Mement mori | ナノ

【結界「じゃあの」】


 


 最近になってもう何度目かもわからない警鐘の音。決して慣れたくないそれが聞こえてしまって、本部内にいたわたしは矢が十分にあることを確認してから橋の方へ向かおうと飛び出した。
 警鐘の下から聞こえる魔物の足音は地響きのようで、感覚的にいつもより数が多いと踏む。慣れたくないけど慣れ始めているこの状況に、しかし、更なる危機が訪れたのだ。

 わたしがここに住み始めてから約一年、その存在を疑問に思ったりもした、街の周囲を囲むようにして浮いている輪が、突然、消えてしまったのだ。つまりそれは、結界魔導器の街を守るという機能が失われたということ。
 そうなれば、結界のお陰で街に入れず食い止められていた面もあった魔物たちの侵入を許してしまうことだってあり得るのだ。これはやばい、テルカ・リュミレース歴が赤ん坊並に短いわたしにもわかる、やばい。ここまでのやばさを感じたのは久し振りだなぁなんてしみじみする間もなく、わたしは本部のどこかにいるだろうドンに聞こえるよう大きく声を張った。

「じいさん! 結界無くなった、やべえ!!」

 思いの外早く現れたドンは緊迫した表情をしていて、手には既に抜き身の剣が握られていた。「てめぇらぼさっとすんな、いくぞ!」そのドンの一声だけで、本部の中にいたあらゆるギルドの人間が武器を手に動き始める。流石ドンだ、事態を理解できていなくても、ドンの言葉に従えばそれはほとんどいい方向に繋がるのだと彼らは何となく分かっているのだろう。

 一足先に本部を出たわたしは思わずたじろいだ。既に魔物が街の中に侵入しているではないか。そんな光景を、今までに見たことが無いわたしは、絶句。同じように出てきた人たちが驚く気配があって、ああそうか、やはり結界が無くなると言うのは彼らにとっても初めてのことなんだ。一体、何故―――?

「怖気づくんじゃねえ、そんなんでてめぇの大事なもんが守れんのか?」

 剣を担ぎ、一瞥もくれず放たれるドンの言葉は何もわたしだけに向けられたものではない。なのに、それだけで、わたしの背は鉄柱に貫かれたように真っ直ぐ伸びた。そうだ、この前決めたばかりじゃないか、守る、って。
 考えるより先に足を動かした。ドンに置いていかれてしまっては意味がない。

 逃げ惑う人たち、それを追う魔物。ドンは擦れ違う魔物を手当たり次第切り裂いて、屠って――「じいさんあっち!」怪我を負って逃げ出せない人が数名いて、何人かの人がそれを守ろうとしているのだけど魔物の数が多すぎてとても間に合いそうにない。わたしが叫び終わった頃にはドンは一気に三匹くらい魔物を始末したところだった。
 わたしは進行方向にいた道に座り込んでる女性を助け起こし、走れることを確認してその背を目だけで見送る。それを追おうとした猪の頭部に、矢を何本かお見舞いしてやった。

「さあ、クソ野郎ども、いくらでも来い、この老いぼれが胸を貸してやる!」

 ドンの勇ましい声が上がった。どこからか「とんでもねえじじいだな」と感嘆の声が聞こえるがまったくだ、あんな老いぼれは老いぼれなんて呼ばないよ。
 だけど、ドン・ホワイトホースという男が現れただけで、その場の士気が格段に上昇する。どのギルドも問わず、戦える者は立ち上がり武器を構えた。わたしもその中の一人、なんだけど、あれ、何かギルドじゃなさそうな人が、「魔物の討伐に協力させて頂く!」混ざってる気がしたのは気のせいだろうか。

「騎士の坊主は、そこで止まれぇ!」

 気のせいじゃなかったようだ。ついわたしまで足を止めそうになって結果的につんのめり前にいた誰かにぶつかってしまった、痛い、そしてごめんなさい。

「騎士に助けられたとあっては、俺らの面子がたたねえんだ、すっこんでろ!」

「今は、それどころでは!」

「どいつもこいつも、てめぇの意思で帝国抜け出してギルドやってんだ! いまさら、やべえからって帝国の力借りようなんて恥知らずこの街にはいやしねえよぉ!」

 ああ、そうか。これが、そうなのか。初めて目にした、ギルドと帝国の関係性。帝国がどうかは知らないけど、ドンたちギルドの人間がどうしてわたしの目にこんなにもかっこよく映るのか、わかった気がした。騎士を束ねているらしい金髪の青年は「しかし!」尚も食い下がる。青い瞳は曇りがなく真っ直ぐで、きっと正義感が強い所為で簡単には引き下がれないのだろう。
 でも、無理だよ。

「そいつがてめぇで決めたルールだ。てめぇで守らねえで誰が守る」

 ドンがわざわざ口にしたんだもの、その意志を曲げるはずがないでしょう。

 これ以上話すことも無さそうなので、わたしはさっさと駆け出し魔物を片付けるため勤しんだ。結界がなんぼのもんだ、ドン直々に士気を上げられたギルドの強さは半端無いに決まってる。かくいうわたしも先刻の言葉が胸の中に留まっていて、帝国騎士団の善し悪しも知らぬまま、拾われたのがギルドでよかった、と思った。


110807


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