じめじめとした日々が続いていた。毎日のように雲が空一面を覆っていて、雨も降り続いている。母親は洗濯物が乾かないとかかび臭くなるとか言っているし、マルコ自身、登下校の際に傘を持っていくのが面倒くさいし、何より雨で濡れるのが憂鬱だなあと思っていた。
 そうして今日は何日ぶりかにからりと晴れた。たまった洗濯物を干してしまおうと嬉しそうに話す母親に、出かけてくるからと声をかけて家を出る。雨が降ると寒かったり蒸し暑かったりと、着る服に悩むところもあまり好きではなかったのだけど、太陽が覗く今日は薄手のカーディガンを羽織れば程よい気温だった。心地よい風が頬を撫でる。電車に乗って向かったのは、学校の最寄りをいくつかすぎた駅だ。その駅で降りて改札を出ると、駅の出入り口にはたくましい体の友人が見える。彼もマルコが来たことに気付いて、手にしていた携帯をパンツのポケットにねじ込んだ。

「悪い、待たせたかな」
「いや、そうでもないぞ。気にするな」

 そう言ってライナーはにかりと笑う。彼のこういう気の遣えるところというか、あっけらかんとしたところが人気なのだとマルコは思っている。だからそれなりに女子にも騒がれているのだが、何せ彼はクリスタ一筋だ。彼女のことになると残念さが増すのでがっかりして去っていく女子もいる。
 今日は話題になっているアクション映画を見に行く予定だ。本来ならジャンやベルトルトも来ていたはずなのだが、ふたりとも外せない用事があるらしい。普段なら別の日に持ち越すのだが、人気があるので落ち着くまで待っていたせいで公開終了日が近付いてきているのだ。何とも計画性のない話である。大型ショッピングモールの中にある映画館に着き、行列に並んで目的のチケットを買う。開演時間までだいぶ余裕があったので、ショッピングモール内を回ろうということになった。特にほしいものがあったわけではないのだが、店舗がたくさんあるので暇つぶしにはちょうどいいだろう。
 映画館は3階にある。エスカレーターで階下に下りて、何を買うでもなくぶらぶらと適当に冷やかしていた。休日ということもあって人がごった返していて、親子連れやカップルが多い。ライナーは背も高いし体もしっかりしていて目立つから、迷子になることはないだろうけど。嬉しそうに両親と手を繋いでいる小学生くらいの女の子を見て、マルコはかわいいなあと頬を緩ませた。するとちゃっかりライナーがそれを見ていたようで、「ロリコンか?」とからかうような表情で言うのでそんなわけないだろと肩を叩いてやった。
 しばらくそうしていると、開演時間が迫っていた。またエスカレーターで映画館に向かい、上演される劇場番号を確認する。シネマ4と書かれているのを見て、またチケットをカーディガンのポケットにねじ込んだ。パンフレットを帰りに買おうとライナーと話していると、館内にあるトイレから見知った人物が出てきた。目が合った彼女はぱっと笑顔になる。

「マルコ、偶然だね」
「クリスタじゃないか、何を見に来たんだ?」

 いつもは下ろされた金色の髪をシャーベットカラーのシュシュで結っているクリスタは、最近若い女性の間で話題になっている恋愛映画の見に来たという。偶然にも想い人と会えたライナーは顔を赤くして、だらしなく口元を緩ませていた。にこにこと「ライナーもこんにちは」とかわいらしい笑顔を浮かべるクリスタに、わかりやすく照れている。マルコがひとりで映画だろうかと疑問を抱いたところで、続いてトイレから誰かが出てきた。視線を向けると、クリスタと同じ金に輝く髪に、最近見慣れだした淡褐色と目が合った。まさかこんなところで会うとは思っておらず、びっくりしてマルコはぱちぱちと瞬きを繰り返す。ルウも予想外のことだったのか、表情らしい表情はないが、ぽかりとかすかに口が開かれている。

「ルウも一緒か」
「……今日はライナーとマルコも一緒だったの?」
「違うよ、今たまたま会ったの」

 クリスタとは対照的に、いつも結われている髪を下ろしているルウは、首を傾げながらクリスタに問う。表情に変化が少ないためわかりにくいが、やはり驚いてはいるらしい。初めて休日にあったこともあり、ルウの私服姿を見るのは新鮮だった。緩いスウェット生地のトップスの下にはネイビー地に白い水玉模様のシャツを着ていて、ショートパンツからは白い足が覗いていた。いつもは膝より少し上ほどの丈のスカートとハイソックスを履いているため、あまり意識したことがなかったが彼女の足は日に焼けていなかった。あまりじろじろ見ていていいものでもないのですぐに目を逸らしたが、変態だと思われていたらどうしよう。しかしマルコの心配をよそに、3人は和気あいあいと世間話に花を咲かせていたのでほっと胸を撫で下ろす。デレデレとしているライナーに笑いかけるクリスタの私服は小花が散ったワンピースに薄手のパステルカラーのカーディガン。見るからに女子という感じのものだった。
 名残惜しそうにするライナーを半ば引きずる格好で、マルコは目的の映画が上映されるシネマ4へ急いだ。結構話し込んでしまっていたようで、もう予告編が始まってしまいそうな時間だった。偶然にもクリスタとルウが見る映画も同じくらいの時間に始まって同じくらいの時間に終わるらしいので、あとで待ち合わせてモール内を回ることになった。ライナーが引きずられていきながらも嬉しそうにしているのは、そういうことだ。チケットに書かれた座席番号を確認して、ライナーを座らせて自分も腰を下ろす。それが合図のように予告編が始まった。




 映画は期待していた通り面白かった。映画はあまり見ないのだが、たまにはいいかもしれない、と思ったほどだ。レンタル店でDVDをいくつか借りて帰ろう、と決めたあたり、影響されやすい自分に苦笑いがこぼれる。上映前に言っていた通り列に並んでパンフレットを買う。そわそわと落ち着きのないライナーにまた苦笑しながら、すでにエスカレーターのそばで待っているふたりのもとへ歩み寄っていった。

「おまたせ、待たせて悪い」
「気にしなくてもいい」

 待ちかねていたように一直線にクリスタのもとに駆け寄ったライナーは置いておいて、マルコはルウに声をかける。ここで全然待っていないと言わないあたり彼女らしい。映画の感想を聞いてみると、「知らないうちにくっついて知らないうちに終わってた」と淡々と答えた。どうやら自分が見たかったわけではなく、クリスタの付き添いだったらしい。たしかにあのベタベタの恋愛映画をルウが見るとも思えなかった。マルコはルウに対して結構失礼な印象を持つようになっていることに無自覚である。
 男同士の買い物というものは実に淡白である。買いたいものがある店にはあまり入らないし、店に入ってみてほしいものがあればすぐにレジに並ぶ。至ってあっさりとした買い物だ。しかしこの年頃の女子というものは買い物が長いらしい。雰囲気のよさげな店があればふらりと入ってみて、特にほしいものがなくても店内を時間をかけて見て回る。そしてほしいものがあればじっくりと考えて考えて、身に着けるものであれば試着もして、それからまた考えて、それで購入したりしなかったりする。同じ年代の女子と買い物に行く機会があまりなかったマルコとライナーは、クリスタとルウの買い物にかける時間の長さに驚いた。そして正直少し、ほんの少し辟易としている。どうしてこんなに時間がかかるんだ。しかしふたりとも楽しんでいるのでそんなことを言えるわけもなく、きゃいきゃいとはしゃぐふたりから少し離れたところでいろいろとものを眺めていた。といっても、若い女の子向けの店で見るものといっても限られているのだけれど。この店は服だったりアクセサリーだったり、いろんなものが置いてあるらしい。また違うところには食器だとかの生活雑貨、はては入浴剤なども置いてある。最近の入浴剤は種類が豊富なようで、ミルクのかおりだとかココアのかおりだとか、変わったものがあった。いつも母親が好きに買ってきて好きにチョイスして湯船に入れているし、そこまで興味を持っていなかったので初めて知った。抹茶ミルクのにおいというおいしそうな入浴剤を手に取りじっと眺める。ライナーも同じようで、オレンジ色の袋を興味津々に眺めていた。たくさんある入浴剤をいろいろと手に取ってみていると、いつの間にか会計を終えたらしいクリスタとルウがそばに寄ってきていた。クリスタが体格差のあるライナーの手元をひょこりと覗き込む。

「金木犀のかおり? 変わった入浴剤だね」
「ああ、最近のは面白いにおいが多いな」
「ほんとだ、いちごとかもあるよ。おいしそう」

 入浴剤のかおりに対しておいしそうという感想はいかがなものか。少しずれたところのあるらしいクリスタの発言に、ライナーは何を思ったのか「そうだな、夕飯前とか困るな」とこれまた斜め上をいった返事をしている。こういうところはお似合いと言ってもいいのではないだろうか。そんなふたりを気にすることなく、ルウは自分の気の向くままに店内をうろうろしていた。なんとなく気になってマルコは彼女のあとをついていく。ふと目に留まった魚のぬいぐるみを手に取り、じっとそれを見つめるルウ。おそらく魚なのだろうけど、体の色はやけに目に痛い青色で、ギョロ目にたらこ唇と決してかわいいと言える品物ではない。なんでまたそんなものを。思わずマルコはつっこみそうになる。しばらく見つめていると思えば、ぎゅうっと手に力を込めて人形を握りつぶす。魚の口からはぎゅああああと意味の分からない音が出て、驚いたのかルウはぱっと手を離した。まったくかわいくないどころか気味の悪い人形である。子供が見たら泣くのではないだろうか。

「え、ルウ、それほしいの?」
「握ると鳴き声を上げますって書いてるから握ってみたんだけど、想像以上だった」

 何が、と聞くまででもない。見た目もさることながら、鳴き声も想像以上に気持ち悪かった。よく見てみれば値札には40パーセントオフ! とでかでかと書かれている。そりゃあこんなもの、売れ残るに決まっている。ルウはもう興味を無くしたのか、またふらふらと歩き出して今度は茶碗を手に取ってしげしげと眺め出した。白い器に桜の花びらが散ったデザインだ。小ぶりできっと女性向けである。しかしこれまたほしいわけではないらしく、すぐに棚に戻した。いったい何がしたいのだろう、こういうことを繰り返しているから女の子の買い物は長いのか。なんとなく納得がいったマルコである。

「ルウ、マルコ、そろそろお昼だし、どこかでお昼食べていかない?」

 入浴剤眺めを終えたらしいクリスタが、手首にある時計を見ながらそう提案してきた。そういえばお腹がすいてきたかもしれない。モール内にもフードコートがあるし、いろんな飲食店が並んでいるフロアがある。そこでもいいのだが、今日は行きたいところがあるのだとクリスタは言う。

「映画見たあとにね、行こうって言ってたカフェがあるの。ランチもやってるから、ふたりがよかったらそっちに行きたいんだけど……」
「よし行くか、いいよなマルコ」

 有無を言わさんとばかりの速さでライナーがこちらを見やる。まあ否定する理由もないし、マルコはいいよと頷いた。友人のでれっぷりにはそろそろ呆れるものがある。

「ここから歩く?」
「電車で一駅動くことになるけど」
「ああ、それくらいか。大丈夫だよ」

 じゃあいこっか、と笑いかけると、ルウはじっとこちらを見上げてきた。すでにふたりは歩き始めている。はぐれるなよ、と人の多さに心配しているライナーに、ありがとうと微笑むクリスタ。小悪魔というのは彼女のような人物に使う言葉だろうか。

「遠慮とか、しなくていいよ」

 ふとつぶやかれた言葉に、え、と驚く。ルウは変わらず自分を見つめていた。まさかそんなことを思われているとは。たしかに朝から少し受け身すぎたかもしれない。そしてルウは意外と人のことを見ているし、気遣いができる子だった。その事実に気付いたマルコは胸があたたかくなった。席替えをしてからルウとは本当に打ち解けられていると思う。

「ありがとう。でも遠慮なんてしてないし、気にしないでいいよ」
「それなら、いいけど」
「うん。ほら、放っていかれるし早く行こう」

 もうライナーとクリスタのうしろ姿はずいぶん遠いところまで行っていた。しかもふたりとも自分たちがついて行っていないことに気付いていないらしい。はい、と差し出された手を、ルウは見下ろした。果たしてこれはどういう意味だろう。自分よりずっと背の高いマルコを見上げる。と、マルコは急に「ごめん!」と慌てたように謝ってきた。ほんのり頬が赤い気がする。そしてそこで初めて気が付いた、きっと人が多いからはぐれないようにという配慮だったのだ。気付いたところでマルコはもう手を引っ込めてしまっているので、どうしようもない。

「ごめん、なんか親戚の小さい子にするみたいな感覚でつい」
「ううん、ありがとう。はぐれそうになったら、繋がせてもらう」

 頷きながらそう言うルウに、ほっと安心した。そしてマルコはナチュラルに彼女を子供扱いしたことに気が付いていない。ルウもあまり気にしていないので指摘することもないが、同級生にそんな扱いをされていいものだろうか。ここにライナーがいたらきっとつっこんでいる。じゃあいこう、とクリスタとライナーが歩いて行った方向に足を進めた。うしろからもこつこつと靴のかかとが床に当たる音がついてくる。視界に入らないのは少し不安なので歩く速度を落として隣に並ぶと、不思議そうに首を傾げるルウがいた。結われていない金の髪が揺れるのが、ひどく新鮮だった。

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