Mement mori | ナノ
【背中でおはよう】
「野郎ども、引き上げだ」
ドンの声が聞こえる。わたしも行かなきゃ。でも変だな、身体が動かない、急用でダングレストに戻ると言うドンの声は聞こえるのに姿が見えない、わたし、どこにいるんだっけ。待ってドン、わたしも行くよ、置いていかないで。
「レイヴン、そいつを頼む」
「はいはい。言われませんでも俺がちゃんと介抱しますよ」
身体が、浮き上がった。この温度は知ってる、一番わたしにとって馴染みのある温もり。温かいなあ、この微かな音を耳にするのだって久し振りだ、レイヴンに色々言ってやりたい文句とかがあるはずなんだけど、やっぱり身体が動かない。声も、出ない。そっか、わたしの身体、寝てるのか。もうすぐ思考も閉じるんだろう。
レイヴンがユーリ達少年少女と言葉を交わすのを聞きながら、わたしは今度こそ眠りに落ちた。
「ねぇレイヴン、その人も天を射る矢なの?」
「まぁね。まだまだ新米だけど頑張り屋さんでいい子よ」
「でも聞いたことがないわよ、個人差があるにしても治癒術がまるで効かない体質だなんて」
「酷い怪我です……わたしに治す力があれば…」
「落ち込むなって。お前の所為じゃないだろ」
「そそ、嬢ちゃんの所為じゃないって」
耳元をふさふさした何かに擽られて意識が覚醒しはじめる。わたしは歩いていないのにゆらゆらと揺られ前に進んでいた。視界に入る見慣れた紫色、傍にある体温。なんだ、レイヴンに背負われているのか。結局ドンには置いていかれてしまった。
わたしが身動ぎする気配を感じたのか、レイヴンが「お目覚め?」と肩越しに声をかけて来る。耳元を擽っていたのは彼の髪の毛だった。レイヴンはわたしを背負ったまま器用に片手でごそごそと懐を探り、いくつかのグミを口元へ差し出してくる。わたしは返事の変わりに口を開き、それを受け取った。グミ美味しいです。
「レイヴン、もう歩く、出来る」
「まぁそう言わず。もうちょいゆっくりしてなさい」
グミを咀嚼しながらもう自分で歩けると訴えたのだが、レイヴンがそれを聞き入れてくれる様子はない。改めて周囲を見ると彼と顔見知りで割と親しげにしていた少年少女がまじまじとこちらを眺めていて、こんな所で目覚めなければよかったと思った。「あ、お前、やっぱり」降ってきたのは何か思い出したといった風なユーリの声。そういえばこの人ドンと戦ってたっけ。
「ドンは勝った?」
「開口一番それかよ…んなことよりお前、オレのこと覚えてないのか?」
「それ、サンバ?」
「ナンパの間違いだろ、違うけど」
「え、なになに、青年ってばみうちゃんとお知り合い?」
ユーリの様子を見る限りではやはりドンが勝ったらしい、当然と言えば当然だけど。それよりもユーリはわたしを知っているらしい、わたしもどこかで会ったことがあるような気がしたんだけど、ええと、思い出せ。この真っ黒な姿、どこかで見たことがあるはずだ。ダングレストではなくもっと別の場所、この黒は、坂の上から走ってきた。橙色に終われながら走ってきた。そしてわたしは巻き込まれた……ああ、あの時の。
「帝都で騎士に追うされてた、人、」
「………まぁ、な。久し振り」
「帝都…ああ、一度だけ連れてったことがあったっけねー」
「ユーリの知り合いだったんですね」
「巻き込まれただけ」
「悪かったって」
「あ、申し遅れました。わたし、エステリーゼって言います、エステルって呼んでください」
「ボクはカロル! それでこっちが、」
「リタ・モルディオよ」
「おっと、ラピードのことも忘れてやんなよ」
「わふっ」
矢継ぎ早に自己紹介されて頭がこんがらがる、何だろうこの人たち、レイヴンの知り合いなのかな。レイヴンはレイヴンでおっさんって呼ばれて満更でもない感じだし、何だかよく関係性が掴めない。
取りあえず自己紹介されたのならわたしも名乗らないと、「『わたしは』、」「みうちゃん」素早く小声でレイヴンに名を呼ばれ、はたと気付く。わたしの口から零れたのは既に懐かしさすら感じさせる日本語。久し振りに口にしてしまった。それほどまでに混乱してたらしいわたしは、一息ついてから改めて口を開く。先刻の、彼らにとっては意味を解せないだろう一言を払拭するように。
「わたし、みう。レイヴンが世話になってる、すまねぇ」
ユーリとカロルが笑った。エステリーゼは口元に手を当てくすりと笑みを零す。リタは呆れ気味に半眼でレイヴンを眺め、ラピードは欠伸をひとつ。
「そりゃないっしょ、みうちゃん…」
レイヴンが落胆に肩を落とす。わたしたちはいつの間にかダングレストのユニオン本部の前まで辿り着いていた。
彼らはドンの元へ行くらしい。漸く下ろしてもらえたわたしはレイヴンに部屋に戻って休むように言われたが、首を横に振った。わたしもドンに会いにいきたいから、目的は同じ。
ドンが余所から来た人と会う時によく使う部屋。つい最近見たような金髪の騎士が先客としてそこにいたが(どうやらユーリとは古い友人らしい)、何でもないようにドンの隣へ向かうレイヴンに、わたしも続いた。ドンの後ろで控えていたハリーと目が合って、彼も無事だったことを知る、よかった。「満身創痍だな」小声でささやかれたので「うるさいね」と返しておく。「…無事でよかった」その言葉、そっくりそのまま返すよ、ハリー。
110807
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