Mement mori | ナノ

【保護者】


 


「じゃまするよ、じいさん」

 扉は開いていたけど、一応礼儀だから三つ、指の節で扉を叩いてから、いつもレイヴンがわたしの部屋に入ってくる時と同じ台詞を口にして部屋に入る(やばい、声震えてる)。大きな二人掛けようの椅子に、どっかりとドンが座っていた。一人しか座ってないのにドンは大きいから二人掛け椅子が一人用にしか見えない。

 ついさっきまで会議が行われていただろう室内にはたくさん椅子があって、ドンは自らの傍の椅子に座れと、顎と視線で告げてくる。
 内心びくびくしながら座る、わたしが昨日レイヴンに話したのと同じことを話すために来たはずなのに上手く話せる自信がどっか行ったまま戻ってこない。

「聞いてたか?」

 咄嗟に答えられなかった、でも肩がびくりと跳ねたのが何よりの答え。「そうか」とドンは別に怒った様子はなくて、わたしはといえばそんなつもりが無かったといっても結果的にドンとレイヴン二人だけの話を盗み聞きしてしまって、申し訳なさが良心を責める。
 まぁ二人ともいつもの調子で会話してたみたいだから聞き取れなかった部分の方が大きいのだけど。
 というよりも、さっぱり分からなかった。

 辛うじて二人の話す声音とかニュアンスで感じたのは、ドンがレイヴンを真剣に案じたけど、レイヴンはいつもの調子で道化てあしらおうとした、その結果ドンが噴火した。恐らくそんなところ。
 詳しく聞くのは怖いからやめておこう、それに多分だけどわたしが立ち入っていい話題ではない。わたしは、あらゆる意味で部外者だ。


「あの馬鹿から聞いたぜ、おめえのこと」

 今度は違う意味で肩が揺れた。俯きがちになっていた顔をはっと上げ、ドンを窺う。なかなかに表情の読めないお爺さんだと、思う。

「……オレ、違ったばしょから来る、だから、」

「ったく、俺も面倒なもんを拾っちまう質らしい」

 重々しい声だった。すまねぇ、という謝罪の言葉は勝手に口から出てきた。もうドンの顔を直視できなかった、わたしの頭は早速今後の算段を立て始める。未だこのユニオン本部から出たことのないわたしがどうやってひとりで生きていけるのか、外の街並みを見る限りでは平和そうだけど、街を出たら多分最初わたしを襲った獣がわんさかいるに違いない。元の世界に帰れる確証も自信もない以上、ここで生きていく他わたしに残された道はないさあどうする、どうする?

「そんなシケた面すんな、心配しなくたって別におめえをほっぽり出したりしねえよ」

「でもじいさん。めんどいなもん、でしょ」

「馬鹿野郎、俺を誰だと思ってやがる。ガキの一人や二人養えねえわけがあるか」

「でも、」

「うるせえ、ガキは黙って大人に甘えてりゃいいんだよ」

「うぐぇっ」

 衝撃。ぼすん、って、頭叩かれた、悪意はもちろん感じない、きっと常人にとっての肩をぽんと叩く程度の行為だったのだろうけど、如何せんドンは見た目通り力が常人以上のそれだから、危うく目玉が落ちるかと。潰された蛙みたいな声が出たのは不可抗力。

 ぐぐ、と顔を寄せてきたドンは、有無を言わさない圧力を纏っていた。

「おめえ、俺のこと何て呼んでる?」

「じ、じいさん」

「つまりおめえも、もう孫みてえなもんってことだ」

「……」

 その目の奥に、不覚にも元いた世界でのお祖父ちゃんを思い出して、しまって、言葉に詰まった。何も言えなくなる。何だよこの懐の深さ、器、包容力、反則じゃないか。
 喉の奥、腹の底から込み上げてくるものがあって、誤魔化すように笑いを零した。こんな間近にいるのに何を隠すんだ、っていう話は置いといて。昨日の今日で泣いたりしたくない、こんなに世話焼いてくれてるんだよ、だったら感謝、伝えないと。

「ならハリーが、弟、だな」

「ははっ、違ぇねえ」

 照れ隠しみたいに思いついたことを言えば、ドンは笑ってまたぼすぼすと頭を叩い……撫でてきた。重量感溢れる撫で方だ。
 わたし、ドンに感謝してもしきれないな、わたしに生きてるって言ってくれた、ここにいていいって言ってくれた、諭されてばっかり。無償でこうまでされると申し訳なくて、「その代わりと言っちゃ何だが、」ほいきた。いつの間にかドンは真剣な顔つきに戻っていて、じ、とわたしの目を真っ直ぐに射抜いてくる。

 そのかわり、ということは何かの交換条件。例えば、働いて治療費その他衣食住にかかった金返せ、とかだったらお安いご用。流石に代償はお前の命だとかはないだろう、多分。

「レイヴンのこと、よろしく頼む」

「……え、」

「ここに来てもう四、五年になるが、いつまで経ってものらくらのらくら。上っ面だけで中身はちっとも変りやしねえ」

「う、ん?」

「だからあいつのこと、見ててやってくれ」

 ドンが真剣な表情のままわたしの両肩に手を置き、懇願に近い形で、レイヴンを頼む、なんて言うから。
 わたしも緩んでいた顔が引き締まって、気がついたら強く、強く、頷いていた。






 部屋に戻ってふと外を眺めていると、紫の羽織を着た男の人が綺麗な女の人と何か話して酒場に入っていくのが見えた。レイヴンだ。彼の女たらし具合はハリーからよく聞いていたけど初めて現場を目撃した。
 思わず半眼になったけど、他でもないドンから、任せられた話だ、途中放棄なんてしない。

 例えレイヴンがどんなに女たらしでも。












「あんたはきっと寂しくて仕方が無いんだね。でも決して踏み込もうとはしない。まるで赤ん坊みたいに怖がってる」

「そんなんじゃないってば」

「いつかあんたをその気にさせてくれる人が現れるといいね」


(そんなことは万に一つも有り得ない。けど、過ったのは本来の俺を垣間見て酷く怖がるあの子の顔)


110803


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