これだけの大雨が降るなら警報が出てもおかしくないはずなのに、今朝ニュースを見たときは大雨と雷の注意報が出ているだけだった。外に出るのも億劫になるほどの豪雨の中登校してきた生徒たちに、教師陣は「昼までで帰っていいぞ」と軽い調子で告げた。半日で帰ることができるのはたしかに嬉しいが、生徒たちからしてみれば朝から休校にしてくれた方がずっといいのである。

「電車も動いてないし、マルコ乗って行けよ」
「そうだね、お願いするよ」

 リュックを持ったジャンの言葉に甘え、家まで車で送っていってもらうことにした。朝来るときは母親に送ってきてもらったのだが、きっと今はパートに出かけてしまっている。学生は休みになっても、社会で働く大人たちはそう簡単には家に帰ることができないのだ。教室内に残っている生徒は少なくなっていて、みんな帰り支度を始めている。担任もざっと連絡事項を告げてさっさと職員室に帰って行ってしまった。午前中、いつもより力の抜けた授業を4時間受けて、もう帰るだけだ。ジャンのあとに続いて教室を出て、生徒用玄関までの道のりを歩いていく。この大雨の中歩いて帰る生徒はいないのではないのだろうか。遠くで雷がごろごろと低く鳴っている。

「今日プリントばっかで飽きたなー」
「テストの予習と思えばいいよ」
「世界史やってるとカタカナばっかで頭おかしくなるわ」

 なんて他愛のない話をしながら廊下を歩き、階段に続く方向に曲がる。と、前を歩くジャンがいきなり足を止めた。ぶつかりそうになって、反射的にマルコもその場に立ち止まる。なんだろうと前方をジャン越しに見てみると、遠くに駆けていく男子生徒を見つめるルウの姿が見えた。もう帰ったと思っていたマルコは、思わぬ遭遇にひっそりと心を躍らせる。ぶつかりそうになったジャンは驚いたことをごまかすように「んだよ」と不満そうな声を上げた。

「あぶねえな、そんなとこ突っ立ってんなよ」
「ああジャン、ごめん」

 本当に申し訳なく思っているのだろうかと疑問に思ってしまうくらい感情のこもっていない謝罪を述べ、ルウは一歩下がり通路を開ける。肩にはスクールバッグがかけられていて、彼女も帰る途中なのがわかる。
 ところであの走っていった人は誰だろう。後ろ姿しか見ていないが多分同じクラスでも隣のクラスでもないだろうし、マルコは話したことがない生徒だと思われる。失礼なことを言うがルウはあまり社交的な性格ではないというか、積極的に友人を作るタイプではない。同性ならまだしも、今のはどう考えても異性だ。それなりにルウに対して好意を抱いているマルコは、正直に言ってあまり面白くない。が、そんなことを言っても仕方がないし、態度に表して嫌なやつという印象を持たれるのもいやなのでいつもとかわらない態度を保っておく。

「なんだよ、好きです付き合ってくださいーとか言われたのか?」

 ということを誓ったあとにジャンのこのセリフである。思いきりむせてしまったマルコを怪訝な表情で振り返るジャンの向こうで、ルウは表情を崩さないままじっとこちらを見続けている。と思えば首を縦に振るので二度見してしまった。彼女は肯定の返事をするときは無言で首を振る癖があるということを知ったのは、もうずいぶん前のように思われる。驚いた表情をするマルコに今度は首を傾げ、ジャンはまたルウに視線を戻した。

「んで、なんだったんだよあいつ。たしか4組のやつだろ」
「好きです付き合ってくださいって言われた」
「マジかよ!!」

 自分で言っておいてこの驚きようである。きっとジャンも冗談のつもりで言ったのだろうが、それが当たってしまうのだから気まずくて仕方がない。外から大きな雨音が聞こえるが、3人とも無言になってしまったために空気が沈む。そばを通りかかった生徒主任の教師が「お前ら早く帰れよ」とのんきに声をかけてくる。とりあえず靴箱のある生徒用玄関に向かって足を進めた。
 そこに着くと生徒でごった返していた。迎えの車が来るまで玄関先で待っているのだろう。たしかにこの大雨の中、傘を差したとしても濡れることは確実なので屋根のあるところに留まりたい気持ちはわかる。しかし混んできて校舎から出られないので早くどいてくれないかなあというのが正直な気持ちだ。余計なことを言うんじゃなかったと面倒くさそうな表情のジャンと、相変わらず何を考えているのかわからないルウがマルコの隣に立つ。ちょうどそのときジャンの携帯が音を立てて震えた。画面をタップして耳元に当て、「もしもし」と素っ気ない声を発する。

「あー今玄関。マルコもいる。……わかってるっつの、あー今から行く」

 この返事の仕方はおばさんだな、とひとり考察する。あいだあいだにはさまれる「あー」という適当な相槌がその証拠だ。おー、といって電話を切り、ジャンは手に持った傘を開いて携帯をズボンのポケットにしまう。

「今校門前着いたってよ。悪いけどそこまで歩くぞ」
「いいよ、むしろお邪魔してごめん」
「気にすんな、ババアマルコのこと気に入ってるし」

 マルコも傘をパンと開きながら雨を落とす空を見上げる。そのババアという呼び方をやめればいいのに、何を恥ずかしがっているのか知らないがジャンはマルコの前では頑なに母親のことをそう呼ぶ。家ではちゃんと母さんとか呼んでたら面白いのになといつも思う。
 覚悟して雨の中に出ようとしたところでハッと気付いた。先に行ってしまおうとするジャンを少し引き止め、うしろを振り返る。傘を持ったルウは以前空を見上げたまま動かない。

「ルウ、帰りどうするの? 家の人は?」

 雨つよーい、と騒ぐ他の生徒とは違い、ただじっと雨が降りしきる様子を眺めるルウは少し浮いていた。彼女はじっとマルコを見つめたあと、考えるように視線を斜めに逸らし、スカートのポケットから携帯を取り出した。しばらく操作したあともう一度視線を上げ、頷く。それだけでなんとなく言いたいことがわかった。

「そっか、濡れて風邪ひかないようにね」
「今のでわかんのかよ」
「マルコも」
「うん、気を付けるよ。じゃあね」
「待て待て俺は? 俺に対する心配はないのか?」

 携帯を持ったまま手を振るルウに手を振り返し、なんだかんだと文句を垂れるジャンの背中を押して雨の中を駆けていった。ドバババとものすごい音を立てて雨は傘を叩く。玄関から少し離れた場所にある校門の前には車がたくさん止まっていて、その中にジャンの家の車が見えた。急いで駆け寄って素早くドアを開けて乗り込み、傘を閉じる。ドアを閉めたと同時に「マルコくん久しぶりだねえ」とジャンのお母さんがタオルを貸してくれたので、ありがたく借りることにする。

「すみませんおばさん、乗せてもらって」
「いいんだよ、こんな大雨じゃ電車も動いてないしね」
「俺にタオルは」
「あんたはティッシュででも拭いてな」
「は!? 息子に対する配慮欠けすぎだろふざけんな!」

 そんなジャンの言葉を気にすることもなく「じゃあ出すよー」とギアを動かしてサイドブレーキを下ろし、おばさんは車を発進させる。濡れた腕や制服のズボンを拭きながら思い出すのは、先ほどのルウの言葉。「好きです付き合ってくださいって言われた」あの言葉を聞いたときは心臓が大きな音を立てて跳ねた。びっくりしたし焦ったし、正直とても妬いた。僕よりルウのこと知らないくせに、なんてらしくもないことも思った。そんなことを口にすればジャンやルウに何を思われるかわからないので堪えたけれど、本当はあの4組らしい男子の背中を追いかけて僕のだと主張してやりたかった。主張するどころか、彼女はマルコのものでもなんでもないのだけど。

「マルコ、拭き終わったんなら貸してくれ」
「あ、ごめん。おばさんありがとう」
「いーえ! マルコくん今日はお母さんたちいないのかい?」
「たぶんふたりとも仕事ですね」
「そうかい、大変だねえ」

 しみじみとつぶやく母親に「見習えよ」と憎まれ口を叩き、生意気だとジャンは頭をしばかれた。ははは、とその光景に笑いながらも、胸の奥ではもやもやと何とも言えない感情が広がっている。ルウはどうするんだろう。そもそも返事をしたのだろうか。もしかしてあの子と付き合ったりするのかな。胸焼けしたみたいに気持ち悪くなってきたのに、ルウのことを考えることをやめられない。確実にマルコの一方的な片想いだし、それ以前にルウは自分のことを好いてくれているのかさえ分からない。いろいろ考えていくとだんだんとマイナス思考になっていってしまって、いつの間にか両手は拳を作っていた。雨はなかなか止みそうにない。

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