雨はまだ止む気配を見せない。椅子を半回転させて窓の外へ目を向ける。アルミサッシの窓枠によって四角く切り取られた空は、どこもかしこも濃淡の差がみられないまったく同じ灰色。地面をたたく雨粒は水たまりを一層拡大させていた。
 キリ、と扉越しに声がしたので慌てて戸を開けた。会長は二人分の紅茶と茶菓子を乗せた盆を両手にしていた。くつろいでくれればよかったのに、と小さく苦笑される。

「いえ、会長の家でオレがくつろげるわけないです。いつ会長の命を狙う不届き者が現れるかもしれないですし」
「キリはなんの心配をしているんだ?」

 クエスチョンマークをたくさん頭上に浮かべて会長は言う。自分の置かれている立場やそのうえでの危険を知らないのだ。
 とにかく座ってくれ、と会長が何度も言うので(最後は会長命令だ、と言った)、オレは周囲を警戒しながらようやく床に腰を下ろした。

「ところで会長」
「なんだ?」
「どうしてオレは会長の家に呼ばれたんですか?」

 途端に会長の表情が曇った。顔に不穏な影が表れる。それは、とくちびるをぽそぽそ動かした後、盆から解放されて空いた両手でオレの肩を強く押した。いきなりのことに意表を突かれたオレは、思わず身体を支えるために後ろに手をついた。大きく脚を崩す形になって空いた床に、すかさず会長が座り込んだ。
 なぁキリ、と確実にオレとの距離を詰める。俯いているものの、会長は短髪のため、表情が隠れることはない。会長の思いつめた顔をぼんやりと見つめる。どうしたんだろう、なにがあったんだろうと思う。まるで他人事のようである。視界の端に腕が映ったので、視線を移した。カーディガンの裾をつかんだ握り拳は、手の甲がまっしろになるほど力が込められていた。

「触れてくれないのか、キリ」

 予想外の発言に、今の今まで抑圧していた情がわきあがる。首の後ろが熱い。フローリングの床が梅雨時の湿気をまとった肌をとらえる。腿とスラックスが汗でひっついて、少しばかり不快だ。頭が会長の言葉を避けて別のことを考えている。かいちょうが、おれのことを? おれにふれてほしい?ぐるぐると思考が回転する。

「キリ……?」

 会長に訝しげに顔を覗き込まれたとき、オレの中で何かが崩れ落ちた気がした。
 会長、と口先でつぶやいて顎をひっつかむ。ひっ、会長の喉が奥のほうで小さく鳴った。口を開いて、会長の下唇に噛みついた。目を見開いて、きっ、と『イ』の音便を発音したところに、形のいい白い歯を舌でなぞってやった。上顎と下顎に舌をねじ込む。逃げる舌に吸い付いた。ぬるついた舌だった。ついでに甘噛みする。やわらかく歯を立てるだけだ。んふ、会長から鼻にかかった声が漏れるたびに、オレは心底満足したし、同時にひどく興奮した。舌を離したときに、顎に垂れた唾液を舐めた。唾液は生温かかった。
 胸をタップされて、理性を取り戻した。オレはなんてことをしているんだ。慌ててくちびるを引き剥がす。はっ、はぁ、はあー、口を大きく開いて酸素を取り込む会長に、またキスしてやりたい衝動に駆られたけれど、今回はぐっと我慢した。
 よかったのだろうか、と思ったが、オレはすぐに考えることを放棄した。ずっとずっと前からこうして会長にキスしたかったし、触れたかったのだ。あの手の温もりを知った日から、ずっと会長に触れたかった。もう一度、名残惜しげに音を立ててキスすると、照れや酸欠で頬を紅潮させた会長が満足そうに笑った。



120422
タイトル:椎名林檎の曲から
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