加藤家には、しきたりがある。古くからのならわしだ。忠誠を誓った主人に、忠誠以上の意味としての感情を持たないこと。それだけである。なぜこのような決まりがあるのかといえば、かつて加藤家の長い歴史のなかで忠誠を誓った主人と恋に落ちた忍者がいたそうだ。とても才能のある者だったようだ。そのまま彼は、主人とともにぷっつりと消息を途絶えさせた。娘はすばらしい美貌が有名な一国の姫で、忍者は娘の身辺警護を任されていた。命を賭して守り通すほどの価値は充分な地位にある娘だ。これで加藤家はさらなる繁栄を遂げるはずであった。であるのに、彼は一目で姫に恋をして、逃亡してしまった。ただひとつの理由を除き、わざわざ逃亡する必要性などないのだ。姫に仕える人形となるだけなのだから。
 理由といえば、忍者として姫を慕い人生を支えるのではなく、伴侶として姫を愛する立場で共になれないということだろうか。

 視界の真ん中に据えていた会長からわずかに焦点をずらし、瞑目して考える。
 会長は、いまやオレの世界の中心である。なにものにも代えがたい、大切な方だ。会長に抱くその感情が尊敬なのか恋慕なのか分からないほどに。幼少のころはそんなこと有り得ないと一笑に付して流すことができたしきたりも、今はそれがかなわなくなったことに、いらだちすら覚える。その若き才能のある忍者の気持ちがこの立場、この年齢になってようやく理解した。と同時に、彼に同情まで抱いている自分がいる。
 突然、キィと控えめな音を立てて椅子が引かれた。動く物体に自然に吸い寄せられた目は会長の一挙一動を追う。椅子の両サイドについた手かけにペンを持った左手で頬杖をついて、オレの顔をのぞき込んだ。重心の移動した椅子がわずかに軋む。

「なんだまだいたのか、キリ」
「はい」

 ずっと立っていて疲れただろう?もう帰ってくれてもいいんだが、労りの言葉をかけながらわずかに目を細めるその御姿もひどくいとおしい。浅く腰掛けた背中と椅子の間に腕を滑り込ませて、そのまま抱きすくめる。お慕い申し上げております。愛しています。好きです、会長。会長。
 剥き出しの耳にあまい情を残す。なにも知らない会長にはすばらしく幸福で、どうすればいいのか分からないオレには憂鬱な情。会長はくすぐったそうに腕のなかで身体をよじらせた。

 いっそのこと、あのしきたりを作るに至らしめた忍者のように恋しい人と心中してしまおうか。声にはせずにくちびるをぱくつかせるのみで、くちづけをひとつ落とした。



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