは信用ならない?」

「平気だユーリ、レイヴン、信じたらいい」

 わたしはレイヴンの袖を掴んで言ってみた。一瞬驚いた顔をしたユーリだが、すぐ口の端を片側だけ吊り上げて、わたしの肩に手を置いた。何だろう、あまりいい予感がしない。もしかしたらわたし余計なこと言ったかも。

「ふぅん、だったら当然、お前らもつき合ってくれんだろ?」

「わたしも?」

「あっらー? おっさんたち、このままバックれる気満々だったのに」

「おっさんにもいいかっこさせてやるってんだよ、ほら行くぜ」

 やっぱり余計なこと言った。ユーリにぐいぐいと背を押され、わたしも地下水道へご一緒することになった。真っ暗だ、これじゃあユーリが保護色で見えなくなるなと思ったけど、レイヴンの羽織は闇に溶けきれない紫色をしていて、それをぎゅっと掴むことではぐれるのだけは避けられそうだ。





 真っ暗な地下水道で、レイヴンはリタをランプ代わりにしようとしていたことが発覚。でも彼女はそれは不可能だって言って、なんだレイヴン地下水道使おうっていうのはいい考えだったけど結局考え無しも同然じゃん。暗闇の中でもわたしの非難めいた視線を感じたのかレイヴンが息を詰まらせる気配を感じた。

 だけどラピードが見つけてくれた光照魔導器のお陰で何とかなりそう、照らされた道は割と広さのある、立派な地下水道だった。
 道がある程度見えるようになったのをいいことに、先に行くラピードを追いかけてレイヴンが駆け出した。こどもかあんたは。

「レイヴーン。暗い、迷うぞー」

「あんがとみうちゃん、だーいじょうぶよぉ」

 闇の中に消えるレイヴンの背中。正直、ほとんど面識のない人たちの中に取り残されるのは心細い。かと言って少しでも離れると視界を奪われるだろう闇の中まで彼を追う気にはなれなかった。
 隣から刺すような視線を感じる。そこにいるのは光照魔導器を持っているリタだ。

「あんた、自棄にあのおっさんを信用してんのね」

「ああ、レイヴンだからな」

「なにそれ…」

 理解できないとでもいうように眉を潜めるリタ。その隣を歩いていたエステリーゼが苦笑し、ユーリが肩を竦めたのが分かった。逆にこの人たちはあまりレイヴンを信用していないようだけど、何をすればそこまで信用を失うのか。胡散臭さを差し引いても彼が何かをやらかしたに違いない。
 え、いや、わたしはレイヴンを信用してるよ、うそじゃないよほんとうだよ。

「ねぇ、みうも天を射る矢の人なんでしょ? 天を射る矢でのレイヴンってどんな感じ?」

 カロルが興味津々といった風に尋ねてくる。どんな感じ、と聞かれても、上手く答えられない。強いて言うなら、「あんな感じ」だ。それを聞いたカロルはレイヴンが消えた方の暗闇を見て何とも言えない複雑そうな表情をしていた。天を射る矢に憧れている少年の夢を壊した気分だけど、勘違いしないでほしい、ギルドの人全員がレイヴンみたいなわけじゃないよ。
 遠くからレイヴンのはしゃぐ声が聞こえる。そんなに離れていたんじゃ届く光も僅かだろうに、よくやるなああの人は。

「あの、みう、さん」

「みうでいい、……何よ?」

「その…ひょっとして、ですけど、……わたしたちのこと、怖がってません?」

「あーそれオレも思った。お前、距離置こうとしてるだろ」

 何故ばれた。わたしが答えずに黙っていると、リタが「やっぱり」とか言ってるしカロルは何だかちょっと寂しそうな目で見上げてくる。やめて、良心が軋む。
 でもわたしのそれもほとんど無意識のうちだった、距離を置きたい、というよりも、これは……あまり口に出したくないかもしれない。自覚した瞬間そう思った。何だろう、自分すごく気持ち悪い。“レイヴンを信用していない奴らをわたしが信用する義理はないんだ”って、なにそれ気持ち悪い自分。いつの間にこんなに彼に入れ込んでたんだろう。

「…すまねぇ」

「謝ることじゃありませんよ」

「けどよ、エステリーゼさん」

「あ、わたしのことはエステルって呼んでください。その方が距離が縮まります!」

「え…エステル?」

「はい!」

 彼女は闇の中でも淡い桃色を揺らし、柔らかく微笑んだ。やめて、わたしそんな顔で微笑みかけられるような人間じゃないのに、罰が悪くて、わたしはレイヴンがいるだろう方向に目をやりながら曖昧に言ってみる。

「レイヴンは……俺の大事な奴だから」

「そうなんです?」

「ああ」

「へぇ…つまりオレらがあのおっさんを信用してないから開く心もねぇってことか、なるほどね」

 ユーリの台詞に押し黙る。煮干し、じゃなくて図星。ちょっと何にやにやしてるのユーリ、頭ぐしゃぐしゃ撫でるなこども扱いするな、エステルも何でそんなにきらきらした顔でこっち見てるの、この人たち意味分からないそして怖い。

 そんな時、人にしては軽快な足音が近づいてきたかと思うとそこにはラピードがいた。戻ってきたようだ。しかし、レイヴンの姿は見当たらない。気配も近くには感じない。きょろきょろ辺りを見回していると、「おーい!ワンコ、どこ、あっ……痛っ!……うひゃっ!」ごちん、何かにぶつかる痛そうな音、続いてばしゃんと水に何かが落ちる音。……何が落ちたかなんて考えたくもない。

「…あんたの大事なおっさん、落ちたみたいだぜ」

「うん……なんか、ごめんなさい」

「みうちゃーん、聞いてるんでしょ、おっさんを助けてぇ……!」

 ばしゃばしゃばしゃばしゃ。レイヴンを心底信用している少数派のわたしが馬鹿みたいだ、確実に名を呼ばれたその声を聞こえなかったことにした。だけど敢えてもう一度言おう、こどもかあんたは。
 わたしは彼らに聞こえない程度の大きさで、それでも深く溜息を吐く。

「…呼ばれてるわよ」

「気の所為だ」


110808


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