安形引退後



 この部屋、生徒会室で、かつてボクが生徒会副会長として、毎日慌ただしく安形さんの補佐をしていた。部屋に塵がひとつとして存在していないのは、現在の生徒会メンバー内で当番の者がきちんと丁寧に掃除をしてくれているおかげだ。
 いま、机や椅子がかつてと同じように整然と並んでいる。ちがうのは役職ごとの机や椅子の使用者がそれぞれにちがうということだけである。

 人がいないがらんどうの空間。夕刻をとうにすぎた時間帯は、十一月のどこかよそよそしく冷たい酸素とグラウンドでの部活の発声練習やざわめきを一層遠い世界の事象にしてしまう。
 ボクは会長の座っていた椅子に深く腰掛ける。キィ、と椅子が鳴く。年季の入った、それでいて古古臭さを感じさせることのない、高級感を滲ませた音。安形さんが腕を頭の後ろで組んだ状態で椅子に身体を沈ませたとき、頻繁にこの音を耳にしたものだった。今この瞬間に脳内で再生することも容易い。目を閉じると、ギィ、聞き慣れた音がした。椅子を半回転させながら、安形さんが振り向く。そろそろ帰るか。ボクに笑いかけるのだ。目を開けると、見慣れない景色だった。生徒会室だということははっきり分かるのに、どこか初めて見る知らない場所であるかのような、そんな気がした。何故か、などと聞くまでもなく知れている。座っている位置がちがうのだ。さらに言及すると、座っている人物もちがう。この席はボクの慣れ親しんだ席ではない。この席は安形さんのものであって、ボクのものではないのだ。座っていいのはボクなどではない。安形さんなのだ。
 暗くなる室内。相変わらず見慣れない場所から動かない。少しでも動いてしまえば安形さんとボクの何もかもが消えてしまうかのように、身じろぎもしないままで、思い出せば思い出すほど胸が痛いのに、それでもなお、記憶を探ってまでわざわざ考えてしまう。安形さんを。この部屋は思い出させてくれる。安形さんを。安形さんとボクの間に起きた出来事を。温い情事。指を絡ませて、そうして息をはく。やけに熱っぽい吐息だった。目頭が熱い。頭では理解しているのだ。ボクの意識が理解したくないだけで。あがたさんいかないでくださいあぁだめだなにもかんがえたくないだめだだめだめなんですあがたさん。いかないであがたさん。あがたさん。

 顔をあげて窓の外をみやる。ほんの少し前のボクの背中が見えるようだ。またこぼれてきた涙をカッターシャツの袖で乱暴に拭う。粗い布地が水分を吸収し、ボクの頬を引っ掻いていった。
 あいしているのに。いなくならないで。あがたさん。言葉はこんなにも飛び出していきたいといっているというのに、喉が音を押しつぶした。それでもあがたさんあがたさんと口をぱくつかせてみるものの、虚しさばかりが胸を満たした。
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