Mement mori | ナノ

【安心する場所】


 


 ふぅ、とレイヴンが一息つくのが聞こえた。わたしは乱れた前髪をそのままに、顔を上げられずにいる。投げかけてやりたい疑問はあった。レイヴンさっきまであんなに酔っ払ってたじゃん、女の人たちの相手はもういいの、お金頼っちゃって怒ったかな、勝手に出てきたのも、怒ってる、かな。
 レイヴンは持っていた弓をかちゃんと剣の形に変えて(何今の初めて見た)、懐へと仕舞う。未だ座り込んでいるわたしの傍へ軽い足取りでやってくると、腰を落として顔を覗き込んできた。

「みうちゃん、だいじょーぶ?」

「………平気」

「なら、顔上げてよ」

 ふい、顔を逸らしたらレイヴンが苦笑する気配。熱の残る頬にそっと触れる冷たさが、レイヴンの手だと気付くまで、少し時間がかかった。やっぱ伸びたといっても前髪だけじゃあ隠しきれないか。

「殴られたのね」

「痛くねぇ。平気」

「そういう問題じゃないでしょ、全く。女の子に手ぇ上げるなんて最低だわ」

「だしょ」

「一発くらいぶん殴っときゃよかったかね……でもみうちゃんもみうちゃんよ、どうしておっさんを呼んでくれなかったの」

 そこでわたしは押し黙る。機嫌悪いオーラが隠しきれない。何なのその咎めるような声音、目つき、わたしをほっといて楽しそうにしてたのは、レイヴンの方じゃないか。

「レイヴンなんか知らねぇ。ばか。きらい」

「え」

「もういいのか、酒飲まないで。オレ一人で帰るする、レイヴンいい」

「………」

 苛立ちについ一人称が戻ってしまう。とにかく寄り道しないで走って帰れば大丈夫。脚の速さなら自信あるもの、ハリーとたくさん競争したし、負けないくらいになった。だからレイヴンは好きなだけ女の人と飲んでればいいじゃん。その気持ちを込めて彼を睨みつける。きょとんとした青翠を見る限りでは、伝わったかどうか不明。
 レイヴンが黙ったままでいるのが更に癪に障って、頭のぐらつきも回復したところだしふらふらしながらも立ち上がって、彼の横を素通りして表通りに出ようとした。もう知らん、暫く口聞いてやんない。レイヴンを頼むって? 知るかそんなん。


「みうちゃん」


 ―――今日はやたら腕を掴まれる日だ。だけどレイヴンの手は、乱暴じゃなかった。むしろ、優しさすら感じさせるくらい。

「ごめんね、ごめん。放っといたりして、ごめん」

 その声と、表情は、酷く情けないもの。普段の胡散臭さはどこへやら、大の大人の男がするには本当に、情けないとしか言いようのない表情。思わずわたしは面食らって、抗うことすら忘れた。情けなさ過ぎて笑うこともできない顔なんて、そうそうお目にかかれるものじゃない。
 それに、さ。レイヴン、本当自分を隠すのが上手だから。こんな顔見せてくれたの、ちょっと、嬉しかったんだ。

「……ばか。レイヴンばか」

「うん。ごめんね」

「もういい」

「みうちゃん……」

「怒ること、やめた」

「!」

 それから、「勝手帰るして、すまねぇ」謝っておいた。そうしたらレイヴンはほっとしたように顔を緩ませて、がばりと腕を広げわたしを抱きしめる。苦しいくらいの力。あ、音が、聞こえる、まただ。また。
 あやすように背を何度か叩かれて、わたしの頭の上にはレイヴンの顎が乗せられた。何か気恥ずかしい、けど、嫌ではない。とん、とん、とん。叩かれているうちに、聞こえる音はどうでもよくなっていた。温かい。安心する。

「怖かったね」

「べ、つに」

「痛くなくても、帰ったらちゃんと手当てしないと」

「……平気よ」

「それでも。大丈夫、おっさんがやったげるから」


 わたしはレイヴンに手を引かれてユニオン本部に帰った。すごく罰の悪そうな顔をしてドンに報告に行ったレイヴンは、頭のてっぺんに大きなたんこぶをこさえて涙目で戻って来た。「すまねぇ」申し訳なくてもう一度謝ったら「気にしなくていいのよ」とのこと。言った彼の手には医療道具箱があって、それはもう染みる液体で消毒された後絆創膏を張って終わった。
 よく分からないけど、治癒術ってやつがわたしに効かないって前に言われた。もしちゃんと効いたら、それが使えたら、彼にこんな心配もかけないですんだのかな。

 わたしは、弱い。いくら足が速くたって戦う力がなかったらどうしようもない。
 もし、あの時、レイヴンが助けに入ってくれなかったらわたしはどうするつもりだった、どうなっていた。そんなの考えたくもない。もし、あいつらが、レイヴンよりも強い力を持っていたら。万に一つくらいは有り得る可能性だ、レイヴンはこの世界で最強ってわけじゃないんだから。わたしがずっとここでこうして暮らしていられる保証はない。もし、一人で生きていくことになってダングレストを出たら、当然魔物がいる。脳裏にぎらりと光る牙と爪が過る、奴らと戦う力なんてわたしには無いのだ。
 わたしは、弱い。戦えない。守られる存在。守られてばかりなんて、嫌だ。それに役に立ちたいという気持ちだってある、いつかはわたしを助けてくれたドンたちに恩返し、したい。

 力が欲しい、強くなりたい。

「難しい顔して、どうしたの?」

「考えごと、した。内緒な」

「あら、そう」

 強く、なりたい。


110804


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