呼吸する未来が眩しくて遠ざけた



 すっと浮上した意識と共に瞼を開く。カーテンの隙間から差し込む朝日が、暗闇に慣れた目に刺さった。
 無意識に眉間に皺を寄せ、二度寝を決め込もうと寝返りを打とうとして、ベッドに自分以外の温もりがあることに気付く。

「………………」

 首だけ横に動かして見れば、明るい茶色の髪をした少女が穏やかな表情で眠っていた。それに少し驚いて、微睡みの中にあった意識が完全に覚醒する。
 ……そう言えば泊まりに来てたんだったな、と心の中で呟きながら少女──愛里紗の頬にかかっていた髪を払い、気だるい体を起こして慎重に部屋を出た。

 音を極力立てないように扉を閉めて一息吐き、その足で洗面所で眠気覚ましついでに歯と顔を洗う。廊下へ戻って愛里紗が寝てる間に朝飯の用意でもするかな、とリビングへ向かおうとした矢先、ズボンのポケットに入れていた携帯がタイミング良く持ち主に着信を知らせた。

「ったく、誰だよこんな朝早くに……」

 不満を零しながら画面を確認すると登録していない電話番号からの着信だった。
 見覚えのない電話番号に首を傾げつつ、興味本位でその電話を取る。

『………………』
「…………もしもし?」

 通話状態になっても電話の向こうから何も聞こえない。疑問に思って此方から話し掛けると、電話越しに相手が息を飲む音が聞こえた。

『……っあの、日之影、黎溟さんの携帯であっていますでしょうか……』
「……そう、ですけど……どちら様?」

 電話の相手は女だった。聞きづらくない高めのか細い声。どこかで聞き覚えのあるような、けれど記憶に引っ掛かる程度で思い出すことが出来ない。……ただ、奥底から嫌悪感に似た感情が湧き出る感覚に襲われる。

『あの、私……その、獺間秋音です。覚えて、ますか……?』
「────」

 その名を聞いて、一瞬呼吸が止まる。
 次いで、ああ、そうかと納得する。この声に対して抱いた嫌悪感。そんなの決まっている。この女は、あいつの──。

『……黎溟さん……?』
「わざわざ何の用だよ」
『……っ!』

 自分でも驚くほど低い声で言葉を返す。本当なら、今すぐにでも切ってしまおうかとさえ思っているほどだ。
 今の一言で相手が怯えてしまったのが分かる。けれど言い直す気も起きない。
 獺間秋音。獺間家の当主の妻──つまり名目上での兄貴の母親にあたる女。

「もう俺達に関わってくるなって言ったよな。そもそも何で電話番号知ってるわけ?」
『……ごめん、なさい……えっと、それは……』

 拒絶される事が分かっていたのだろう女は震える声を懸命に絞り出している。『帰美さんに……調べて、もらって……』と後ろめたさがあったのか、先程よりずっと細い声でそう答えた。その声にさえ苛つきを覚え、あからさまにため息を吐く。

「別荘調べただけじゃ飽きたらず、人の電話番号まで調べるとか獺間家の奥方はほんっと姑息な手を使うんだな。プライバシーって言葉知らねえの?」
『っ本当にごめんなさい……! で、でも伝えておいた方が良いと思って……!』

 そのまま暴言の1つでも言って切ってやろうかと思い耳から携帯を離そうとして、女の必死な言葉に思わず動きを止める。
 こちらが何も言わないのを聞いてくれる、と取ったのか、女は意を決したように話し始めた。

『……実はあの人が、聡明さんを家に連れ戻す算段を立てているみたいなんです……』
「…………は?」

 あの人、というのは獺間家の当主であり、兄貴と……認めたくはないが俺の血縁上の父親であるあの男だろう。
 あいつが、兄貴を……?

「……何で今更」
『分かりません……。でも聡明さんが出ていってからあの人はすぐに居場所を掴んでいたんです。でも……連れ戻すのは学院を卒業してからでも遅くはないと』
「なら尚更何で今なんだ、俺達はまだ4年目だぞ」
『それは……』

 そう呟いて女は突然口をつぐんだ。まるで俺にそれを教えたくないような、俺を気遣っているような……。
 そこまで考えてふと思い至る。
 あの男が兄貴に近付けたくない人間は何人か存在する。満明さんや響兄も勿論その枠組みに入る。
 ──けれど、あの男が一番兄貴に、獺間家に近付いて欲しくないと思っている人間。
 それは──

「俺、か」
『!』
「なるほど。兄貴の周りを調べたら俺が出てきたから、だから俺と切り離すために家に連れ戻すってわけか」
『…………』

 電話の相手は何も答えない。それが正解なのだと、否定の言葉もない無音が告げていた。
 もう一度「なるほどね」と呟いて、自嘲の笑みが零れる。

 ──結局、俺は誰かを不幸にする事しか出来ないらしい。

『あ、あの、黎溟さん』
「この事、兄貴には?」
『……まだ、言っていません。話したのは貴方と、満明さん、それから響明さんの3人だけです』
「そう、知らせてくれてありがとう。それだけは礼を言っとく」

 刺々しさをほんの少しだけ和らげて、言葉を返す。この女に礼を言うのは釈然としないが兄貴の事を知れたのは普通に有り難かった。

「でも、」
『っ!』
「彼女には本当に関わってくれるな。……頼むから、平穏に過ごさせてやって欲しい」
『………………』

 俺の言葉に女は黙り込んで一言も喋ろうとしない。それを良いことにそのまま一方的に電話を切って深いため息を1つ、吐き出した。

「……れいめいくん?」
「! 愛里紗……」

 呼ばれた事に驚いて振り返れば、眠たげな目を擦って見上げてくる愛里紗がいた。まだ半分寝ぼけているのか、ぼーっとした顔でこちらに近付いてくる。

「おはよう、愛里紗。良く眠れた?」
「うん」

 ふにゃりと笑う愛里紗に笑い返して彼女の頭を撫でると目が覚めてきたのか、段々と頬が赤く染まっていく。
 「れ、黎溟くん……!」と恥ずかしそうに名前を呼んでくる愛里紗が少し面白くて、笑いながら撫でていたその手でぽんぽん、と優しく叩いて口を開いた。

「朝飯の用意してくるから、先に顔洗っておいで」
「後で手伝うね!」
「りょーかい」

 愛里紗が洗面所に入る後ろ姿を確認して、踵を返してリビングの扉を開く。
 そのまま閉じたリビングの扉にもたれ掛かり、また1つ深いため息を吐き出した。

 無意識に右手を首に添え、締め付けるようにその手に力を込める。
 ────ああ、本当に、


「いきぐるしい、なあ」


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