誰にもいえないことだ。かなり前の、わずか三ヶ月ほどの出来事をひっそりと思いだす。一言で言うならば噛んでもらうバイトをしていた、というだけなのだが。その際、オレはなにも声を発さないことにしていたのだが、性器を噛まれたこともあった。あれはさすがに痛かった。絶叫しそうだった。
 いや、そもそも何故そんなことをしていたかというと、ことの始まりはベッドのなかだった。頭まで布団をかぶって朝を待っていた。夜があけたらこれをしよう、などといった目的があるわけではなかったのだが。

 朝がちかづいてくる。その証拠に布団の中の暗闇がやわらいできている。瞼をとじる。まず思い浮かぶのは机の上の愛用のパソコン。…機械になりたい。感情をすべて捨て去り、持ち主だけに使役される機械。感情を捨ててしまえば、機械に近づけるのではないか。そうだ、感情をなくしてしまおう。そのためには何をすればいいのだろう。喜び、怒り、悲しみや楽しみ。いちばん表情に出るのは痛みではないだろうか。それならば噛まれよう、と思った。バイトをしよう。この時点で、誰かに利用してもらえる、儲かるとは思わなかった。いたとしたら相当な物好きだとさえ思っていたのである。
 夜になると、そっと家を抜け出して街へ向かった。健全とも思えなかったが、機械に健全も不健全も関係ないのである。店の間の裏路地でパソコンの代わりにスケッチブックを首からぶら下げて、突っ立っている。人通りも少ないのに、さらにわざわざ立ち止まる者なんているはずもない。ばからしい。そんなに時間は経過していなかったが帰ろうか、そう思った。
 空を一度仰いで、スケッチブックに手をかける。

「噛むってどこでもいいのかい?いくら?」

 突然の無遠慮な声に顔を上げる。薄暗くてあまり顔はよく見えないが、俺より若干背が高い。遠くの街灯がぼんやりと相手の顔を照らしているものの、ほとんどないに等しい。俺は目の前の人物に見えているのかなんて気にせずに頭を縦にふった。
 ふぅん、と納得したともしていないともとれるような声がしてじゃあいっかい噛ませてもらおうかな、なんの意味も込められていないようである。
 腕でいいかな、言葉にも声にも、なんの意味も込めずに男は言う。こくり、オレも肯定以外の意味はなにも込めずに頷いた。
 袖がまくられる。じゃ遠慮なく、と笑うと、あっと思ったときには鈍い痛みが左腕に広まっていった。口を離すと男の唾液と左腕が繋がっていて、さらにくっきりと歯型がついていた。

「ありがとう、ごめんね、痛かったかな」

 アリガトウ、ゴメンネ、イタカッタカナ。
 ゆっくりと台詞を反芻する。この男の感謝と謝罪の言葉にはなにか意味はあるのだろうか。
 痛かったらこれでなにか消毒?でもすればいいよ、といって右手に札を二枚握らされた。この紙切れに意味は感じられないものの、ありがたく頂戴しておこうと思った。



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