Mement mori | ナノ

【上司に不安を覚えました】


 


 ドンの前で天を射る矢の掟に誓いを立てた後、都合よくわたしの部屋を訪問してくれたレイヴンに先刻のドンとの会話をそっくりそのまま伝えると、彼は驚きに口をあんぐり開いたまま固まった。気持ちは分かる、わたしもそうしたい気分だもの。

「というわけで、レイヴン、わたしの上司だ」

「まったくやってくれるわね、じいさん…」

 余程参ってしまったのだろうか、レイヴンはがっくり肩を落として俯いてしまった。それはそうだろう、だってわたしに戦い方を教えてくれていた時までとは違って、今度はわたしが部下になるっていうことだから。
 仕事上の関係になる、それはわたしにとっても少し面倒。今まで気にしてなかったけど、敬語とか、全く知らないし。上司には敬語使いたいところだよな、と思いつつ、他の天を射る矢の人たちはドンはともかくレイヴンにそれっぽい言葉使いをしているところを見たこと無いなぁと考える。
 それどころか軽く頭引っ叩いてみたり小突いてみたり、レイヴンはそれを嫌がって無いみたいだけど、贔屓目に見ても幹部、って感じしないよねこの人。あ、悪い意味じゃない、親しみやすいってことで。

「みうちゃん」

「なに?」

「天を射る矢に属して俺様の部下になったからって、変に気負わなくていいからね。今まで通りふつーに接してちょうだい」

 わたしの考えは見抜かれていたようだ。思わず口をへの字に閉ざしてしまう。
 いつもそうだ、レイヴンはわたしの考えてることを先読みして、口に出して、だからわたしが何も言えなくなる。後に残るのはちょっとした悔しさと、若干の嬉しさ。

 いや、嬉しさというよりも、甘えだ。この人はわたしを理解してくれているのかもしれないなどという、甘ったれた考え。そんなもの捨てろ、そんな調子ではみんなの足を引っ張るだけ。

「レイヴンは、」

「んー?」

「優しいがすぎて、気持ち悪いな」

「酷っ!」

「でも」

「今度は何よ…」

「あいしてるぜ」

「!」

 レイヴンは拗ねて唇を尖らせていたが、わたしが「あいしてるぜ」を言うとがばっと抱きついてきた。こどもかあんたは。「おっさんもあいしてるわよー」なんて言われて、ありがとうを返すのも億劫になる、中年のくせに引き締まった腕が苦しいくらいに締め付けてくるからだ。硬い胸板に頬を押しつける形になって、こういう時必ず思うのは自信の反応に対する不思議さ。聞こえる微かな音にはもう慣れた。
 そこまで男性経験が豊富じゃないわたしは、場馴れしているわけでもなく、更に日本人特有の接触の不慣れがある。なのに、レイヴンにそうされることが嫌じゃない、もちろん気恥ずかしくはあるが、どうにも抗う気になれないのだ。

「レイヴン、苦しい」

「こりゃ失敬」

 ぱっと身体を離したレイヴンは、わたしの寝台の上に腰を下ろし、膝の間をぽんぽんと叩く。「おいで」と言われ、わたしはペットじゃないのにと眉を寄せはしたが呼ばれたとおり大人しくその場所に座ると、後ろから包みこむようにして抱き締められる。この体勢に苦しさはないが、一体どうしたというのか。首のあたりにあるその手に躊躇いながらも触れてみたら、背中越しで彼が深く息を吸う気配がした。意味も無く心臓がどきどきする。

「みうちゃん」

「なーに」

「みうちゃんは俺より先に、死んじゃ駄目だからね」

 囁くような弱々しさで紡がれた懇願にも似たそれに、ひゅ、と息が詰まる。
 肩に凭れ埋められたレイヴンのくぐもった呼気を感じながらも、どうしてか答えることが出来ず、答えの代わりに触れていた彼の手を強く握った。お願いだから、レイヴンも、しなないでね。この気持ちは、伝わったかな。




110805


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