絶P | ナノ
閉じた世界






重く痛々しい沈黙
その静寂を破ったのは、ハスタに支えられたジークが苦しげに血を吐き出す苦鳴だった
そこでやっと意識を現実に引き戻し、まず最初に訪れたのはスパーダの怒号


「あの野郎っ!!」


少年の灰色の瞳には本気の殺意が滲んでいて、今にも誰かを殺してしまいそうなほどのもの
尻もちをついたまま目を見開いているルカは未だに口を開閉しながら、焼きついた赤に囚われている
アンジュは口元を両手で覆って震え、イリア、エルマーナ、リカルドの三人も何も言えずに立ち尽くしていた

幾度となく戦いを繰り返してきた彼らが言葉を失くしてしまうくらいに
目で見てわかるほど、ジークの怪我は酷かった
ぼたぼたぼたぼた、雨のように止め処なく血は落ちていって
じわじわじわじわ、ハスタの服をもっと濃く深い紅へと染めていく


それでもジークは薄く目を開いて、ひゅうひゅうと掠れた浅い呼吸を繰り返していた
彼が転生者でなければ、確実にその命は失われていただろう


表情から笑みの消え去ったハスタは、急に真面目な顔つきになったかと思うと
出血多量でかなり減量したジークの膝を掬い抱き上げた



「…オレの次の登場はもっと後だ。忘れないでくれよ?ヘイ、メン。また面白可笑しく血祭りに上げて差し上げるデスよー」



言いながら、ハスタは体を後ろへと傾け、崖から飛び降りた
我に帰ったルカ達がその場へ駆け寄ってみるも、崖の下は奈落のようにしか見えず
だが、その下がガラムの街までのかなり強引な近道であることは窺い知れる

スパーダは洞窟の岩肌に膝をつく
べちゃ、と残った血溜まりが跳ねて彼の服を赤い斑に彩った


「オレの…オレのせいだ…。とっとと止めを刺しておけば……!」

「ベルフォルマ!後悔など後でしろ!さっさと後を追うぞ!」


リカルドの言葉に急かされ、スパーダは唇を噛んで弾かれたように立ち上がって駆け出す
今にも泣きそうな表情をしているルカと、既に涙ぐんでいるイリアも後に続いた
切羽詰まった様子で走りだしたエルマーナの後ろに続いたアンジュがぽつりと呟く


「本当に、そうなのかな……」

「何やぁ、アンジュ姉ちゃん」

「ジーク君はあんなに転生者であることを否定してたのに、ウルカヌスの力を覚醒させるほど…あのハスタさんが大切だっていうことでしょう?」

「うーん、よくわからんけど、ウチと同じようなもんやな」


面倒を見ていた子供達を守るために転生者として覚醒したエルマーナが言う
だけどそれよりも今は、早くガラムに戻る事が先決なので、アンジュはその考えを胸の内に仕舞っておくことにした

下り坂の多いケルム火山の道程が、今はこんなにももどかしい
暑さなど気にならない、あのイリアでさえ何も言わずただ全力で走っているのだ
洞窟の入り口付近には、ジークのものと思しき血痕が点々と続いていた














「兄さん、兄さん、ジーク、」


ハスタが駆ける
血が落ちる
体が軽くなっていく


洞窟への入口の番兵はハスタが出てくるなり悲鳴を上げて逃げて行った
その悲鳴を聞いてか、街には人が全くいない状態で
ハスタは港の方へ走りながら、抱きかかえた腕の中のジークへ必死に呼びかける
今意識を失ってしまえば命の保証が無いことを彼は知っている、死なれるわけにはいかないのに

人を殺すことに快楽を覚えるハスタが一人の命に執着するなどと、傍から聞けば滑稽極まりないことだが
そんなことを気にする余裕もなく、彼はただその意識を繋ぎとめるだけで精いっぱいだった

ジークは虚ろな隻眼でハスタを見る
ぼやけてしまって曖昧だが、確かに薄い桃色と二つの紅い色がわかった


「私 は大丈夫、だか ら、早く 行くん だ」

「けど、兄さん」

「たぶ ん、私は 海を渡る までもたない、か ら、っぐ、ぅ」


激しく咳き込んだジークの唇の間から鮮血が吐き出される
血の飛沫が青年の白い頬を汚し、彼は僅かに、ほんの僅かに顔を歪めた
港まで着くと、ちょうど船は一隻も無く、やはり人影も全然ない

だがハスタは事前に用意していたのか、または偶然そこにあったのか、人が一人乗れるくらいの大きさの盥が浮いていた
常人から考えればあり得ない事だが恐らくハスタは、この盥で海を渡るつもりでいるらしい


「ジーク、死んだら駄目だポン」

「……ぅ、」

「必ず、迎えに行くから、それまでは、」


海を渡りきるまでジークの命が持たないのはハスタも分かっている
だからこそ一時の別れを惜しみ、いつかのように唇を重ねた、あの時とは違う触れ合うだけの口付けを
それでも、キスは甘くて苦い血の味がして、口の中に満遍なく広がった
ハスタは唇を紅く色づけた血をぺろりと舐め、港でジークを降ろし、単身盥へと乗り込んだ
帰り道でいつの間にか回収したらしい槍をオール替わりにするつもりなのか、やはり馬鹿げた思考にはついていけない

そっと横たえられていたジークは薄れる意識の中、無理矢理に体を起こすと
自らの右目を覆っていた眼帯を剥ぎ取り、ハスタへと投げて寄越した


「また、逢う約束 だ。運が悪かった ら来世 で、な」

「そんなことしたら、殺しマス。問答無用の惨殺刑で」


例の目玉が描かれた眼帯を受け取ったハスタが眉間を狭くして吐き捨てる
彼にしては珍しく、ふざけた調子の声ではなかった
ハスタは槍の穂先で陸地を軽く押し、盥による渡海を開始した



「愛してる、ジーク」



ぼそりと呟かれた言葉は注意力も何もかもが散漫になったジークには届かず
誰にも拾われなかった言霊が、海に落ちて、消えた




先刻まで眼帯に覆われていた右目は閉じたままに、ジークは立ち上がって足元を見る
少しの間留まっただけだというのに、多量の血溜まりが出来ていた
これは本当に先ほどの来世発言も冗談ではなくなるかもしれないとジークは嘆息し
地を踏み締める感覚もない足で、霞がかかったように見える市街地へと向かう


ぼたぼた、ぼたぼた
血が止まらない、それは当然のことだった、背にも腹にも穴が空いて貫通しているのだから
段々体の中が冷たくなっていって、しかし胴体を熱源として異常な暑さを感じた
以前軽く抉られた、脇腹の辺りの傷が熱を持っているようで
そういえばいつぞやの下水道で傷が開いたっきり何の処置も施していないことを思い出した

もし、今自分が考えていることが当たっているならこれは本当に死んだな、と見当をつけ
いよいよ朦朧としてきた意識も消えかかり、抽象的な絵画のように見える景色が点滅を始めた


嫌がらせかと思わせるほど真青な空と真っ白な雲、それから立ち並ぶ民家が目まぐるしく流れる
それから全てが九十度傾いて見えるのは最近よくある光景だったが、ただ一つ違う事があるとするならば


(呼ぶ、こえが きこえ る)


誰かが自分を呼んでいるような気がして離れかけた意識を掴もうともがくが、既に手の届かないところまで行ってしまったらしく
秒刻みの勢いで視界は暗く、端から黒く蝕まれていって、聴覚も働かなくなって、聞こえるのは異様に遅く弱い心臓の鼓動の音、だけ

ずっと眠らないよう心掛けてきたのだけど、今回はそれも叶わず
ジークの瞼がゆっくりと、閉じていく



視界と心と全ての感覚が閉じられる直前、ジークの鼓膜を揺らした音は
ジークの名を呼ぶ、若草色の少年の声、だった



(ジークッ!)



それすらも、幻聴であったのかもしれないけれど
逃げていく熱と共に、ジークはそっと意識を手放した




(ジークッッ!!)










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