Mement mori | ナノ
【渡鴉の帰還】
単刀直入に言おう。わたし完全復活。もう普通に立って歩けるどころか走れる。この前なんてハリーとどっちが早くドンの部屋に着けるか競争した。終わった直後ドンに怒られたけど。
まぁ、傷はいくらか残った、それは仕方がない。特に腹のあたりの傷なんて生々しい残り方しちゃったんだけど、これは内緒。ギルドは基本男所帯だし、見せることもない、内緒にしておこう。お嫁の貰い手無くなるねえ何て思ってみても問題ない、わたしが嫁に行く予定なんてどこにもないからね。
この前『しばらく面見せんじゃねえ』ってドンに怒鳴られてたレイヴンは、本当にしばらく面を見せなかった。もう何週間か経ってる、流石にちょっと心配になってハリーに聞いてみたら、昔からそうらしい。ふらっと現れてはふらっといなくなる、その期間は短かったり長かったり。気がついたら戻っていて、あるとく……天を射る矢、の幹部として働いているそうだ。不思議な人。
ドンに頼むって言われたのに、レイヴンが今どこにいるのかすら知らないわたしに本当に勤まるんだろうか、そんなことを考えていたら彼がいなくなってから二週間くらい経っていた。時間が流れるのって早いんだな、でも日付変わった実感とかはまだ中々無い、だって朝と昼が来ないんだもの、ダングレストには。
「ハリー、本部出口まで競争よ」
「言っておくけど負けねぇ」
「オレも」
そこら辺にいたギルド組員の人にハリーが声をかけて、呆れ気味の表情は見えないことにした。あまり柄の良くなさそうなその人が手を打ち鳴らすと、高らかに乾いた音が上がる。
弾かれたようにわたしとハリーは駆け出した。
ハリーも天を射る矢の一員で、毎日鍛えているみたいだから物凄い足が速い。正直わたしが勝てるはずもないんだけど、わたしだって短距離なら自信あるんだ(どうせ持久力はないよ)、というわけで曲がり角のインコースは頂きましたよっと「あ、」アウトコースを曲がる所だったハリーから声が上がる。ほぼ同時に、何かにぶつかる、「のわっ」壁かとも思ったけど曲がり角に壁があるような鬼畜構造じゃないこの建造物。それに壁にしては柔らかかった、あくまで壁にしてはってわけであって決して硬くなかったわけではないけど。
突然のことで頭がついていかなかったんだけどもぶつかった瞬間に聞こえたのは確かに人の声でしかも聞き覚えのあるような、ああそうかわたし人にぶつかったんだ。
「大丈夫か、みう」
「ん……」
ハリーが駆け寄ってきて手を貸してくれる。やっぱり優しいよね、この子。
わたしは大丈夫なんだけど、ぶつかられた人のが問題だ、思い切り全体重かけてぶつかったわけだし、それにこのユニオン本部にいる人って大体柄悪いし、怒ったら怖いに決まってるやばい早く立ち上がって謝らない「あいたたたた、おーびっくりしたぁ」――と、って、あ。
「レイヴン!」
「元気そうで何よりだわ嬢ちゃん、もう走って平気なの?」
「ああ」
「今回は長かったな、レイヴン。お前がいない間オレが子守任されて、まったくいい迷惑だ」
「その割に楽しそうじゃない、ねぇ?」
「ね」
「うるせぇ」
同じように尻もちをついていたレイヴンは腰を摩りながら立ち上がって、この前までと変わらない顔でへらりと笑った。ぶすくれたハリーはといえば、わたしをレイヴンに押しつけるような形でどっかへ行ってしまう。「また競争するな」と駄目元で声を掛ければ、思いの外「気が向いたらな」と返してくれた。
その様子を微笑ましげに眺めていたレイヴン。わたしは彼を見上げて尋ねてみる。
「もう面見せていいのか?」
「あー……そろそろドンの気も鎮まる頃っしょ」
そう言ったレイヴンは、あの日走り去る直前と同じ苦笑を浮かべていた。
あまりあの時の事に触れられたくないのかもしれない。それならば、深入りするのは止そう。
「オレ、レイヴンに聞くことする、たくさん」
「ん、なになに? おっさんに答えられることなら何でも」
知りたい、知りたい。わたし、この世界で知りたいことがたくさんある、レイヴンのことだって知りたいし他にも、色んな事を知りたい。
ドンにも言われた、わたしが異世界人だってことはあまり言わない方がいいって。知ってるのはドンとレイヴンとハリーだけ。他の人には口外するなって、ドンはレイヴンとハリーに言ってくれたらしい(レイヴンに言ったのは多分喧嘩する前の日)。わたしのことを知っても相変わらず仲良くしてくれるハリーには感謝してるし、レイヴンだって、こうして手を引かれるままについてきてくれる、レイヴンのこと頼まれたのはわたしなのに、やっぱり逆だよね、これじゃあ。
わたしの部屋の窓枠に腰を下ろして、外を指差す。その先にあるのは、ダングレストの街並みと白い輪っか。
「あれ、何ていうの?」
「どれ?」
「白い、まるい、やつ」
「ああ、結界魔導器ね」
「しうとぶらすてあね?」
「結界魔導器」
シルトブラスティア。今度はゆっくり言ってくれた。
曰く、あの輪っかのお陰で街の中に魔物とやらが入ってこないで平和に暮らせるんだとか。魔物、っていうのは恐らくわたしが襲われたあの獣。原理はわからないけどきっと大がかりな仕掛けまで使ってそれらから街を守ってるってことは、魔物はやはり人にとって大変な脅威なんだ。
わたしはレイヴンがくれた説明を手帳に書き込んで、彼はその様子を「律儀だねぇ」なんて言いながら眺めてる。まつげだねぇって聞こえたけど何のことやら。
とにかくわたしがこの世界に溶け込むには色々なことを知らなければいけない。
「じゃあ、あれ」
「ん?」
「ダングレスト、壊した。誰、何が?」
広い街の外れの方。夕日に照らされている所為か重く重厚な印象を与える街並みを構成する建物が、いくつか壊れてしまっていた。遠目に見ても分かる程度には古い。崩壊したまま、長い時間が経っているようだった。
先刻のようにすぐ答えをくれると思われたレイヴンからは何の反応もない。窓の外へ目をやったままだったわたしがそっと視線を動かせば、レイヴンは険しい表情で、それなのに瞳だけは街ではないどこか遠くを眺めているような。総合的に見れば、複雑な顔をしていた。
知らないのだろうか。それとも知っているからこそ、話したくないのだろうか。聞いてはいけないこと、だったろうか。緊張で神経が研ぎ澄まされると、いつか聞こえてきたのと同じ小さな音が耳に入る。空耳じゃないの、これ。
「―――戦争よ」
「……え?」
「もう十年近く前、大きい戦争が、あったのよ」
戦争、の意味が分からず、しかし聞き返せずにいると、レイヴンは察したのか「大きな戦いって意味ね」とフォローを入れてくれた。大きな戦い、つまり戦争。
「人と、魔物の間でね。街は壊されて、たくさんの人が死んだ」
レイヴンは話しながら無意識のうちに左胸に手をやっているようだった。服に皺が寄るくらいそこを握り締め、ああこの人は戦争で多くのものを失ったに違いないと感じた。無神経なことを聞いてしまった。「すまねぇ」申し訳なくて謝罪を口にすると、彼は苦笑いを浮かべて「みうちゃんが謝ることじゃないわよ」と言って頭を撫でてきた。先刻までの険しい顔は形を潜める。
ふと思うのはレイヴンというこの人の本質。胡散臭さが全てを煙に巻いて覆い隠しているような気すらする。本音がどこにあるかも予想がつかないし、こういう人に限って心の奥底を隠す術に長けているものだ。多分レイヴンは、そういう人。
ドンがわたしにレイヴンを頼むって言った意味が分かった気がした。ドンは彼のそういうところを見抜いているんだ。
(そして俺も、死んだ)
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