Mement mori | ナノ
【喧嘩してないけど仲直り】
あの日の出来事から、当然かもしれないけどレイヴンと気まずい関係が続いている。あっちは普段通りに接してきてるんだけど、多分、無理して取り繕ってるんだと思う、レイヴンは色々隠したり押し殺したりするのが上手い人だから。もちろん、何を隠して何を押し殺しているのかは知らない。けど、彼が何かを隠し押し殺している事だけは、そろそろ確信を持ってそうだと言える。
それが、彼にとって、非常に重要なことだというのも。感じるんだ、ただ感じるだけで、どうしようもないけど。
よし、もしも今日レイヴンに会うことがあったら仲直り出来るように頑張ろう。
わたしは飛びかかってくる植物の魔物に矢を数本射て、動かなくなったのを確認してから意を決した。殆ど運任せだ、今日レイヴンと顔を合わせるかどうかもわからないんだから。
依頼の終了に労わりの言葉をかけてくる仲間の声も聞き流して(ごめんね悪気はないんだ)、帰路につく。こういうときこそ初心に帰るべきだと思った。
矢筒から矢を引き抜く。弓弦を引く。矢を射る。矢筒から矢を引き抜く。弓弦を引く。矢を射る。矢筒から矢を引き抜く。弓弦を引く。矢を射る。
単純作業のようだけどひとつひとつの動作に削る集中力が半端無い。以前、レイヴンに認めてもらうために弓弦を引いていた時とは違って、矢が刺さる場所はほぼ一定になった。命中率が上がったのは一目瞭然、そりゃそうでなくては困る、動き回る魔物を相手にすることだって増えてきてるんだから静止する的くらい簡単に当てられないと。
仕事から戻って街中を暫くぶらついてみたけど、紫の羽織は見当たらなかった。もしかしたら街にいないのかもしれない、ならドンか誰かに聞けばいいんだろうけど、そこまでして探そうとは思えなかった。臆病でごめん。
背負った矢筒から矢を引き抜こうとして右手が空を掻く。いつの間にか全部使ってしまっていたようだ。仕方ないので例の器具を使って、針鼠みたいになった板から矢を抜く。
ふと目に入った右手は革製の手袋に包まれていた。あんなに皮の剥けてた手のひらは今じゃカチカチの硬い皮が新しく張られていて、人間の再生力って大したものだ。どこかへ行ってしまったまま戻ってこないわたしの痛みが帰ってくる気配は、ない。
緩く開かれていた右手を、思い切り握る。矢を狙ったところに当てられる程度の強さじゃ、まだ足りない。回収した矢を矢筒に収め、持っていた弓を剣に変形させる。今度はこっちだ。もっと早く、もっと鋭く。ドンなんてあんな大きな武器をわたしのそこまで大きくない剣よりも早く振り下ろすんだよ、自分のこと老いぼれだなんて言うけど、まだまだ現役じゃない。
一心不乱に剣を振り続けていると、背後に感じる気配。誰だろう、ほぼ反射的な動きで、振り向きざまに傍までやってきた誰かに剣を突き付ける。
悪漢だったら儲けもの、でもそこにいたのは―――。
「れ、いぶん」
「や。邪魔しちゃったかね」
額にほとんど触れるくらいの距離で、わたしが構えた剣の切っ先が突き付けられているにも関わらず、レイヴンはへらりと笑って見せた。はらり、運の悪い前髪が数本落ちる。
「すまねぇ、レイヴンだって気付くできなくて」
慌てて剣を下ろす。気配を感じ取れるようになったのはいいけど、それが誰だかも感じ分けることができるようにならないといけない。ほんとごめんレイヴン。
「いやいや、いいのよ。随分熱心だったみたいだし、邪魔したのはおっさんの方」
「でも、……や、まぁ、いい。ねぇレイヴン、わたし」
「ありがとうね」
「この前、………え?」
それはあの時言われたものと同じ台詞。だけど今度のは、掠れてなんかいない、弱々しくもない、しっかりしたいつものレイヴンの飄々とした声。
「おっさん、柄にもなく嬉しかったわ。愛されてんのね」
「当たり前、だしょ」
わたしはレイヴンが好きだ、いや変な意味ではなく純粋に。その気持ちに嘘はない、冗談交じりな彼の台詞、だけどわたしの言いたいことは伝わっていたみたいでよかった。
薄暗くなってきた空の下で、レイヴンはわたしから視線をずらして斜め上を見る。というより、どこも見ていない、自身の内面に目を向けているような。そういう顔をする時、レイヴンは決まって自分の胸のあたりに手をやる。今も、そうだ。
「おっさん、みうちゃんといると、生きてるって気がするわ」
「それも当り前、だってレイヴンは生きて、息してる」
「はは、違いねぇ。ま、そゆことだからみうちゃん、おっさんに変に気使わないで、ね?」
「う…ん」
「どしたのよ、浮かない顔して」
どうしてそう思うのかは自分でも分からないんだけど、ね、レイヴンの言動を耳にして、急に不安になった。
「レイヴン、頼む」
「なに、何でも言ってみなさい」
「いなくならないで」
わたしがそう言うのを聞いて、困ったように笑うレイヴンの顔が、しばらく瞼の裏に貼りついたまま消えてくれなかった。
その表情のまま紡がれた「可愛い部下にそう言われたら善処しないわけにいかないね」曖昧な答えなんて別にいらない、ただレイヴンがいてくれれば、わたしはそれでいいのに。俯きながら唇を噛んで、頭に乗る慣れた重みを感じながら思考を放棄した。
唐突に思った、レイヴンが幸せになればいいのに、って。
110805
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