Mement mori | ナノ

【過ぎゆく日々】


 




「みう、いったぞ!」

「あいよ!」

 ハリーのよく通る声が飛んできて、わたしはそれに負けないくらいの声で返す。
 土煙を巻き上げてこちらへ突進してきたのは、わたしの世界で言う猪みたいな姿をした魔物。鋭く大きな牙を頭ごと振り乱して突進してくる魔物は直線でしか走れないようなので、わたしは地面を転がる様にしてそれを避けた。
 急ブレーキと共に方向転換しようとする魔物だがそんな隙を与えるわけにもいかない。体制を整えると同時に番えた矢を射る、一本二本三本、よし全部命中。続けてもう一本、意識を集中させて―――、

「射抜け!」

 レイヴンから教わった技、時雨。光を帯びた矢は一直線に猪の頭を貫き、断末魔も無く魔物は倒れ伏す。二度と動くことはないだろう。
 遅れてやってきたハリーは剣を収め、周囲を見回す。猪の群れは全部片付けたらしく、わたしが倒したのと同じ死骸がいくつかそこらに転がっていた。

「終わり、かね」

「みたいだ。あっちに怪我人が何人かいる、頼んでいいか?」

「おうともさ!」

 ハリーが指した方向には天を射る矢の人たちがいた、そのうちの何人かは顔見知り。重傷を負ってる人はいなかったけど、浅くはない傷を負っている人がちらほらいた。ファーストエイドを唱えると、痛みに歪んでいた顔を和らげて謝礼を伝えられる。どういたしまして。

 わたしは正式に天を射る矢に属しているわけではない。でもこうして、ギルドに出された依頼の手伝いをすることを、ドンが特別に許可してくれている。もちろんレイヴンの口添えもあったから、この借りはもうどう足掻いても返せない気がしてきた。でも役に立って恩返しをしたいから、わたしは出来る限り自分から一緒に連れていってほしいと頼むことにしている。
 今じゃ足手まといにはならないくらいのレベルになった。レイヴンが死ぬほどしごいてくれたし、魔物相手の実戦経験も数をこなして、まぁやっと一般人よりは強いかな、ってくらいだと自負している。少なくとも、初めてわたしを襲ったあの魔物にまた遭遇した時は返り討ちに出来るんでない、ってレイヴンが言ってくれた。そいつはレイヴンとドンが倒しちゃったらしいけどね。

「ハリー、あいつら怪我なくした」

「ああ。帰ってドンに報告だ。みう………その、」

「ん?」

「今日の動き……悪くなかったぞ」

「……! ハリーあいしてるぜ!」

「ば、っかやろうさっさと戻るぞ!」

 褒められたのが嬉しくて、レイヴンに教わった「あいしてるぜ」を言ったらハリーは何だか怒ったらしい。「すき」より「だいすき」より気持ちを伝えたいなら「あいしてるぜ」だってレイヴンが言ってたのに。不味かったろうか。でもまぁいい奴なんだよハリーは。この前だって小さい頃に読んでたっていう植物図鑑とか魔物図鑑とか、色々くれたし。ただちょっと捻くれてるだけ、あのおさげの可愛い子と上手くいってるのか心配、見た感じでは友達以上恋人未満ってところだったけど。
 わたしたちの様子を眺めてたギルドの人たちがげらげらと笑う、天を射る矢の人はみんな優しい。流石、ドンが束ねてるだけあるなぁ。






「みう、おめえに渡すもんがある」

 すっかり日課みたいになったドンの肩揉み。ドンはすごく肩幅が広いから片方ずつしか揉めないんだけど、それでも喜んでくれるから、続けている。何度だって思う、ドン本物のお祖父ちゃんみたい。ある意味魔物の討伐より重労働かもしれないこの作業中、ドンは思い出したように身動いで、椅子の上に立って肩を揉んでいたわたしに何かを差し出した。麻袋だ。

「何よ、これ?」

「報酬だ。今までこなしてきた依頼のな」

 麻袋の中からじゃらりと金属質な音が籠って聞こえた。ドンの言葉からも、中身がガルドだということを知る。
 だけどわたしはそれを受け取るわけにいかなかった。

「じいさんわたし、ギルドじゃねぇ」

「でも、働いただろうが」

「ガルドのためじゃねぇ、わたしのしたかったこと」

「いいから受け取れ」

「やだ」

「俺に逆らうのか?」

「や、やだ」

 ドンに睨まれるのは蛇に睨まれた蛙なんて生易しい形容じゃすまない。優しめな例えでも、ライオンに睨まれたミジンコくらいはいく。
 でもねドン、分かってよ、わたし、あなたに凄くお世話になってるんです。一生かかっても返しきれないくらいの恩を受けてるんです。それなのに、その恩を返すためでもある行為でまたあなたから施しを受けるわけにはいかない。本末転倒だ。

 わたしが決して退かないという意志が伝わったのか、ドンは呆れた様子で溜息を吐く。「強情なやつだ」すみませんごめんなさい悪気はないんです。でもやっぱりわたし受け取れないよ、依頼の手伝いだって結局は依頼主のためよりも自分の事情のため、っていう方が多いし。

「みう」

「う……うん?」

「おめえ、正式にうちのギルドに入る気はねぇか」

「天を射る矢に? 誰が?」

「てめぇだ」

「え」

 絶句。ドン、何言ってるの。

「前々から言おうと思ってたんだがな。おめえはよく働く、どんなギルドでも欲しがられるような人材だ」

「け、けどよじいさん、わたしは、」

「別の世界から来た人間だってか? それがどうしたってんだ。おめえはおめえ、そうだろ」

「………」

「取りあえず、あの部屋はこれからも使って構わねえ。主な仕事は、そうだな、今日みてえに簡単な依頼手伝いつつ、レイヴンの手伝い、ってとこでどうだ」

 得体の知れないわたしが受けるには破格の条件。恵まれ過ぎてる、そんなに贅沢したいわけじゃないんだよ、ただこの世界で生きていければいいって、思ってるだけなのに。生きる場所まで用意されたんじゃ、申し訳なさすぎる。
 何も言えずにいると、ぼすんと頭の上にドンの手が乗せられてぐりぐり押さえつけられてるわけじゃなく撫で、られた。

「それにな、もうおめえは家族みてぇなもんだ。みう、おめえはここの奴らが嫌いか?」

「わたし、は……ドンもレイヴンもハリーもギルドのやつら、あいしてるぜ」

「なら、問題ねぇな」

 優しすぎるんだよ、ドン。普段は厳しいくせに、威厳に満ち溢れたお爺さんのくせに、そんな風に優しくされたらわたし、どうしていいか分からない。
 でも、強面に優しさを滲ませた微笑と、堪え切れず顎を引くわたし。それが答えだった。

 気付いたらドンが持ってたはずの麻袋がわたしの手にあって、返そうとしたら「肩揉みの小遣いだ」って。くそう、してやられた。


110805


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