Mement mori | ナノ

【ギルド】


 


 ギルド。同じ仕事を生業とした人たちが集まって作る職業別組合。高校の頃の世界史か政経かの教科書にそんな感じのことが載っていなかったこともなかったような。この世界でも同じようなものなのかどうかは知らない。
 ハリーが教えてくれた話では、ここダングレストはギルドの街。ていこくのほうに支配されない自由の街だとか何とか。で、ドンは、ギルドあるとくす……あるとすく、の首領で、あるとすくは五大ギルドの中核だか何だか、その五大ギルドっていうのが、あるとすく、ぎるどどまるしぇ、ぶらっ……ぶらっど何とか、るういんずげいと、すみすざそおう、で成り立って……それら全部をまとめたのがゆに、おん、ユニオン。何やら今わたしがお世話になってる建物はそのユニオンの本部らしくて、通りで立派な造りだと。ユニオン本部の中にドンの住まいもあるからわたしもその中にいるわけで、ユニオンってなんだっけ、五大ギルド、でもギルドは五つだけじゃなくてもっとたくさん。

 ―――駄目だ、図式にして纏めようとしたんだけど頭がこんがらがって終わった。レイヴンに新しく貰った手帳の一頁目は、日本語で書いた汚い走り書きの文字とギルドについての図式がぐちゃぐちゃと記されて埋まってしまった。少し勿体ない事をしたかもしれない、せっかく貰ったものなんだから大事にしないといけないのに。
 唇から溜息が漏れるのはごく自然なこと。「はぁ」「ほー」だけどそれと重なって背後から感嘆の声が聞こえるのは自然じゃなかった。不自然も不自然、さっきまでわたししかこの部屋にいなかったのに!

「ッ!?」

「あら、驚かせちゃった。ごめんねぇ」

 ば、と振り向くとそこにいたのはレイヴン。ごめんねーなんて言ってるくせにその態度は全くと言っていいほど悪びれてはいない。こういう時こそわたしは思うのだ、この人胡散臭い、と。

 いつの間にそこにいたの、上手く言葉が出てこなくて、ついぽろっと零してしまったのは「いつからそこに」使い慣れた日本語だった。するとレイヴンは青翠の瞳をす、と細くしてわたしの手元から手帳を取り上げた。あ、と小さな声が漏れる。後ろめたさがあった、それはもちろん貴重な手帳の一頁を殆ど落書みたいな文字の山で使い切ってしまったこともあるけど、何よりこの世界で使われているものとは異なる文字。ついさっき反射的に出てしまった祖国語。
 そろそろ、あやふやにしておくことも出来ないような気がしてきた。


「みうちゃんって、何者?」


 ほら、来た。


「これ、見たことないけど文字っしょ。あと聞いたことない言葉も。変な話よね、テルカ・リュミレースにゃ文字も言葉もひとつしかないはずなのに」


 レイヴンは、わざと、わたしに言い聞かせるようにゆっくりと話した。
 唇を浅く噛んで顔を逸らす、しかし緩い力で顎を掴まれ顔の向きを引き戻される。力は弱いはずなのに、逃げられない。


「お前は、何処から来たんだ」


 はくはく、何も言えない唇が開閉した。何を言おうとしても、それは空気の掠れる音として大気を揺らすだけだった。喉が、震える。
 こわい。水色にも見える青翠が、淀んで、氷みたいに冷たくて、射抜かれて、こわい、嫌だレイヴン、やだ、こわい、ころさないでわたしいきて、あれ、しんで、どこで、なにがだれがいきてわたし、しぬ、の、やだよ、ころさないでレイヴンしんでるのわたしはいきてるけどしんでいやしにたくな、い、 こわい。



 あれ、わたし。


 なんでいきてるんだっけ。




「―――ごめん。泣かすつもりじゃなかった、ごめん」




 気がついたら、頬が濡れていて、雨でも降ったっけって思ったらここは室内で、レイヴンの指がわたしの頬を擦って濡らす液体を拭っていった。それだけじゃ間に合わないのがわかると羽織の裾を使って拭い始める。何で間に合わないかって、どんどんわたしの頬が濡れていくからで、あ、わたし、泣いてるんだ。
 どうして、だっけ。何で泣いてるのわたし、ばか、泣き止め、泣く理由なんてないでしょ、ちゃんと説明しないと。頭おかしいって思われるかもしれないけど、ここまでよくしてくれた人たちにずっと嘘ついてるなんて嫌だ、だからちゃんと説明しよう、ほらレイヴン困ってるじゃないか、ごめんレイヴン、謝るのはわたしだよレイヴン、だからそんな顔しないで。さっきまでのレイヴンと違って今はもう怖くない、その青翠はとても優しい色をしていて、分からないよ、何なの、こわくなったり優しくなったり、意味が分からない。

「すまねぇ、レイヴン。おれは悪ぃ、レイヴン悪いくねぇ。黙った、おれずっと、何も、」

 でも、聞いてほしい。上手く話せるかはわからないけど。顔を俯かせて自分の袖で涙を拭う。あまり泣いてる顔を見られるのは好ましくないから、早く止まってくれるように、ごしごし擦っていると、レイヴンの咎めるような声がかかる。

「そんな風に擦っちゃ駄目でしょ」

「ほんとのこと、言うしたらもう、怒るのしないか?」

「うん、うん。おっさん優しいから怒らないわよ、ゆっくりでいいから話してみなさいな」



 拙い言葉でだったけど、レイヴンは、わたしの言うことひとつひとつを、聞いてくれた。変な奴だと思ったでしょ。頭おかしいと思ったでしょ。嘘、ついてるんじゃないのって、思われても仕方ない。なのにレイヴンは、ずっとわたしの手を握ってくれていて。否定も肯定もくれなかったけど、その静寂がわたしには嬉しかった。
 もう涙は出なかったけど、事情を全部伝えきれない自分の勉強不足。もどかしい、でも簡単なことだった。

 わたしは異世界から来ました。だから言葉も文字も違います。今まで黙っててごめんなさい。

 そんな簡単なことを伝えるのに、たくさん時間を使ったような気がするし、そうでもないような感じもした。




「そう、だったの。辛かったねぇ」

 話が大体終わった所で、レイヴンが口を開いた。わたしは黙って首を横に振る。辛い、そう感じたことは一度だってない。そりゃあ、言葉が通じないのは不便だとは思ったけど、辛くなんかなかった。それはきっとここの人たちのお陰。みんな、よくしてくれたから。

「今のこと、ドンに話しても構わない?」

 今度は首を縦に振った。自分で話すべき、とは思うけど、ドンは忙しい人なんだってこの一カ月見ていてよく分かった。だから、わたしなんかの嘘か本当かもわからないような話に長い時間を使わせるのは忍びない。レイヴンが代弁してくれた方が、都合がよかった。
 何だか罰が悪くてずっと俯いていたわたしは恐る恐る顔を上げる。レイヴンの肩越しに眩しい夕日が目に入った。顔を上げたのに気付いて、彼は逆光の中安心させるようにへらりと軽く笑ってみせた。上手く出来たかはわからないけど、こちらも笑い返した。




(それと、あの人にも伝えなければ。仮初ではない方の俺が囁いた)

110802


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