Mement mori | ナノ

【酒場でのこと】


 


 置かれたカップに両手で触れ、浅く頷いた。

「オレ、酒飲むしたことねぇのよ」

「そうなの。あなた、名前は?」

「みう」

「みうちゃん。いい名前だわ」

「ありがと」

 彼女は人とコミュニケーションをとるのが上手い、素直にそう感じる。
 だって、わたしみたいな変な言葉使いを指摘するでもなく微笑を湛えて普通に会話してくれるんだから。

「みうちゃんの言葉使いは面白いわね。丁度、ドンとレイヴンとハリーを足して割ったような感じ」

 そうでもなかった。
 だけどドンとレイヴンとハリー、彼らの口調が伝染っていると言われて嫌な気分はしない。むしろ、ちょっとだけ嬉しい。
 だってこちらに来てから主立って接してきたのはその三人くらいだし、未だ慣れない言葉使いの参考にするのはお世話になっている彼らくらいのもの。だから、嫌じゃない。

「世話なってんだ、オレ、みんなに」

「ふふ。彼らが好きなのね」

「ああ」

 自然と返事に力が入る。すると彼女はくすりと笑った。
 わたしがその間を計ってミルクで喉を潤す最中、何かを考えるように人差し指を顎に当てている。なにかな、と首を傾げると、女性らしく赤く彩られた唇が開いた。

「でも、そうね。せめて一人称くらいは直してみない?」

「いちいんしょ?」

「オレ、って言ってるでしょ、自分のこと。それじゃあ可愛くないわ」

「ドンとレイヴンとハリー、全部オレだ」

「そりゃあ男だもの。でも女の子なんだから、わたし、って言った方が合ってるんじゃないかしら」

「わらじ?」

「わ、た、し」

「わたし」

「そうそう」

 一人称にも種類があるらしく、オレ、っていうのは主に男性が使うものだったようだ。それを誰も気にせず指摘しなかったのはギルドが男所帯だったからだろうか。正直、“わたし”よりも“オレ”って言う方が短いし言いやすいんだけど。
 わたしは口の中で何度か新しく覚えようとしている人称を練習してみて、もう一度確認するようにそれを声に出して発音する。お姉さんは微笑みながら頷いた。

 持っていた杯を傾けて喉を潤し、彼女は未だ女性に囲まれているレイヴンの背中を呆れたような表情で見詰め溜息を吐く。

「レイヴンも女の子に言葉を教える時くらいまともな話し方すればいいのに」

「オレ、んにゃ……わたしが真似した、わかんねぇこと多いから」

「それに服だって、もっと可愛いもの着たくない?」

「や、構わない。満足、これで」

「欲がないのね」

 違うよお姉さん、わたし、欲が無いなんてことないんだよ。咄嗟に上手く言葉が出てこなくて、否定のタイミングを永遠に逃してしまう。罰が悪くて間を繋ぐためにミルクを口に運ぶと、今まで気にならなかった甘さが口の中を支配した。あまったるい。それはまるで、毒のように。
 お姉さんは暫く沈黙を保っていたが、やがてレイヴンの背から目を逸らし、わたしの目を真っ直ぐに見た。やっぱり綺麗だ、優しいし、いい人。きっとモテるんだろうな。

「みうちゃん、あなたレイヴンのことどう思う?」

「へ」

 何度目か分からないが彼女に見惚れていると、これまた突拍子ない質問。今までの会話の流れからどうしてそうなった。

「う、うさんくさい、やつ?」

 瞬間的に答えとして用意できたのがそんな形容詞しかなかった。レイヴンごめんあなたのこと嫌いじゃないですでもごめん。お姉さんはおかしそうにくすくすと笑って、もうレイヴンほんとごめん。「ぶえっくしょい」なんてくしゃみがあちらから聞こえたけど聞こえないふり。女性たちの笑い声で彼の疑問の声もかき消される。

「あいつは臆病な奴よ、踏み込むのも踏み込まれるのも怖がってる」

 そうだ。レイヴンは踏み込もうとしないし踏み込まれるのも好まない。わたしは無意識のうちに頷いていた。わたしが異世界人だと知ってもそのことについて深く尋ねようとはしなかった。代わりに、自分のことも話そうとはしない。
 あの日もきっとそうだった、レイヴンはドンに内面の話をされるのを拒んだんだ、だからドンが怒った。恐らくドンは本気でそんなレイヴンを案じている。

 そこまで年を食ってるわけでもないが思い切り若いというわけでもないレイヴンがそうなる理由といえば、多分、過去。

「触られたくない昔のことある、多分。レイヴンにも」

「そうね、人間だもの。少しでもそういうことに触れると、すぐ誤魔化されるのよ」

 レイヴンが曖昧に笑って、それからおどけて、話題をすり替える様が簡単に想像できた。

「みうちゃん」

「ん」

「レイヴンのこと、頼むわね」(あなたなら本気になってくれるかもしれないわ)

 何でわたしに頼むんだろう。お姉さんはそのまま杯を持って従業員部屋みたいなところへ入っていってしまって、疑問符は迷子になる。
 何故かは分からないが誰かにレイヴンのことを頼まれるのはこれで二度目だ。頼まれたってわたし、レイヴンについて人より詳しいわけでも何でもないのに。

 取りあえずあれだ、帰ったら今日教えてもらったわたし、って一人称をちゃんと手帳に書いておかないと。といってもいつ帰れる事やら、横目で見たレイヴンは既にべろべろに酔っていて、なんかもう一人で帰りたくなった。迷子になりそうではあるけど、ユニオン本部は大きいからその心配もないだろうし。
 思い立ったが吉日、わたしは店主さんに代金はレイヴンに請求してほしいという旨を告げる。彼は笑って頷いていたので恐らく伝わった。

 最後に、相変わらず女性を侍らせているレイヴンの背中を恨みがましく一瞥してから、わたしは一人で岐路についた。


110804


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