お兄さんのお願い

   侑宅の本編第二章、衝突編の響明の裏側のようなものです。





 疲れた、という感情を臆面もなく顔に出している仕事仲間達に苦笑して「お疲れ様、明日でおわりだから」と声を掛ける。各々に返事を返しながら部屋に入っていったチームメイト達を見届けた後、自分も体を休めるためカードキーを挿して中へ入った。

 生活感を感じさせない小綺麗なホテルのそれは安心感は得られずとも魔物狩りで疲れた体を癒すのには十分で。
 はあ……と息を吐いて縛っていた髪からゴムを外し、窓へ近付いてカーテンを開ける。窓の向こうはもう既に、夜の帳が下りていた。

「あ、」

 思い出したようにポケットから携帯を取り出す。任務中に鳴って隙を作るわけにはいかないので、いつもサイレントにしているのだ。

「…………電話?」

 確認すれば着信は一件。留守番電話が入ってないところを見るとこちらの事情を察してくれたのだろう。
 相手は滅多に連絡の取らないような人物で、漠然と、根拠のない嫌な予感が胸を占める。
 気になってかけ直そうとした矢先、その本人からタイミング良く電話が掛かってきた。

「もしもし?」
『……もしもし、今大丈夫か?』
「ああ、大丈夫だよ。今さっきホテルに帰ってきたところだから」

 未だ胸に燻る嫌な予感を押し殺して、努めて平静に言葉を返す。相手は『疲れてるのに悪いな』とこちらを気遣いつつも、どこか声が暗い。

「いいよ別に。…………それで? 珍しく電話なんて掛けてきてどうしたんだ」
『……………………』
「……箕原?」

 電話の相手──箕原は無言のまま、こちらの質問に答えようとしない。……いや、この場合。言い淀んでいるような、自分でもまだ心の整理が付いていないような、そんな──。
 押し殺していた嫌な予感が、また膨らみ始める。答えを急かすように「……箕原、」もう一度呼べば、意を決したように口を開いた。

『──────』

 その言葉に、目を見開く。ああ、これが予感の理由か……なんて、漠然と思いながら、平常心を装って幾つか状況を聞き出した。

「御稜には?」
『いや、まだだ。あいつも電話出なかったからな』
「そっか。じゃあ俺から伝えとくよ。
 教えてくれてありがとう」
『任務中なのに邪魔して悪いな』
「いいよ、寧ろ知れてよかった」

 それじゃ、と箕原との電話を切ったその指で、もう1人の親友へ電話を掛ける。この時間だと大体の家事を終えて1人工房で練習に専念している頃だろう。
 案の定、暫くのコール音の後聞き慣れた声が耳朶に響く。

『もしもし、響明?』
「御稜、今大丈夫?」
『うん、大丈夫だけど……どうしたの?』

 きょとんとしたような声色で問い掛けてくる御稜に、何て説明すれば良いのか言い淀む。……ああ、これがさっきの箕原の心境だったのか、なんて思いながら口を開いた。

「隼人が襲われた」
『…………え?』
「犯人はまだ不明。警察が追ってるらしい」
『ちょ、ちょっと待ってくれ! どういう事だよ、何で隼人が』

 何が何だか分からない、とでも言うように慌ててパニックを起こしかけている御稜の声を聞いて、これが普通の人の反応か、なんて思うと自分の頭の回転の速さが少し疎ましく思った。

──『隼人が襲われた』

 その言葉を箕原から聞いた時、嫌な予感がしていたとはいえすんなりと受け止めて色々と話を聞き出した自分を、箕原は淡白だと思っただろうか。

「理由はまだ分かってないらしい。俺もさっき箕原から電話で聞いたばかりなんだ」
『そう、だったんだ……隼人は?』
「命に別状はないって」

 俺のその言葉に御稜は心底ほっとしたように息を吐き出して小さく『良かった……』と震えた声で呟いた。

『でもどうして……あっ、理由はまだ分かってないんだっけ』
「……箕原は何か勘づいてたみたいだけどね」
『……! 響明それって』
「まだ確証はないし、俺が勝手に想像してるだけだけどね」
『…………うん』

 俺が考えている事の大体の想像が付いたのか、暗さを帯びた声色で頷く御稜に声を掛けようとした時、御稜が先に口を開いた。

『お見舞い……明日の方がいいか、今日はもう遅いし。
 響明も一緒に行く?』
「俺今任務でさ、数が多くてやっと明日の夜に終わるかなって目処が立ってきたとこ」
『大変だなあ……じゃあ明日僕だけで隼人の様子見てくるね、連絡入れた方がいい?』
「ん、頼むよ」
『了解。じゃ僕は片付けして寝るね』

 おやすみ、と言い合って電話を切る。はぁぁ……と深い溜め息を吐き出してベッドに倒れ込んだ。一通り終わったところに、どっと疲れが押し寄せて来たような感覚。
 風呂と電気、と思いつつ布団の気持ち良さに負けて瞼は下りていった。




 × × ×



 次の日。開けっ放しだったカーテンが朝日を遮るなんて事ある筈もなく、あのまま寝落ちした自分を容赦なく朝日が叩き起こす。
 疲れが取れた体で風呂を済ませ、チームメイトと合流した後、最後の討伐任務の場所である森へ向かった。

「……おい、響明」

 幾つかの魔物の暴れた形跡を見つけながら森を進んでいると一縷が口を開く。目を向ければどこか不機嫌そうに、眉間に皺を寄せて俺を睨み付けてくる一縷と目が合う。

「え、何どうしたんだい」
「集中出来ねえならホテル帰れよ邪魔」

 その言葉に首を傾げる。一縷はそんな俺の様子に溜め息を吐いて、もう一度低く唸るように邪魔だと告げてきた。

「何が気になるのか知らねえけど、そんな状態で魔物と戦って死なれても迷惑だっつってんだよ」
「…………俺そんな雰囲気出してた?」
「少なくとも一縷が口を開くレベルには、ね。
 珍しいわねリーダー?」

 くすくすと笑いながら俺の質問に答えた結月と、こくこくと頷いた葉炬に思わず「えええ……」と声を零す。

「うわあ……うわあ、一縷に指摘されるとかちょっと屈辱」
「どういう意味だテメェ」
「そのままの意味だよ。だって君俺の心配とか基本しないじゃない」
「おい誰が心配したっつった。邪魔だっつったんだよ脳みそ沸いてんのか」
「照れなくてもいいよ」
「死ね」

 心底嫌そうな顔をしながら暴言を吐き捨ててくる一縷に殺せるならね、と笑って言うと嫌そうな顔はそのままに、ぐっと押し黙った。素直でよろしい。
 その瞬間、低いのか高いのかよく分からない雄叫びと共に地響きがして、辺りの木を押し倒しながら前方から四足歩行の魔物が現れた。
 そのまま突進してくるかな、と思うより先に葉炬が能力を発動させて魔物の足と地面を凍らせ、動きを止めさせる。

「あら、探す手間が省けたわね」
「葉炬なーいす」
『(`・ω・´)ゞ』

 持ち運びしやすい小さなスケッチブックにささっと描かれた顔文字の返答と、目前の主従組に笑って、空を仰いだ。
 どんよりとした厚い灰色の雲は雨を連想させる。ふむ、と思い付いて結月に声を掛ける。

「結月、今日って雨降るっけ」
「? いいえ、曇天みたいだけど降水確率はなかったけれど?」
「そっかあ……」

 足を凍らされて身動きが取れず雄叫びを上げている魔物を見ながら間の抜けた声で答える。
 一縷は俺の事などもうどうでも良くなったのか、既に臨戦態勢だった。
 そんな一縷を眺めながらぼんやりと考える。一縷達に気付かれるなど普段なら有り得ないのに、自分で思っていた以上に隼人の一件は堪えているらしい。心配でこっちが危ない目に合う事にでもなったらあいつが目を覚ました時笑われるなあ、なんて考えて、右手に力を込めた。たまには、本気を出してみるのも良いかもしれない。

「葉炬、ちょっと大きく三歩くらい下がって」

 最前線で大鎌を構えていた葉炬に短く指示を出せば、俺の方を向いてきょとんとした顔をした。葉炬だけでなく、結月も一縷も俺の見当違いな指示を不思議に思ったのか俺の方を見る。──見て、3人とも目を見開いた。

「ちょ、響明お前!」
「葉炬!」

 ぎょっとしたような一縷の声と、慌てて葉炬の名を呼ぶ結月と、魔物の足枷として機能していた氷が砕ける音。
 そのどれもが同時に聞こえた直後、盛大に力を込めてバチバチと唸りを上げていた右手を上げて、一気に振り下ろした。

「っ!!」

 ドガァン、と鼓膜を破るような巨大な音が辺りに響く。一瞬のうちに駆け抜けた雷鳴は眩い閃光を放ち、程無くしてそれは収まった。
 間近で起こった大きな落雷にびりびりと空気が震え、肌を刺激する。

「……っおいおい……」
「………………」

 咄嗟の事で腕で顔を守っていた一縷が、半ば無意識のように呟く。
 他の2人も目を見開いて考えが追い付かない、とでも言うような顔をしていた。
 3人が見つめている先、つい先程までそこにいた魔物は、跡形もなく消えている。ただ1つ、地面に出来た焦げ跡のような落雷の跡だけがそこに残っていた。
 暫くそれを眺めてハッと気付いたように一縷が此方に向き直って声を荒げる。

「っお前な! やるならやるって前もって──」
「俺さあ」

 それをわざと遮って、話を始めた。人の話を遮る事が滅多にないのでさっきの事といい、いつもと様子が違うと思っているだろう3人は、変なものを見る目で俺を見てくる。……それに、少し笑って話を続けた。

「俺さ、今日急用が入ったから夕方には向こう帰りたいんだよね。
 だからみんなちょっと本気出して早めに終わらせてくれない?」
「…………本当に、珍しいわね。貴方が自分の願いで人を振り回すなんて」
「お前の用事に何でわざわざ付き合わなきゃなんねぇんだよ」

 面倒くせぇ、と吐き出した一縷と此方の様子を伺っている結月と葉炬に「やだなあ」満面の笑みで口を開いた。


「滅多にない俺からの真面目なお願いなんだ。
 ──応えてくれるだろう?」

 主従の引きつった顔と、肩をびくつかせた葉炬の姿が、曇天の隙間から漏れた陽の光に照らされた。

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