Mement mori | ナノ
【充実してます】
片目を瞑って、短く握った矢を左腕に走らせる。鋭い矢尻は浅く腕を裂く。ぱ、と少しだけ血が飛び散った。やっぱり痛みはないけど、見てると痛みを感じる気がする。まぁ気の所為なんだけど。
赤く線の走った腕に右手を翳し、その手首には武醒魔導器があることを確かめ、本で読んだとおり意識を集中させて身体全体を使ってエアルの流れを感じる。この流れを、意識に乗せて、操って、詠唱を切欠として―――発動。
「聖なる活力、来い。ファーストエイド」
魔導器が赤く輝いた直後、ぱぁ、と淡い光が弾けた。成功か、と思ったがわたしの腕には傷が残ったまま。じゃあ失敗か、と言われればそれもわからない。何故ならわたしは治癒術の効き目が薄い身体だから。
それなら何故こんなことを、と聞かれたら、やはり試してみなければ本当にその術を習得したのか確認できないから。実戦に出て使えなければ意味なんてないのだ。
最近はレイヴン師匠のご指導ご鞭撻の元弓と剣の稽古を積んでいる、これがまた一人でやってた時よりもずっと捗るんだ、教わる事って大事だな、実際わたしの言葉もほとんど周囲の会話から学んだものだし。まぁまだまだ全然これっぽっちもレイヴンの足元にすら及ばないんだけどね。
とにもかくにもこの試みは失敗。切り傷が治る気配はないし、本部内でちょっとでも怪我してる人を見つけたら試させてもらうことにしようそうしよう。
腕の傷に舌を這わせながら溜息を吐くのと、扉が開くのはほぼ同時だった。
ノックはどこいったのレイヴン。
「およよ、やっぱりいるじゃない。おっさんの愛のノック聞こえなかった?」
「す、すまねぇ」
「で。なーにやってんのかなみうちゃん、随分楽しそうね」
にっこり。レイヴンはしっかりとわたしの状況を見抜いていた。晒された腕の傷、一本だけ外に出している矢、開かれたままの治癒術について書いてある教本。逃げ場などない。
足で扉を閉じた彼はつかつかと歩み寄ってきて、未だ流血の止まらない左腕を掴み上げた。ちょっと抵抗してみるけど当然力で叶うはずもなかった。
「大方自分に治癒術試そうとしたんでしょ」
「煮干し……」
「図星ね。まったく、無茶して」
「な、なめときゃなおる、」
って、ハリーが言ってた。この前、まだ治癒術の勉強を始めたばかりの頃、仕事でついただろう頬の擦り傷を恨みがましく眺めていたら、ハリーが。でもハリー、あの時は君すぐにどこか行っちゃったから突っ込めなかったけど、頬についた傷を誰が舐めるの、むしろ誰に舐めてもらうの。
そんなことを考えてたら、腕はレイヴンの方へ引き寄せられていって、彼はどこか艶めかしく舌舐めずりした。あれ、なんだか嫌な予感がするぞ。
「そんなら、おっさんが変わりにそうしたげる」
「ひ、……やめっ汚ぇぞ、れ、レイヴンッ」
「仕方ないっしょ、おたく治癒術きかない体質なんだから……ん、」
「や、ぁ」
「あら、思いの外可愛い反応ね」
レイヴンの舌が傷口の周りを這い回る様なんて顔が熱くなるから直視できない、はずなのに、目が逸らせなかった、開いたまま塞がらない口からは意味のない声が漏れる、なにこのひとなにやってんのばかなのしぬの!
丁寧に丹念に流れた血の一滴ずつを舐め取って、仕上げとばかりに軽く傷口を吸い上げると肩が震えた(でも今度は声我慢できた)。ばか、ほんとに馬鹿じゃないのこのおじさん、汚いでしょ他人の血なんか、もう意味分からない。
「……〜〜〜っ!」
「ほい、もう大丈夫よ。そう深くない傷だし直に塞がるっしょ……あれー、みうちゃん顔赤いわよ」
「赤い、無い」
「あ、もしかして照れて、」
「失せろ!面見せんなばか!」
「あっはっは、お嬢さんの機嫌損ねちったことだし、おっさんはそろそろ退散しますか!」
「あ……」
くるっと背を向けて部屋を出ていこうとするレイヴンの袖を気がついたら掴んでいた。「なぁに」振り返った表情は先刻までの艶めかしさも意地悪さも形を潜めていて、わたしがいつも優しいって感じてるレイヴンの顔。
長いとも短いとも言えない期間だ、彼にお世話になったのは。でも、若干の変化を察せる程度には、彼を知ったつもりでいる。そして、レイヴンもまたそれを知っているから、そんな優しい顔をしているのだろう。
「次、いつだ、帰るの」
「んー、そうねぇ。じいさんがこき使わなきゃ、一週間後にでも帰ってこれるかな」
「そ、か」
「んな顔しなさんなって。帰ってきたらたっぷり稽古つけてあげるから、ね」
「…あぁ」
「それからドンが珍しく掠り傷負ってたわね。じいさんのことだからあの程度じゃ治癒術師にはかからないと思うけど」
「っわたし、行く! じゃあのレイヴン!」
「ほいじゃあねー」
ちなみに、ドンにかけた治癒術がちゃんと効いたかはご想像にお任せする。悪い結果にはならなかった、とだけ言っておこう。
頑張りつつおちょくられつつ感動しつつ。こんな感じでわたし、充実した生活送ってます。
110804
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