絶P | ナノ
信じる自由
イナンナが請う。アスラに請う、創世力を封印してと。顔色を悪くして請うてくるイナンナをアスラは気遣う。彼女は不変を望んだ。今のままで幸せなのだと主張した。センサスにもラティオにも手が届かぬよう創世力を封印しようと提示する。アスラは困ったように笑みを浮かべる、そうだ、アスラは改革派だから。創世力を使って天と地の隔てをなくそうと望む男だから。イナンナとアスラが噛み合っていない。歯車が段々とずれていく。私は、それを、どこかで、どこ か で 見て、いる、見たくなんかない、望みはただ一つしかない の、 に―――
「なんや、アツアツやったなぁ」
「何だよ、アレだけか?」
「まったくだ。つまらん…」
「そうね、大した情報ではなかったかも」
「もっと、ガーッといけよなぁ、アスラよぉ」
「ああ、まったくだ。つまらん…」
口々に目撃した記憶に対する感想やら文句やらを発する数名
一人二人ほど別の方面に関しての感想を口に出していることは気にしないことにするとしても
気を取り直して、スパーダがルカとイリアに何か思い出したことはあるかと尋ねた
しかしルカは、イナンナとアスラ、二人で何かを話していたことしか思い出せなかったらしい
イリアは、掴んだままだったジークの腕にしがみ付くようにして頭を抱えていた
「思い出したらいけないような…。イヤ…。何だか頭が痛い…」
「……少し休んだ方がいいのではないか」
ジークが気遣う素振りを見せている最中、ルカは先刻の壁画のことを思い出していた
壁画の魔王とマティウスの影が重なる、魔王が創世力を使ったのならアスラが天上を滅ぼしたということにはならない
不謹慎と思いながらも、ルカは少しだけ安堵を憶えていた
「やっぱり…魔王は……マティウスだ!」
「魔王って、さっきの壁画にあったアレか?」
スパーダの問いにルカが頷く
マティウスの前世が魔王であるならば、全ての辻褄を合せる事が出来る
スパーダやアンジュ、リカルドやエルマーナがその話に耳を傾けている中、イリアを支えているジークが誰かの気配に気づいた
「…彼女は…」
「チトセ…」
同じく気づいたルカがその名を呼ぶ
彼はこの王墓に来る前に、アシハラで一度顔を合わせたそうだ
その際にどのような言葉を交わしたのかは、本人たちしか知らないのだろうが
チトセの存在を知ったイリアは突如立ち直り、しゃんとして、しかし肩を怒らせ駆け寄っていく
「このネッチョリ女!ノコノコ現れやがったな!」
「イリア、口調」
「現れやがりなさいましたわね。何の用よっ」
アンジュに指摘されたイリアがそう言うも、チトセは彼女の存在を無いものとして無視した
「アスラ様。マティウス様はあなたを必要とされています。お願いです、私とおいで下さい。共に幸せになりましょう」
無視されたことに腹を立てイリアが足を踏み鳴らすも、癇癪を起す直前で駆け付けたスパーダとジークに抑えられる
チトセの誘いに、ルカは眉を下げ困った様子で口を開いた
「君は知らないフリをしているのかい?魔王が創世力を使ったから、天上が滅んだ。そして地上は今滅びに向かっている。つまり、マティウスが前世で力を使ったからこうなったんだ」
「それは…」
「君の愛する故郷が沈んで行くのも、今の戦争の原因も、天上が滅ばなければ無かった事かもしれない。……マティウスの、魔王のせいなんだ。全部、全部あいつの!」
「違う!違うわ。アスラ様」
ルカがそう言った途端、チトセは言い淀んでいた顔色を変えた
キッと彼と、そして隣のイリアを見据え、はっきり否と断言した
魔王が、マティウスが天上を滅ぼしたというルカが至った答えを、チトセは否定する
そう、彼はまだ記憶の全てを思い出したわけではない、だがチトセの方が思い出している記憶があるのだ
断言できることに何か確固たる理由があるらしく、彼女はきゅっと唇を引き結んで、薄く涙の膜を張らせた瞳で、イリアを睨みつけた
「私は知っています。それは…、天上が滅んだのは、すべて、」
イナンナのせいなのです
はっきり、きっぱり、彼女はイリアを指差して、そう言い切った
それを聞いた一同は驚きを隠せず、言葉を失う(約一名除く)
「そんな…」
「そんなワケねーだろ!おい、イリア、何か言ってやれよ!」
崩れ落ちそうになったイリアを支えたスパーダが激昂し即座に否定を返す
だがイリアは言葉を忘れたかのように何も言えず、引き攣った呼吸が切れ切れに、薄く開いた口唇の間から漏れるだけだった
その唇も、血色を失って真青になっている
「お、おい…、言わせておくのかよっ!」
スパーダに揺さぶられてもイリアから言葉が紡がれることはない
畳みかけるように、チトセは憎しみや恨みに満ちた目でイリアを睨みつけたまま口を開いた
「この女は天上を滅ぼし、そして私の美しいアシハラを滅ぼそうとしている。のみならず、アスラ様まで…」
チトセは自らの意思をそのまま反映し、声高らかに叫ぶ
白魚のような手には、武器であろう短剣を力強く握り締めて、前世の分までの思いをこめて、叫ぶ
「でも、生まれ変わった私は違う!以前の私じゃないわ…。アスラ様を、アスラ様を渡すものか!」
「待て!何をする気だ」
「なぜかばうの?この女を信じては駄目。最後の最後に裏切られた苦しみをまた味わうつもり?」
イリアの前に立ちはだかるルカを見て、チトセは傷ついたように悲痛な声で訴えかける
騙されないで、目を覚まして、と
だが、その声は今のルカにとっては意味をなさないものだった
少年の表情は、いい意味で自信に充ち溢れている
それはどこか、彼の前世であるアスラによく似ていた
「僕は決めたんだ。僕を連れ出してくれたイリアを、僕を必要としてくれたイリアを守るって」
自失して項垂れていたイリアがはっとしてルカを見る
目が合った途端、照れているらしく頬を赤くし、ルカは照れ隠しに薄く笑んだ
守るなんておこがましいけど、でも僕を信頼してくれた証を立てる、と、普段の彼からは考えられない程に自信に満ちた声で言い切る
「厳しく暖かく見守ってくれた両親、気安く仲間扱いしてくれた友達。彼らと築いていた信頼の絆を、僕はうっかり見過ごしていたんだ。イリアは、そんな僕の目を覚まさせてくれた。僕は…、イリアを信じる!絶対に!」
「…わからずや!!」
「イリア。君は僕が守る!」
ひゅう、という久し振りに聞くジークの口笛を伴奏にして
涙ぐんだまま、チトセは短剣を振りかざし、素早く斬りかかってきた
既に迷いのないルカは、大剣で攻撃を受け止め、高らかな金属音が石造りの王墓に響き火花が弾ける
遅れながらも、武器を抜いた仲間達がルカの援護に回った
「よかったな。奴らはみんなお前を信じるそうだ。ついでに私も」
「…ジーク、あんた…」
「例え彼女が言ったことが事実だとしても、『イナンナ』は『イリア』じゃないし『イリア』は『イナンナ』じゃない。…違うか?」
指の間にナイフを挟んで肩を回し、戦闘時だというのにペースを崩さないウォーミングアップをしているジークの背を眺め
イリアはいつの間にか柔らかく微笑んでいることに気づき、両腿の銃を抜くと、それを獰猛な笑みに切り替えて駆け出した
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