後ろ姿の情景



 夜中にやって来た諒と遅めの朝食を共にして、彼女が入ってきた場所とは真逆の場所にある玄関で彼女を見送る。ベランダに置いていたカッパは渡したビニール袋に入れて持ち帰るようだった。

「じゃ、おば様とおじ様によろしく伝えといて」
「ん。そう言えば最近会えてないから久し振りに泊まりに来いと言っていたぞ」

 真顔のまま口にしたそれはおば様……諒の母親からの言葉だろう。容易に想像出来たそれに、考えておくと苦笑した。

 そうして諒の背中を見送った後、ポケットに入れていた携帯を取り出してチームのみんなと連絡を取る。
 今朝目を覚まして携帯を確認した時、チームのメンバーだけでなく響明さんや他の学院の友人からも祝いのメールが送られていた。思い出して頬が緩む。毎年の事とはいえ、やはり嬉しいのは事実だ。

 寝る前の電話で時間を作ると伝えたシェルツに、15時に駅の近くにあるカフェはどうだろう、と文面を送る。
 カフェで真っ先に思い浮かぶのは『ツバメの巣』なのだが、バイト先にわざわざ自分の誕生日に恋人と行くのは恥ずかしいので遠慮したい。
 そんな風に考えながら身支度を済ませていれば、シェルツから了承の意が返ってくる。それに安堵して礼を送りながら鞄を手に取り、バス停へ向かった。




  × × ×




「よっ氷月さん、誕生日おめでと」


 待ち合わせ場所で顔を合わせるなり、まるで挨拶のように掛けられた祝いの言葉に数回目を瞬かせた後、表情を変えることなく目の前の男に言葉を返す。

「ありがとう」
「真顔ですか、笑顔で言おうよそこは」
「毎年飽きないわね」
「それ俺の誕生日の時に俺も思ってるからおあいこ」

 苦笑しながらそんな事を言った黎溟にそれもそうか、と納得して丁度到着したバスに乗り込んで2人並んで席に座る。
 幼馴染みである諒程ではないが、黎溟とも子供の頃からの長い付き合いで毎年祝い合っているせいか、先程の会話も最早毎年恒例のようなものになっていた。

 ──最初は、いつだったか。
 私の物心がつく前に母が死んで、諒の家に姉さん共々住まわせてもらうことになって暫くした後。諒のご家族は良い人達で、ずっと居てもいいなんて言ってくれていたけど、それは流石に申し訳無いと能力が覚醒していた姉さんが、討伐団員になってせめて私にかかる分のお金は払いたいと言ったのが始まりで。
 学院に入って何年か経った姉さんが、雨の日に──。


「そう言えばさー」

 窓の向こう、流れる景色を見ながら思い出に浸っていた意識が、黎溟の声で引き戻される。
 隣を見れば少しだけ首を傾げながら黎溟が此方を見ていた。

「荒事ないのに何でポニテ?」

 きょとんとした顔でそう問い掛けてきた黎溟は首を傾げたまま、自分の黒髪の端をつまんでいる。
 確かに自身の長い髪をポニーテールにするのは荒事──実践授業関連くらいなので日常でやるのは自分でも珍しいと思うほどだ。それが分かっている黎溟だからこそ、不思議に思ったのだろう。
 ……かといって、そんな込み入った事情なんてものはないのだが。

「単純に、下ろしてると暑いから」
「……ああ、なるほど」

 窓の外を睨むように言えば、どこか苦笑を含んだ声色で納得した黎溟。
 実際、長い髪を夏に下ろしていると首周りや背中辺りが暑い。夏が来る度に切るか……と考えるもずっとそのままにしている。今年は切るとシェルツが少し煩そうな気がするから特に考えてはいないが。

「暑いなら切ればいいのに。……てか何でずっと伸ばしてんの?」
「それは……」

 問われて、口ごもる。先程の思っていたように切らない理由はあるけれど、伸ばしている理由は説明しづらかった。余り、人に話したい内容ではないのだ。
 どう答えたものかと思案していれば停車した。返答を待っていた黎溟もそれに気付いて慌ててて定期を取り出す。
 そんな黎溟を横目に見ながら定期を持って立ち上がり、考えていた返答を口にした。

「ただ、甘やかしてただけよ」
「……うん? え、待ってそれさっきの質問に対する返答!? 意味不明なんだけど!」

 ……もう、意味は無くなったけれど。
 心の中でそう付け足しながら、後ろで喚く黎溟を無視してバスを降りる。夏休みということもあってショッピングモールは多くの人が集まっていた。

「うっわ、人多いな」
「夏休みだしね。……それで? 今年は何を買ってくれるわけ?」

 屋内の人の多さに顔を歪ませた黎溟に問い掛ける。
 何年も一緒にいればサプライズなんて段々面倒になってくるもので。もうお互いの誕生日の日にそれぞれ欲しいものを一緒に買いに行った方が早いのではないかとして、この形に落ち着いたのは学院に入る前の話だ。
 それなら祝いの言葉だけで十分だと言った私に黎溟は頑なにそれを拒否した。……こいつの家庭の問題上、心を許した相手に関する記念日にはひどく敏感なのだろう。言葉だけで済ますのではなく、きっちりと祝いたいと言っていたのは記憶に懐かしい。

「んー何か入り用のものとかある?」
「入り用ねぇ……マグカップとか?
 小さいのしかないのよね」
「マグカップはダメ」
「は?」

 即答で却下された意見に思わず声が出る。
 見上げれば明後日の方向に視線を向け、わざと目を合わせようとしない黎溟。
 どういう意味だ、と追及のためじっと睨み付ければ、慌てた様子で口を開いた。

「と、とにかく! マグカップ以外のもので!」

 そんなことを言いながら、何をされても話す気はないと言いたげな目付きと暫く睨み合い、はぁ……と深い溜め息を吐く。今度は何を隠してるんだこの男は。

「……もういいわ、他に浮かぶものなんてないから、適当に店を見て回りましょ」
「ああ、そうだな」

 笑顔で答えた黎溟と共に、ゆっくりと歩き出した。



 × × ×




「中々見つらないもんだなぁ」


 はぁ……と深い溜め息を吐き出して、黎溟は独り言のように呟く。包帯を巻いたその手で頬杖をついて、出来立てのクレープをぱくついている。対する私も例外ではなく、誕生日だからと奢って貰ったクレープを美味しく頂きながら口を開いた。

「ならもう“これ”でいいわよ?」

 両手でそっと持っているクレープを軽く前に出して主張する。そんなに悩むくらいなら美味しいからこれでいいのに。

「えええ……」
「恋人相手ならすぐ決まるんでしょ、ええーとか言うなら頑張ってみなさいよ」
「愛里紗に対してはほら、こう……ぱっとこういうのあげたら喜ぶかなとか、こういうの渡したら使ってくれるかなって言うのがあるんだよ。
 氷月さん相手にはネタ切れなんだよ仕方無いだろー」
「南条さん相手にネタ切れとかないでしょうけどね」
「そうだな!」

 間髪入れずに肯定の返事が返ってきた。笑顔で。
 腹立つなぁ……と心の中で思い、つい足が出てテーブルの下で黎溟の足を蹴った。笑顔にイラッと来たのだ。仕方無い仕方無い。

「いたっ! ちょっ何で蹴られたの!」
「煩いノロケ」
「氷月さんの方から愛里紗の話題出してきたのに理不尽!」
「煩い黙れ」

 もう一度「理不尽!」と叫ぶ黎溟を無視して残りのクレープの欠片を口に運ぶ。紙を綺麗に畳んで席を立てば、同じく食べ終わった黎溟が私の手の中に収まっていた紙を持ってゴミ箱へと歩いていった。

「ありがと」
「いーえ。んーそれにしてもほんと何かねえの?」

 ここへ着て店を見て回るようになってから何度も言われたその言葉に顔を顰める。

「そう言われてもねぇ」
「ティーセット……は響兄から毎年貰うしなあ。
 アクセサリーケースとかは?」
「諒に貰った」
「あー……」

 ダメかーと諦めたように呟いた黎溟をよそに、ふと可愛らしい小物が売っている店が目について足を止めた。近付いて気になるものを手に取って見ていれば、黎溟が横からひょこっと顔を出す。

「流石に彼氏持ちにアクセサリープレゼントする勇気はないですよ?」
「私も彼女持ちからアクセサリー貰う気はないかな」

 気になっただけよ、と付け足して小物へと視線を戻すと黎溟が何か思い付いたようにあっ、と声を上げる。黎溟を見れば先程まで悩んでいた顔が嘘のように晴れていた。

「何か思い付いたの?」
「ああ、ちょっと買ってくるから此処にいて」

 それだけ言い残して此方の返事も聞かず、足早に人混みへ溶けていった黎溟を見送る。
 相変わらず唐突な奴だな、と思いつつ見ていたら気に入ってしまった白いバレッタを自分への誕生日プレゼントとして購入する事にした。

「さて……」

 小さく呟いて、店を出てすぐ目の前に見えていた吹き抜けのガラスの手すりに片腕を就いてもたれ掛かる。1階の広場で両の手をそれぞれ両親と繋いで嬉しそうにはしゃぐ子供が見えた。

「…………」

 幸せな家庭。仲睦まじい家族。……『理想の家族』とはああいうのを言うのだろう、とぼんやりと眺める。
 私も、黎溟も……チーム全員がそれぞれの理由でそんな『理想の家族』から程遠い家庭の中にいる。……まあ、そもそも。私と露利に至っては家庭もクソも無いのだけれど。

 眩しいものを見たように目を閉じる。
 ……羨ましい、と思ったことはある。けれど、それだけ。それだけだ。
 恋人も、親友も、相棒も、仲間も、心配してくれる大人たちだって……私には、今の私達には存在するのだから。

 薄く目を開いて、もう一度広場を見下ろした。

 ──だからもう、羨ましいと思う理由なんて、ないのに。


「っ!?」

 思考に浸っていた意識が、鞄を支えていた腕を引っ張られたのと同時に急激に現実へ引き戻される。
 驚いて振り返れば、白い髪の少女が、そこにいた。
 少女は私の腕を掴んだまま、私の顔を見て目を見開いている。

 透き通るような、まるで溶けて消えそうな雪のように真っ白な髪。左右で色の違う綺麗な緑と水色の瞳。日本人離れしたその見た目の少女は目を見開いたまま、私の顔をじっと見つめて、やがてすっと掴んでいた私の腕を離した。

「あの……?」
「も、申し訳ありません! つい、後ろ姿が知人に似ていたもので!」

 此方が理由を問うより先に慌てた様子で後退り、少女は心底申し訳なさそうにそう謝罪を述べる。それに戸惑い、大丈夫です、と此方も慌てて口を開けば少女は顔を上げ、曲がっていた胸元のリボンを正して真っ直ぐに私を見てふわりと微笑んだ。

「私、神来月白雪と申します。貴方のお名前を伺っても?」
「……氷月、凉無氷月です」

 余りに自然な一連の所作から言葉遣いに優雅さを感じて少し言葉が詰まる。……よく見れば着ている服も控えめだがゴスロリに分類されるような洋服だ。着ている服といい、先程の所作といい、どこかフランス人形的なものを連想させる。
 問われるまま答えた名を聞いた眼前の少女──神来月さんは先程と同じく驚いたように目を見開き、やがて。

「──そう、そういうこと。……通りで」

 寂しげに、けれど何か納得したようにそう呟いた。

「……? あの」
「やっと見つけた!」

 彼女の言葉の意味が分からず、どういう事かと訪ねようとして、その言葉は別の声に掻き消された。
 声が聞こえた方を見れば、見覚えのある顔がいかにもな顰めっ面で此方に歩み寄ってくる。

「あら、宗一郎」
「あら、じゃねーよ。ちょっと目を離した隙にどっか行きやがって……誘ったのはお前のくせに、何やってんだ」
「ちょっと」
「…………」

 にっこりと笑って答えた神来月さんとは対照的に、近付いてきた男性はその返答にまた眉間の皺を深くして、はぁ……とため息を吐き出した。……どうやらこれが日常のようだ。
 諦めたように神来月さんから私の方へ視線を移動させた男性──上暮さんは私を見て目を丸くした後、もう一度神来月さんを見てまた疲れたようにため息を吐く。

「こんなところで会うなんてな」
「そうですね、びっくりしました」
「……お知り合いですの?」

 私達のやり取りを見ていた神来月さんが私と上暮さんの顔を交互に見て不思議そうに口を開いた。

「同じバイトなんだよ。たまにシフト被るから」
「あら、そうなんですの? …………世間って本当、案外狭いものですわね……」

 上暮さんの答えに目を細めてどこか呆れたように呟いた神来月さんに、先程と同じような疑問が浮かぶ。
 ……まるで、以前から私を知っているような、そうではないのだろうが。さっきからそんな感じの反応をしている。

「1人なのか?」
「いえ、友人と」
「なら邪魔しちゃ悪いな。ほら、行くぞ白雪」

 そう言いながら背を向け、この場を後にする上暮さんにはーい、と笑って大人しく付いていく神来月さんを嵐のようだ、と思いながらその背を見送る。
 不意に、神来月さんが立ち止まって振り返り、真っ直ぐに私を見てにっこりと笑った。

「では、また」

 それだけ言い残すと上暮さんの腕を嬉々として取って遠退いていく背中を見つめる。
 ……確かに彼女は同い年くらいのようだったけれど、まるでまた会うのが決まっているような言葉と笑顔だった。

 何だったんだろう、と思った矢先2人が消えていった方向とは真逆の方から私の名前を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえた。
 次から次へと忙しいと思いつつ振り向けば案の定、少し前に私をここに置き去りにした張本人が綺麗な紙袋を手に小走りで駆け寄ってきた。

「遅かったのね」
「やっぱ夏休みだわ。レジ混んでてさー」

 疲れを隠さずに答えた黎溟は持っていた紙袋をはい、と私に手渡す。
 小さめなその紙袋は軽くはないがそれほど重いものでもなく、口は可愛らしいテープで留めてあるため中に何が入っているかは分からない。

「今年の誕生日プレゼント。アロマキャンドルとドリップコーヒーの詰め合わせ。氷月さんは紅茶派だけどたまにはコーヒーも良いだろ?」

 そう言って笑った黎溟に「……ありがとう」と礼を言って、渡された紙袋を丁重に持ち直した。

「……それにしてもアロマキャンドルとか……また女子力高いもの買ってきたわね。よく男1人で入ろうと思えたわね?」
「それ、めっちゃ恥ずかしかったんだよ。『恋人さんへのプレゼントですか?』って訊かれて違います! ってなったし」

 ため息を吐いて告げられた言葉の場面を想像して笑いが込み上げる。いとも簡単に思い描けてしまうのが余計に笑いを誘う。
 笑うなって! と顔を顰めて拗ねたように言う黎溟を横目に左手首に巻いた腕時計で時間を確認する。時刻は13時半頃。シェルツとの約束にはまだ少し時間がある。
 どうしたものかと考えて、昨日見た夢を思い出して足を止める。
 あの夢が自分にとってどういうものなのか、未だに分かってはいないけれど……少しだけやっておきたい事は思い付いた。

「氷月さん?」
「黎溟、この後ちょっと時間あるかしら」
「ん? まあ、後は兄貴の夕飯作り手伝うだけだから特に何もねえけど」

 黎溟の返事を聞いて頷く。1人で行くのはまだ、勇気がない。

「付き合って欲しいところがあるの」

 こてん、と首を傾げた黎溟を他所に、私の体は少しだけ震えていた。

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