Mement mori | ナノ
【おかしな人】
レイヴンがおかしいのはいつものこと。酷くない酷くない、本当の事だから仕方ない。
でも今さっき扉を叩いて開いてわたしの部屋に踏み入ったレイヴンは、その瞬間明らかにおかしくなった。時間が止まったようにぴたりと足を止め、取っ手に掛けた手もそのままに、動くことを止めてしまったのだ。
「……………この香り、」
つられてわたしも静止しているところに、やっと絞り出されたレイヴンの声。香り、そうか、キルタンサスの花の匂い。昨日活けたばかりだからまだ瑞々しいそれが、チェストの上で紅い存在感を放っている。
「キルタンサス、貰うしたから」
「貰う、て、誰に?」
「……………知らねぇ人」
そういえば名前聞くの忘れてた。結局誰だったんだろう、あの青い伊達男さんは。漸く動き出したレイヴンは呆れた顔で溜息を吐く。言わんとしている事は分かる、知らない人からものを貰うなんていい年した人間のすることじゃない、とか、大方そのへんでしょ。
だけどそれだけにしては複雑そうな表情をしたレイヴン。彼はどこか覚束ない足取りでキルタンサスの活けられた花瓶の前までやってくると、虚ろな目でそれを見下ろした。
まただ、またおかしい。この前、エフミドの丘でもそうだった、キルタンサスを目にした彼は明らかに様子が変わった。もしかしたら彼はこの紅い花が嫌いなのだろうか。
「…レイヴン?」
「………」
「キルタンサスの花、嫌い、か?」
「――や、別にそういうわけじゃないよ。ただちょっと、この花見てると昔の友人のこと思い出してね……そういうみうちゃんは、こういうのが趣味なんだ」
「あ、ああ。せっかく貰ったの、綺麗だろ」
貰ったものを活けもせず枯らしてしまうのは勿体ないし、花束をくれた名前も知らないあの人に申し訳ない。あと単純に、わたしがキルタンサスを気に入ったってのもある。
レイヴンは暫く黙ってわたしの顔を注視していた。虚ろだった青翠がじぃと目を覗きこんでくるから、何だかそわそわして落ち着かない。「男、よね」ぽつりと呟かれた言葉に首を傾げる。男、何が。花束をくれた相手がそうかと問われているのならば、答えは是。あれはどう見ても男だ、まさかまさかの大どんでん返しでもなければ男に決まってる。
わたしは頷いた。
「その男のこと……好きなの?」
「は」
「いや何でもない、何言ってんだろ俺様……今のなし、忘れて」
今までの態度が嘘のようにへらっと笑ったレイヴン。逃げ出そうとするが、それを既に
読んでいたわたしは羽織の裾を掴んで引き止める。罰が悪そうな顔で振り返った彼に、思い切り抱き付いてみた。
「ちょっ、みうちゃん!?」
「あいつが、レイヴンとかドンよりかっこいい顔してても、わたしは好きだぞ、レイヴンのがすき、あいしてるぜ」
だから安心してねおじさん、今はこの花を見て思い出すっていう昔の友人のことも追求しないでおくから(何となくその人は女性なんだろうなって思う)、そんな情けない取り乱し方しないの。
レイヴンは「参ったねぇ」とかぼやきながら抱きしめ返してくれた。ほんのちょっとでもわたしに花を贈った人に嫉妬したのかもしれない、弟子を取られる、みたいな感じで。でもね、心配しなくてもわたしの場所はここだから、わたしが強くそう思ってるってことを、レイヴンにもっと知ってほしい。
変に心配症のおじさんはどうすればその辺を分かってくれるのか、暫く抱きしめながら考えたけど答えが出なかったので、腹癒せに更に強い力で抱き締めてやった。
「ちょっとちょっとみうちゃん、そんなに強く抱きしめられたらおっさん恥ずかしくて死んじゃうわよ」
「む、……とうっ」
わたしの腕の力なんかじゃ動じないレイヴンに腹が立ったので、離れ際踵で彼の足の甲を踏んでおいた。痛そうな悲鳴が上がる、いい気味だ。
110806
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